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ロマンティックシンドローム A1

認識の落とし穴 ー「 穿 」

世相の裏面をえぐり出し、それを表出することを「うがち=穿ち」と云った。
雨だれが、落ちている。時間の経過と雨だれの繰り返し落ちるところに「穴があく」。これを「雨垂れ石を穿つ」という。
ロマンティストは、そこに何を見るだろうか。

おそらく、機関銃の玉が多くのひとの体を「穿っている状況」を連想しないだろう。

おそらく、寺院・仏閣の軒下にいて、軒から落ちる雨だれとその下の敷石に小さな穴を思い、ほんわりとした情景に酔いしれているのでしょう。

「支配」は、これを・この酔いを「いつも利用した」。
そう感じること・そう表現すること・そう酔いしれること事態に問題があるわけではない。
それらが「穿ち」の世界と共通し、「おとしあな」に陥るからである。陥穽(かんせい)という。

私がそれに気づいたのは、高校二年生の国語の教科書にそれを見た時である。潁原退蔵氏の「江戸時代語の研究」の「前文」が紹介されていた。そこで教えていただいたのである。井原西鶴の「好色一代男」を紹介する場合でも、潁原退蔵氏は「源氏物語の主人公」と「好色一代男の主人公」を、その時代に合わせて表現する作者の「冴え」を伝えている。

「冴え」のないものは、「雅な恋物語」に落ち込むのである。落ち込んで害がなければ、「まあいいか」ということになるのであろうが、それが「歴史学」の独立を「妨害する力」にしているのであるから抛(ほう)ってはおけない。
by kanakin_kimi | 2013-01-15 12:03 | シンドローム


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