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「支配の論理」とは何か

宗教にはないが団体にはある

「宗教」というのは、もともと「宗」=漢字の日本語では音読み、呉音 : ソ、漢音 : ソウ(ソゥ)、慣用音 : シュウ(シュゥ)で、常用漢字表内の訓読みはありません。常用漢字表外では、もと、むな、ひろ、のり、とし、たか、そお、むね、よし、かずなどがある。
漢字の意味.はみたまや。先祖をまつる所。とあるようだが、要するに先祖の教えとか、親(祖)の教えとかいうのがもっぱらのようだ。
だから、宗祖は、「おや・おや」で「ひとり」なのです。「ひとり」のときは「支配の論理」が生まれるはずもありません。「ひろげる・つたえる・まなぶ・かしこくなる」の積み重ねや修行になっており、一人の人間としての謙虚さが求められる。ところが集団ができ、その集団の運営という要因が宗教の教えとは全く違う問題が入り込みます。それ故に運営そのものを一体化させる努力をした結晶が「律宗」として生まれます。しかし、それでも「運営の論理と支配の論理」が交差するのです。
「集団=組織」の運営には、やはり金がかかります。ボランティア組織で会費制にしていても、大きくなると必ず桎梏が生まれます。本来の意味や意義を続けるためには「大きくしてはいけない」のです。かならず「運営の論理」は「支配の論理」に取って代わられるものなのです。
しまいには、「本来の意味や意義」は「飾り」や「よりしろ」に利用され、「組織の維持・支配の論理の堅持」が中心課題・目的・手段にすらなっていきます。現在ある巨大宗教団体でそれを否定できるところはまずないでしょう。小さな宗教団体は、そのことを知っているから本来の意味や意義に立ち返らせるために大きくしないようにしているのだといって差し支えないでしょう。
「支配の論理」で巨大化した宗教団体は、「資本の論理」と融合せざるを得なくなるから、「経済」→「政治」→「戦争」という「社会悪」の中で生き残ろうとして、もはや「本来の意味や意義」に退ち戻ることは不可能になってしまいます。それを最も象徴しているのが「世界政府」という代物です。そこに連動して、バチカン市国の「コンクラーベ」があり「世界マフィア」に糾合されている様々な巨大宗教団体があるという訳である。
「世界政府」→「300人委員会」→「各国支配層」→各国政府→「117・911・311・etc」という図式が見えてくるという訳である。
したがって、「117」と連動して「地下鉄サリン事件」「A少年事件」などが「謀略されていった」のである。しかもそれに「オーム」を引きずり込み・落とし込み・塗り籠みをしたのである。
「真相」が闇の中に隠されたままになっているのはこのような事情が押し隠されているからである。
「みんなが勇気を持って立ち向かわない限り、真相を公式に表面化することはできないでしょう。」
非公式には、今までのネット上でたくさんの人々が公開してくれています。その人々も命がけですから多くの人がそれを支えていくことを顕在化しなければいけないと思っています。ささやかですが、私がこれを書くのもその顕在化の役割だと思っています。
巨大宗教団体に参加している人々は、自分の責任としてこのことを考えていただきたいと思います。
by kanakin_kimi | 2013-03-20 10:51 | 八百万の神々


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