ヒッグス・シンドロームの終焉

ノーベル賞・シンドロームの極めつけ
 ヒッグス粒子の発見を演出した。これを科学と受け止めさせていいのだろうか。もちろん、加速装置を機能させる技術や関連の応用技術等全くの無駄とまでは云わないけれども。基本的なヒッグス粒子の存在証明が出来たという科学的証明の成立を認める事は出来ない。それでもあの研究所の研究予算が出るのであればそんな事はどちらでもいいと考えているのだろう。
 他のもっと有用な研究への予算の振り向けが何故されないのだろうか。アインシュタイン・シンドロームと同じ道を歩んでしまった。
元素が質量を一体のものとして存在するように、その構成体のいずれもがどこまでいっても、質を持たない量が存在する事は無いのだ。質がなくなるとき量も無くなる。ヒッグス粒子理論は「矛盾」の矛だけが独立して存在すると突詰めているようなものであり、盾だけが独立して存在するといっているようなものだ。「矛盾」は矛と盾が一体のものとして「概念が形成」されている。「質量」という概念はこれまた質と量が一体のものとして概念が形成されている。
 従って「量から質への転換」「質から量への転換」という「弁証法の表現」があるが、「量だけが独立して存在している」とか「質だけが独立して存在している」といっているわけではないのだ。詳しくいえば「ある質を持ったある量の量的な変化によって違った質に変化転換する事」をいっているのだし、「ある量の質が、質的変化によって量の変化転換をする事」をいっているのである。
 「実態真実」は、「空間に広がる、質量の連続」であり、「質量が、空間に広がり連続している」状態である。せっかく「CERN」に研究費をつぎ込むなら「人を殺す武器なんかを作るのでなく」、「細胞再生装置」を作ってはどうですか。あるいは、一台の検査機器で「人の目の見えている状態がすべてわかる」ものをつくるとか、他の全科についての検査が一台の検査機器で分かるようにすべきだろうと思うのである。そうすれば、行き着くところは「細胞再生装置」になっていくだろうからである。そうすれば全てが繋がってくる。
 宇宙的歴史においては、一世代的な進化論はもはや破綻しており、多世代的進化論・重層的進化論で認識しないと現実との間に乖離が生じている。
by kanakin_kimi | 2013-10-09 21:53 | 洗い出せ・そして公開せよ | Comments(0)


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