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ロスチャイルド・イルミナティを洗い出せ

「鎮魂」のうたが聞こえる 3 
真相解明のマニュアル 『神戸市小学生惨殺遺棄事件』
                                             発行責任者 金 澤 忻 二 
 
事件構造と真相解明の順序 
  どのような事件であっても、それがたとえ謀略事件であったとしても、その真相解明の作業は基本的には同じである。事件が発生するとき必ずさまざまな要因が絡みあい、事件というものの姿も多様に形成されていく。大きく分けると、二つに分けられる。
一つは、発生した事件と同時又はそれ以前に形成した事件群があり、二つは、発生した事件以降に捜査活動などとともに形生した事件群がある。
これらの事件群を、何を主にし、何を従にして見るかで変わってくるのである。事件の態様をしっかり見据えておかないと、主要事件からはなれて、枝葉の関連事件に振り回されることになる。

死亡事件の真相解明に当たって留意しなければならないことは、発生した事件群は多くの事件が縦横に重なりあっているので、これを『死亡時刻以前の事件群』『死亡時刻以後の事件群』に整理しなければ『死亡事件の真相』にたどり着けないということである。

ここで、正確な死亡時刻を求めなければならないことは当然のことで、常により正確な時刻へと修正していくことである。それに伴って様相はがらりと変わっていくことになる。したがって、死亡時刻のより正確な情報をとろうとしない捜査当局がどのような姿勢であるかは自明である。

たとえば、本事件の淳君が行方不明になった事件と頭部を切断した死体が発見された事件は、時間的経過から考えても別個の事件であるにもかかわらず、ひとつの事件として取扱われている。捜査本部を発足させた時期で「事件名」『神戸市小学生惨殺遺棄事件』を考えたという事なのであろうが、冷静に見ると辻褄の合わない問題が出てきて、発足当初から捜査本部内で捜査方針の分裂というおかしい事態が分かってくる。捜査のセオリーとして、死体解剖によって得られた「死亡時刻は食後5〜10分」という鑑定からの判断の相違である。
それは『鑑定された死亡時刻は昼食後5〜10分』を前提にして、淳君が死亡した日時を『5月24日13時40分』と認定したのは土師守氏の供述を根拠にしているが、それが正しいとする根拠も証拠も無いのである。ただ単に、淳君のお父さんが述べた供述を根拠にしているというだけで、家庭内における事故や過失の可能性を最初から排除しているのである。したがって、家庭内における事故や過失事件の場合の家族のアリバイ証明は証拠採用されないという原則を捜査側が一方的に逸脱して断定しているのである。
   さて、この事件で大切な事は、「土師淳君の死亡事実に関する事実認定である」つまり、『死亡時刻以前の事件群』に関する問題である。
 それにもかかわらず、大の大人達がよってたかって14歳の少年を犯人に仕立てていく手練手管が繰り返され、狂想曲が吹き荒れていたのである。心理学者を自称する人たちや物書きの人々が参加して、繰り広げていた論点はほとんど全てが 『死亡時刻以後の事件群』に対する論評であり、死亡事件の真相からますます離れていくのである。
  死体解剖の鑑定によって『死亡時刻』は胃の内容物が昼食に食べたカレーを示し、昼食後5~10
分と特定している
のである。土師家の休日の日常における昼食は12時少し前から行われていた。したがって、遅くとも12時30分には食べ終わっていたはずであるから、12時40分が死亡時刻となっていたといえる。仮に死亡時刻を5月24日の13時40分としても、24日10時間20分+25日
の24時間+26日の24時間+27日の5時間30分 =通算で 63時間50分の間隔(その間土師家周辺地域くまなく大捜索が行われている)を置いて頭
部やその後胴体部が発見
されているのである。

 タイムテーブルで見る 
1997年
5月24日(土) 学校は休みで、土師家の二人の兄弟は家にいる。通常12時には昼食をしていた。鑑定の食後5〜10分に死亡という事は、淳君は自宅にいる事になる。
13時40分以前に発端となる事件が発生 .13時40分以降第一ラウンドがはじまる. 20時50分警察に捜索願を出す 。 5月25日 (日) 終日大捜索 。5月26日 (月) 11時より公開捜査。5月27日 (火)  5時30分以前 頭部切断まで、虚構形成の第一ラウンドが終了 。
5月27日 (火) 頭部を校門に置く時刻以降第二ラウンドがはじまる。------------------- 
6月04日(水) 神戸新聞社へ犯行声明(第二挑戦状)。----------------------------------- 6月28日(土) 18時50分 A少年自宅を家宅捜索開始。19時05分 A少年を逮捕。-
21時35分 兵庫県警山下捜査一課長記者会見。24時過ぎ A少年自宅の家宅捜索終了。 7月06日 (日) 13時50分ごろ向畑ノ池の捜索で供述の金のこ発見 。-------------------
7月09日 (水) 10時20分ごろ―同上―ハンマーとナイフ発見 。------------------------
7月19日 (土) 『犯行メモ』の全容報じられる 。-------------------------------------------
8月04日(月) 午後神戸家裁第一回審判A少年認否保留・審判終了後精神鑑定決定。 以後10月2日まで60日間A少年の精神鑑定。--------------------------------------------------- 9月26日 (金) 『懲役13年』の作文が捜査当局より公表 。-----------------------------淳君が「13時30分に家を出た」という家族の証言の証明は成立しているか ------------死亡時刻から、死体が発見される時刻までの63時間50分はきわめて重要な意味を持っている 。死体の発見を遅らせることによって何かをしようとしたのか、それとも、何かをしよ
うとして結果的に遅れてしまったのか。そのどちらをも想定することができる。
それは死亡時刻を実際よりも遅らせるように偽装しようとした意図と、殺された場所をわからなくす
る意図が考えられる、しかし、冷凍処理をしたのは、死亡時刻とそれほど時間をおくわけにはいか
ないということの意図があるようでもある。

胴体部が発見された場所が、殺された場所でもあったとすれば、血痕や首の切断面などの状況が
示している事実の科学的な情報は、それを否定して、殺された場所から発見された場所へ死体を
移動したという事を示しており、かえって犯行場所を隠蔽しようとしていることの証明となる。そして
、死亡時刻から頭部発見までの時間がかかり、その割には腐敗の進み方が極めて少ないという事
実と首の切断方法やその器具、使用場所、などの想定される事実、さらに死体を移動するためには
明らかに死体を冷凍しなければできないという連関が合理的に合致することである。

行方不明の捜索という問題は、通常なら親が何度もなんども頼み込んでもその日のうちに30人の
警察官を専従で動員するなどの捜索をしてくれることは極めてめづらしいことである。----------------------------------------------------------------
これは、あらか
じめ事件の発生を確知している場合の状況判断を示しているようにみられる。
このような、異常ともいえる早い取り組みと24日・25日の連日行方不明者の大捜索を行い、26日11時からは公開捜査に踏み切るなど自治会にも働きかけた大々的な捜索活動が続けられていた
のである。そのような中を淳君の死体を何処かに隠しつづけていたことになるのである。

しかも、何回も捜索され直前まで人の目が入っている現場で、死体を発見させるという瞬間移動を
やってのけているし、発見した警察官をどういうわけか表彰までしているのであるから、これはもう一般人のなせる業ではないことが常人の目にははっきりしているのである。-------------------------------
しかし、警察はこれを、14歳の少年に押し付けた。A君が逮捕され、両親から隔離され、弁護人か
らも弁護されない絶望の淵に立たされた中で、筆跡鑑定の虚報で自白を強要して、その自白のみ
で、犯人だとされた事件がある事。

淳君が家を出たとされる時刻13時30分以前にはなにもなかったのであろうか。------------------------------死亡時刻が13時
40分だとされている。この10分という時間は何を意味しているのであろうか。---------------------------------------------------------------------------  また、黒い自動車と不審人物や黒いポリ袋を持った男を目撃している情報が示している事件がある
事。------------------------------------------------------------------------  C少年は本当は自分の趣味で書いていただけなのに、その作文を不当に利用された事件があった
こと。C少年にたどり着いた捜査官と、C少年を捜査方針からはずそうとする捜査官との落差を感じ
させる。そこに何があったのか。--------------------------------真相を報道しようとした記者が、そしてまた、真相をつかんだ警察官が別のセクションへ左遷され
また右遷された事件がある事。-----------------------------------------------  A少年が犯人ではないことを示している捜査情報の記録を隠滅・削除された事件がある事。ーーー  など等、さまざまな事件が縄のようにあざない織り成しているものと知るべきである。

したがって、このようにさまざまな事件の絡み合いは、乱暴な言い方をすれば、良識の人と悪意の
人との相克を表している。
また、言い方を変えれば『真相を解明しようとする人と、真相を隠滅しようとする人との相克が、す
べての組織やセクションで、展開している。』ということになる。
権力を持ち、真相を隠滅しようとする極少数の人たちが、多くの消極的な協力者や、いやいや協力
せざるを得ない人びとを、その足許につけこんで組織している。真相を解明しようとし、それを報道・
捜査しようとする人たちを排除することによってなしているということである。
もう一つの事件構造  ーーーーーーーーーーーーーーーーー 
 事件の真相解明をするために、もうひとつの『事件構造』の見方を整理しておく必要がある。土師
淳君が行方不明になり頭部が切断された死体で発見された事件、これを(発端となる事件)=
神戸市小学生惨殺遺棄事件』 というものと、A少年がその事件の犯人として逮捕された事件、これを(冤罪事件)=『神戸事件』 というこの二つ事件に大きく分けられることから、この”発端となる
事件”と”冤罪事件”とを明確にわけて考えるということである。
そして、『発端となる事件』の真相を解明することを何よりも優先することである。---------------------------------------------------------------------  ここで再度確認をしておかなければならない。それは、淳君の死亡時刻を特定するためには死体が
発見され、解剖鑑定がされなければならなかった。------------------------
そして、県警は捜査本部を発足するとともに『神
戸市小学生惨殺遺棄事件』と命名した。即ち、県警はこの段階で『死亡時刻以前の事件群』と『死
亡時刻以後の事件群』を既にひとつの事件として取り扱おうとしていたのである。

鑑定結果では、死亡時刻を昼食後5〜10分とみていたにもかかわらずである。----------------------------------------土師守氏は淳君が家を出たのが13時30分
という供述をしていた。--------------------そこで、昼食後というのと家を出たというのが重ねられて、死亡時刻を13時
40分と考えたようである。-------------------------------------------------------------------------------昼食をとってから死亡するまでどれほどの時間が経過し、さらに冷凍処
理されるまでにどれほどの時間が経過したか解剖のデーターからわかるはずである。------------------   冤罪事件の真相解明とは発端となる事件の真相解明をすれば、おのづからその真犯人が明確になり、同時に、冤罪事件の
真犯人も明らかになってくるのである。しかし、順序を間違えると真相解明はできない、あるいは遠
回りをすることになる。
ですから、あくまでも真相解明とは『発端となる事件の真相解明』でなければならない。---------- 再度言う、『発端となる事件』の真相が解明されたとき、その『真犯人』が明らかになる。そして、『
冤罪事件』の『真犯人』も明らかになる。-----------------------------------  ところが、これによって直ちに冤罪被害者が無罪になるわけではない。とりわけ、裁判で確定してし
まっていると、現在の法律では再審請求審で裁判のやり直しの決定がされなければならない。
しかし、再審開始の要件は、新規にして明白な証拠を求められている。
たいていの冤罪事件は、捜査当局の誰かが証拠を捏造しており、検察当局が自分たちの都合の
いい証拠しか法廷に提出していないので、全証拠の全面的な開示をしない限り、真相解明を裏づ
ける証拠の発掘が困難である。
捜査活動の中で収集された証拠物の全面的な開示をしないということが、明白な証拠の隠滅であ
るという認識がない。このことが冤罪を発生させる構造的要因のひとつである。そして、時間が経
過していて、新規の証拠を掘り起こすこともできない仕組みになっている。------------- これらの本来、不当で理不尽な事が現在の法律体系ではまかり通っているということ。また、新聞・
テレビ・ラジオなどがうその報道をして、一般視聴者への刷り込みを行っていること。無罪になって
も、うその報道の責任を取ったためしはない。------------  さらに、一般視聴者が批判的に物事を見る努力をせず、警察の言うことや、それを報道する新聞・テ
レビ・ラジオの言うことを鵜呑みにして、いわゆる追い込みという、被疑者を犯人と思わせる世論を
形成することに加担してしまい、-------------------------それを背景にして警察が被疑者を安易に逮捕しやすくしていること。--------------------  警察・検察はそういう世論につけこんで、何でもありに拡大する。冤罪者を絶望させ、孤立させる。
そして、『自白』を誘導する。これが落とし込みである。----------  裁判官は、真相解明の訴訟指揮をせず、手続きの体系を後生大事にして、そこから人間を排除して
、無実の人に、有罪の烙印を塗り込める。法込みである。----------------  どのようなところでも時間もかかるし、金もかかることは誰でもわかっていることである。予算がない
場合の問題はそれそのものの問題として社会的に明らかにすべき事である。それをせずに問題の
すり替えをしている。予算がないからといって冤罪者ををだしていいという理由にはならない。--------------------------------------------------------  犯罪被害者とは、当事者だけでなくその家族や縁者にまでいたっている。この事実は明らかにされ
てきたが、冤罪被害者というのも当事者のみではなく、家族やその縁者にまで多大な被害をおよぼ
していることを明らかにしなければならない。-------------  そのほか、多数の事件が縄のようにない混ぜながら発生しているところにも多くの被害者がいるこ
とを忘れてはなるまい。それらすべての被害者は泣き寝入りするのでなく、損害賠償の訴訟を、ま
づ、起こすべきで、その勇気をこそ広げなければならないのである。

これらの冤罪事件が発生することに関わる真相解明は、『発端となる事件の真相解明』の後行うと
いう自主規制のイメージを持ち続けながら解明することである。

そして、なによりも『冤罪事件の真相解明』の目的は、二度と冤罪事件を起こさせないことであり、
冤罪事件を起こさせない法的予防保全と事前の市民による批判能力再生産の態勢を作ることにあ
る。 ------------------------------------------------------------ 
鳥瞰して観る



  
   昼食をとった後10分間の行動範囲は限られたものになる。家を出た後すぐに自動車に乗せられたのであれば、自動車の行動範囲に広げられる。しかし、自動車の 車内で首を絞められたのであれば、その行動範囲はさらに広がることになる。
  
   しかし、淳君が死ぬまでの殺害犯行時間は認定によれば、この10分間だけなので ある。A少年でなくても、大のおとなでもこれは無理であることが歴然としている。
 そうであれば、その出発点である13時30分に家を出たというのは証明が成立しているのかどうかがきわめて重要な問題なのである。
  
 この証明が成立していなければ、土師淳君が家から出てはいないという問題になるのである。しかし、それなのに今まで問題にされていない、ここが重大な盲点ではないだろうか。------------------------------------------------------------------------------------------------    
5月24日(土) 13時30分は事件の真相と虚構を分ける時間の分水嶺 昼食のカレーを何時ごろから食べ、何分に食べ終わったのか。昼食時刻は死亡時刻と重なり、犯行時刻と重なるのである。つまり、12時30分に昼食を終わったとすれば、死亡時刻は12時40分ごろになり、同時に犯行時間帯は 12時40分よりも前になるわけである。
                           
  昼食が何時にとられたのかということは、この事件では決定的に重要なことである
事が認識されるであろう。それにもかかわらず、この問題に対する捜査が何故行わ
れなかったのか、24日は学校が休みであり、普通なら昼食は12時から取るであろ
う。カレーであるから、おそくても12時30分には食べ終わっている。こんなことは、基礎捜査でやらないはずはないから、その捜査情報を抹殺したのであろう。
おそらく、捜査内部での激論があり、結果として捜査情報の抹殺とともに捜査官も
排除されたのであろう。------------------------------------------------------------------------------------    
土師家の食堂が場所の分水嶺
土師守氏は、13時30分ごろに家に帰ってきたとつぎのように述ている。
「子供たちはすでに大好きなカレーライスで昼食を済ませていた。わたしは、妻と二人分の竹の子弁当を近所のお弁当屋さんで買って帰り,この時、食べ終わっていました。」「あの日、私は竹の子弁当を買ってきましたが、淳に、”食べるか?” と聞いたら ”うん、食べる”と言って、私の箸から直接、竹の子やおひたしをもらって食べたものでした。」
 この土師守氏の話にはなんとも不思議な感じを禁じえない。カレーは誰が作ったのか何故、「妻と二 人分の竹の子弁当を買ってきたのか」「妻はカレーが食べられないのか」『このぎりぎりの時間の接点は何なのか。』「何故、竹の子弁当を買ってきたのか」疑問が噴出してくるのである。

  
 淳君の胃の内容物の中に弁当のおしたしの菜の花は本当にあったのだとすれば、守氏が家に帰ってきた時刻が13時30分で、菜の 花の入った弁当を買ってきたのも間違いないとしたら、土師守氏が家に帰ってきた時刻は、本当は12時30分以前であったという可能性も考えられるからである。 
『5月24日』を隠すためにとられた「挑戦状」

  
 タイムテーブルを整理していると、基本的で重要な事実がするりと抜け落ちている ことに気がつく。それは、5月24日の土師淳君の行動や、A少年の行動について 分刻みのタイムテーブルを作らなければならないところのものなのだが、それらは ほとんどかかれていないのである。「5月27日の異様な事態、異様な状況、異様な頭部、それぞれが”みんなの頭から”5月24日を真っ白にしてしまっているのだ。」   それらの異様さは、まさに”みんなの頭から5月24日を真っ白にする”効果を目
 的にしたものであったと思うのである。

  
 それにとらわれた捜査・報道そして、世論のみならず、救援活動すらも彼らの手に 踊らされたといっても過言ではない。それほど彼らはそれぞれのセクションに人材
 を配置していたのである。そう考えなければつじつまが合わない。

  
 通常、親たちが自然に子供の日常を語るものだが、土師淳君の「生存証明」が消
 されているということである。淳君が朝起きてから昼食までの間はどこで何をして
 いたのか、昼食は何時、どこで、どのようにしたのか、父・守氏はどこへいっていて 、どこから帰ってきたのか、母の声が聞こえてこないのはどうしてなのか、今も私
 には淳君の母親の声は聞こえてこない。これがわたしに土師家の異常さを感じさせたのである。 
土師家で”事故”がおき、淳君はいえをでていなかった?

  
 5月24日昼食後、土師淳君が家を出ていなかったとすればどうなるのか。こうい うことが考えられない理由や根拠があるのか。

  
 家族が警察には出て行ったといい、行方不明になったと大々的な捜索活動をさせた のである。そしてそれ以降の事件が発生したのである。

  
 こうかんがえると、見えてくるものがある。-----------------------------------------------    淳君の父土師守氏は、1998年8月26日神戸地裁に事件の真相解明のために A少年の両親を相手に損害賠償の民事訴訟を起こしている。しかしこれは、A少年の両親というより、弁護士から和解の申し入れをして、土師守氏側もすんなり受け入れているのである。------------------------------------------------------------------------------------------------
 土師守氏本人が「真相解明のために提起した民事訴訟」であったはずである。そして、A少年側にとっても「真相解明の絶好の場」なのに、という思いがある。それなのに、公判第一回めから弁護士が出席していないというのはいったいどんな理由があるのであろうか。------------------------------------------------------------------------------------------  つまり、A少年側から和解の申し入れをさせることによって、一億四百万円は不問 にすると言うものである。誰が「真相解明の絶好の場」を一億四百万円の損害賠償に応じてまで失う馬鹿がいるものか。絶望の淵に立たされているものに追い討ちする「損害賠償請求」なのである。--------------------------------------------------------------------------------  ようするに、「真相を究明する会」などにA君の両親と一緒に民事訴訟でやられる 前に布石を打ったという見方をすればいいのではないだろうか。  
 土師守氏の友人に山下氏がいないか 、山下彩花ちゃんと山下征士氏が、どこかでつながる糸でもあるのか。
    
兵庫県警本部長と刑事部長との間で生じている捜査内部の真偽の相克

 公安出身の兵庫県警本部長が刑事部長に相談もなく公安を動かしたことで、対立が生じていたといわれている。これも実はきわめて早い段階からであったのではないか と思われる。--------------------------------------------------------------------------------------------- ――― 密かに公安が動き出した ーーー  
『5月24日12時40分に土師家で事故が発生した。13時30分に自宅に帰った土師守氏が呆然としている妻を慰めながら、考えた。そして、山下氏に相談した。そこで、山下氏は上司の刑事部長ではなく県警本部長に相談した。
  
 そこで、―――県警本部長は公安調査庁の発想でこれに対処することにし、少年法 改正にとりくむレヴェルでの根回しをしながら、対処法をつくらせ、その部隊を動かした。 彼らの日常的な謀略策定計画の機は熟していたのであろう。土師守氏に対しては山下氏のほうからすべてを私に任せろと因果を含めたのだろう。 相談が終わった20時50分直ちに、警察への捜索願を出し、自治会など大々的な捜 索が始まった。

  通常では、行方不明の捜索には重い腰の警察が、すぐに30名の警察官を動員する ほどの対応をみせた。戒厳令下のような雰囲気の中で、密かに公安の部隊が動き始めた。「淳君の遺体を箱詰めして近くの大きな冷凍庫を持つ会社または病院に持ち込まれ たか、または、冷凍車を横付けして車に運び込んだ。」』--------------------------------------  
 このように考えると私には極めてすっきりと、謎がなくなっていくようにおも われる。

by kanakin_kimi | 2013-11-10 21:36 | A少年事件


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