人気ブログランキング | 話題のタグを見る

直接民主主義への道筋 ⑴

すべての問題・すべての機会はみんなの意見をだしあって決める事である。(万機公論に決すべし)
ところが、「支配の論理」は「支配の仕組み」を残そうとするのである。一見民主主義のごとく見せて肝心なところは「支配者の都合のいいように決める仕組み」を残そうと画策するのである。任せてはいけないのである。誰かに委ねる仕組みは「間接民主主義=議会制民主主義=政党政治」でさんざん見てきたではないか。
「支配の論理」は、「その集団の長=代理人(代議士)を支配下に置く事によって、その集団を支配する」という方式(政治学では指導者原理と定義されているようだ)が、今日までの「間接民主主義=議会制民主主義=政党政治」で行われてきたのである。その政党政治が最も反映されているのが「衆議院」なのである。「参議院」は特定政党に属していなくとも広く世間に表明できる全国区に顔を知られているものが選出されてきたことから、知識人・タレントなどが選出される機会があった。それを廃止して「衆議院」をのこそうとする「橋下=維新の会案」は明らかに「政党政治」を維持しようとするもので、間違っており、「政党政治による支配の論理」を残そうと企んでいるものとの妥協の産物なのである。「首相の公選」はいわば大統領制であり、全国民による選挙によって選ぶのであるからいいのだが、衆議院を残すというのはいわば従来の政党政治を残すというものであるから、みんなでえらんだ「首相」が「政党政治に取り込まれる」形になり「政治改革」にはならないのである。それで何が「船中八策」か将軍様にお祝詞をのべる「八朔」ではないのか。すぐにぼろが出るような案ではしょうがない。「直接民主主義」の原理は、一人一人の意見が反映される仕組みを要求しており、「財政改革」は今日までの積み重ねられた赤字を作ってきた構造を改革しなければならない「構造改革」なのである。その構造の一つが「政党政治」なのである。そこから生まれたのが「利権構造」なのである。その事は既に明らかになっている事実なのだから、政党政治支配のものたちとの妥協は必要がない。そうでなければ「無政府状態」におちいってしまうだろう。「支配の論理構造の構成員」たちがすりつぶされなければ気がつかないという事ではないだろう。速やかに、一人の市民としての自己を確立し、自らを「支配の論理構造の構成員」から解放する事である。中を取ってまとめようなどとできる問題ではないのだ。
by kanakin_kimi | 2012-02-13 10:06 | 直接民主主義


<< 戦略的避難装置 22 患者学 ❷ >>