戦争の終焉
災害は、「自然災害」と「社会災害」に分けられる。
「自然災害」は、「森羅万象の精霊」が司り、「社会災害」は、「八百万の神々」が司る。それらは、いわば「楕円態運動の二つ以上の焦点」に位置しているという事ができる。それは、奇妙な事であるが「認識する事が出来るものによって初めて表に取り上げられるようになった」。実態真実である全ての自然界であり、全宇宙の事物・事象もそれを認識し表現する事が出来るものが無ければそれは「有」であり「実態真実」であるのに「無」でしかない。
人類が「実態真実」に働きかけて、「仮想真実」を形成し、「仮想真実領域」を拡大してきた。
それは、奇妙な事であるが「認識する事が出来るものによってはじめて表に取り上げられる。」そこに、「未知との遭遇」という「森羅万象の精霊と八百万の神々」を配する「知恵」がある。
日本人は、それを「敬い・尊崇」するけれども、決して「自立・自助」を放棄しない。そういう考えと覚悟を伝えている。それが伝統の民俗芸能の中に伝えられている。それが「俳句・短歌・連歌」の中に伝えられている。「もののあわれ」であり「風雅の誠」であると私は受け取っている。
だから、「自然災害」と「社会災害」に対する「戦略的災害対策」というものは、
1)、みんなが賢くなるようにする事。
2)、みんなが賢くなる為に、必要な事を統べてやる事。
これだけである。あとはこれの後についてくるからである。