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わたしは、何をしたらいい !! ー 1

幸浦事件のその後

袴田事件という冤罪事件の救援運動に関わってなんとか全体が見えてきた時、わたしは県下の戦後発生した冤罪事件を時系列でシリーズにして、講演会を開催する事を計画した。
「清水郵便局事件」「幸浦事件」「小島事件」「二俣事件」「島田事件」「袴田事件」「下田缶ビール詐欺事件」の七事件のうち「幸浦事件」「小島事件」「二俣事件」「島田事件」を取り上げた。

袴田事件の集会に比べれば格段に参加者は少なかった。わたしの一方的な取り組みだからでもあったのかもしれない。何故、私はこの七事件を取り上げる事にしたのか、整理した話はできない。無理矢理整理すれば、とってつけた話になる。講演会をしながら、その中で何か見えてくるかもしれない。そんなところだったのだろうと思う。

「幸浦事件」の講演会に備えて、妻と一緒に「幸浦】へ行った。
無罪になって既に40年が経っていた。糸平さんは既に亡く、妹さんがおられるのでお話を聞ければよってゆこう。その前に、犠牲者のお墓の写真を撮っておこう。

幸浦の砂浜は海風が強く、ビデオカメラのマイクが風でうなっている。サツマイモ畑の一角にお墓があった。土を盛り上げたいわゆる土まんじゅうが点々とありその中に墓石が並んでいる。

お墓の辺りから少し東の方へ行くと、老人会がゲートボールをやっているのが見えた。糸平さんの妹さんがいるお住まいを聞こうと思って近づいていくと、長老格の雰囲気をかもしている人がいた。隣の女性に聞いてみた。

「幸浦事件で、無罪になった糸平さんの妹さんを探しているのですが、ご存知でしたら教えてください。」と聞いたのです。間違いなく、無罪になった糸平さんといっているのです。

ところが、隣の長老格の雰囲気をかもしている老人が

「おお! あの加害者の妹ならここにいるぞ。」

と、云ったのです。
私は耳を疑いました。あの人は何を云っているんだ、とドギマギしたのでしょう。

その時、さっと入ってきた女性が「私は何をしたらいい!」と云ったのです。
糸平さんの妹さんでした。

あれ以来、10何年もたっているのに、わたしはいまだに「わたしはなにをしたらいい!」という言葉に答えられていない。

by kanakin_kimi | 2012-09-13 15:32 | 波崎事件


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