少女の時がとまった 1

(まづ、ネットで見た以下の記事を紹介しますー金澤忻二)

袴田事件 44年の歳月痛感
 昨秋から「袴田事件」を担当している。1966年に清水市(現・静岡市清水区)で、みそ会社専務宅が放火され、焼け跡から専務夫婦ら一家4人の他殺遺体が見つかった凶悪事件だ。1980年、最高裁で袴田巌死刑囚(74)の死刑が確定した。

 焦点は、冤罪(えんざい)を訴える弁護団が静岡地裁に行った二度目の再審請求が認められるかどうかだ。再審につながる新たな動きがあれば、即、全国的なニュースとなる。「他社に遅れを取るわけにいかない」と意気込んだが、なにしろ事件は記者の生まれる20年前の出来事。まず、膨大な量の過去の記事や判決文などを読み込んで流れを頭にたたき込み、静岡地検や弁護団などの動きを追った。

 今年9月と12月、新たな動きがあった。同地検が弁護団に、袴田死刑囚が犯行時に着用していたとされる衣類写真などの新資料を相次いで開示したのだ。反応を探ろうと、当時の捜査関係者への取材を試みた。ところが、先方が鬼籍に入っていたり、「高齢なので、取材は控えて欲しい」と断られたり……。44年の歳月の流れを痛感した。

 1人だけ、「44年前のまま時計が止まっている」と感じた関係者がいた。事件の日、1人で別棟に寝ていて難を免れた当時19歳の長女だ。静岡市の自宅で63歳になった彼女は重い口を開いた。「私は今でも、袴田が有罪、死刑と思っている。死刑囚として刑務所に入っていてもらいたい――」。

 地検が口を閉ざす中、取材は勢い、冤罪を訴える弁護団が中心になる。長女のうつろな表情には、両親と弟妹を一度に失った計り知れない悲しみが漂っていた。彼女の心の痛みに、記者としてどう向き合うべきなのか――。思いを巡らせながら、長女宅を辞去した。(黒羽泰典)
(2010年12月17日 読売新聞)

時計が止まった少女へ ー あなたの時を取り戻してください。(金澤忻二)
 あなたは、あの日お友達と4泊5日の旅行を終えて、夜の9時頃まだお母さんが店を開けていたので、「只今かえりました」と言って九州旅行のお土産を両手に上げて店に入りましたね。お母さんは、「お帰り」と言って笑顔で迎えてくれましたね。お母さんは、普通ならまだ店を開けていたのだけれど、きょうは早じまいして、シャッターを閉めて片付けていました。応接間にみんなが集まってあなたの無事を喜び、旅行のお話をひとしきり聞いて、お土産に話が弾みましたね。でもそこにはお父さんはいませんでした。お父さんは、税務処理をお願いしているAさんと寄り合いで清水の料亭「大花」に自動車で行きました。Hさんはもう来ていましたが都合が悪くなったという事で、寄り合いは中止してHさんを車で送り、・・・・・お父さんがシャッターを「いまかえった」といいながらたたいていたのはもう10時半を過ぎた頃でした。あなたは、どうしていいかわからず嗚咽しながら、お父さんの声がするシャッターまで歩いていきました。シャッターの鍵がわからずしばらく探しているとお父さんが早くあけるように鍵の場所をいいました。「ガチャン」と音がするのを待ちかね、お父さんがシャッターを開けました。
by kanakin_kimi | 2011-12-22 11:15 | 袴田事件 | Comments(0)


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