ロスチャイルド・イルミナティを洗い出せ 110

戦争の終焉 ・ 気
 もう20ねんほど前であったろうか、丹波の篠山のある神社の前の広場の「能舞台」で「薪能」が開かれるというので何をするのかと見てみたら、「蝉丸」を演ずるというのである。すぐに予約を取った。
 能という芸能について直接には見た事が無かった。ただ「風姿花伝」を観世流の創始と云われる「観阿弥と世阿弥」が残しており、宮本武蔵の「五輪書」と同じように、また、鴨長明の「方丈記」や松尾芭蕉の弟子・服部土芳の「三冊子」、向井去来の「去来抄」などに、それぞれの分野で極めた作法や世界観が書き込まれている。
 その丹波の篠山での翌年の5月だったか、もう秋になっていたか忘れてしまったが、件の神社の能舞台で「蝉丸」を演じている「能役者の気迫」は凄まじいもので、かがり火の光が揺らめく中でその気迫の「気」が観客をズッズッズと覆うっていくのであった。なるほど、能役者というものはこの「気」の使い方を知らないものはいただけないなという事を、その後の能見学で知る事となった。
 あれほどの凄まじい、素晴らしい能をいまにいたるまで、もう見てはいない。気を発する人は、観客が発する気を感知しているのかもしれない。私が能役者を凝視していたのも事実であり、私が能役者を丸ごと受け止め把握しようとしていたのも事実であった。そういうときの私は、自分のオーラを発してその上に能役者の発するオーラを掴もうとしているように思っている。それを感知して、かの能役者をして発するオーラを増幅させたのかもしれない。



 昨年11月の「園遊会」で、新しく議員になった人が平成天皇明仁さんに手紙を手渡しての直接の訴えをした時のことである。侍従がその手紙を素早く受け取った時のことである。私には、ひったくるような感じがしたのである。その時、一瞬あの「凄まじい気」が発せられたのである。
 それが、「侍従の発した気」であったのか、それとも「平成天皇明仁さんの発した気」であったのか分からない。平成天皇明仁さんの顔は柔らかな顔に戻っていたからである。
 その「凄まじい、一瞬の気」は、議員に向けられたものではなかったと私には感じられた。だとすれば、その「凄まじい気」は「侍従に向けられた」ものではなかったのだろうか。いずれにしろ、あの「凄まじい一瞬の気」は、あの能役者の気にも似て、相当の手練と思われた。
 
by kanakin_kimi | 2014-01-26 23:28 | 洗い出せ・そして公開せよ | Comments(0)


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