「政党政治の終焉」 5

『政党政治』というのは、「権力者」に替わって政治を行うことを意識したものや政党が、あるいは、「一般大衆」の代弁を標榜し、また意識したものや政党が「政治」をおこなっているということなのだろう.
だから、代議員制度を採っている。

それは一方では、一般大衆は何も知らない赤子のようなものであるから、政党が教え導いてやらなければならないという考え方にたっているようだ。
確かに、それは明治初期の現実にはかけ離れたものではなく、一定の事実を見せている。

しかし、一般大衆が賢くなっていけば一人の人間として自立するものであり、人はそれを希望し、能力を高めてきている。人は、そのおかれている環境によって大きく能力の向上を左右されていることも事実である。

おろかな選民意識が『階級』をでっち上げ、『差別』を正当化するのである。そして、『階級差別』を維持するための『代議員制』を『再生産』する手法を『御用学者』に考えさせてきた。

たとえば、『政治学』という学科を設けて、『巧妙に支配する手法』を研究させる。「指導者原理」の利用など「組織の指導者を懐柔し取り込むことによってその影響下の組織をコントロールする」という、後追いで学説化すると言うこともあるだろうが、そのように支配の論理で考えられている。

いづれにせよ、『支配のひとつの過程として政党と代議制』があり、それと対峙して『民主的解放の闘いの過程として政党と代議制』が「妥協の産物」として並存してきたものである。
これが『間接民主主義』と言われているものです。

そして、世界史が社会主義となった1975年を転換点として、一般大衆の自立はさらに進み、その速度もIT社会の中で速度を早めている。

一般大衆のひとり一人がその能力を高め、自立の度合いを高めていけば、おのずと他の人に頼らず自分の力で仕事を自己責任でこなしていくのは当たり前の事なのです。そのような事が「社会全般」で行われるようになって来ているのです。もちろん、社会はひとり一人が自立する為に様々な支援をしていかなければなりません。
その方がすべてにおいて節約型になるのです。
「国民は赤子である」とする「官僚」の考え方には、歴史的過程はともあれ今日では卒業したものと解すべきだ。
by kanakin_kimi | 2010-06-02 15:48 | 政党政治の終焉 | Comments(0)


<< アインシュタインシンドローム 6 アインシュタインシンドローム 5 >>