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六巣チャイルドイルミナティを洗い出せ

トランスメディア提供アイコン01・はっちのブログ からの転載である
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IBM PCの父とされる、ドン・エストリッジは欲がなく悲しい
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Windowsパソコンのルーツをたどっていくと、PC DOS(MS-DOS)が搭載された「IBM PC(とその互換機)」が祖先となることも、多くの方がご存じのことと思う。

そんなIBM PCの父とされる、ドン・エストリッジ氏(以下敬称略)である。
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エストリッジはフロリダ大学で電気工学を学び、卒業後はIBMへ入社した。同社でプログラマとして活躍していたが、1969年にIBMボカラトン研究所へ異動となり、研究職を続けていた。

そして1980年、パソコンが盛り上がりを見せてきた。IBMもパソコン市場への参入する機会を狙っていた。ボカラトン研究所でも、所長のウィリアム・ロウが先頭となり、パソコンの新規開発プロジェクトを秘密裏に進めていた。エストリッジは自ら希望してそのプロジェクトへ異動した。

エストリッジは個人的にAppleIIを所有していて、既にパソコンに大きな興味を寄せていた。

そのプロジェクトは当初、わずか14人のメンバーで進められた。メンバーはもちろん足りない上、全くの新規事業だったが、IBMは彼らに短期間での成功を求めていた。そこでエストリッジは、パーツの自社開発をハナから諦めることをロウに進言した。規格を公開して他社パーツを作らせて組み立てる「オープンアーキテクチャ方式」を選んだのだ。この方法にはロウも納得し、ゴーサインを出した。様々なパーツが集められ、PCは組み立てられていった。結局そのチームがIBMとして直接開発したのはBIOSのみだった。OSですらMicrosoftに外注したが(それがPC DOSである)、そのMicrosoftもOSを外部調達してちょっとした改修をした上でIBMに提供したというのだから面白い。

 また、これまで個人ユーザへ製品を発売したことのなかったIBMは、販売ノウハウも持たなかった。エストリッジはアメリカの家電小売店と流通について提携を進め、誰もがIBMのパソコンを購入できるようなお膳立てもした。そして完成したパソコンが「IBM PC」だ。

プロジェクトが開始してからわずか1年での市販化は驚異的なスピードだ。1981年、発売に際してエストリッジはIBM PCの発表会に登壇してプレゼンを行ったのだという。IBM PCは売れに売れた。IBMはいきなり計画した5倍もの受注を受けることとなった。

 エストリッジは製品発表会以後有名となり、パソコン雑誌の表紙を飾ったり、インタビューを受けるような立場となった。すると、他社から引き抜きの声もかかるようになった。その最たるものが、Appleのスティーブ・ジョブスからの誘いだった。数百万ドルの報酬と、Appleの社長の地位を提示してきたのだ。しかしエストリッジはその誘いをあっさり断ってしまう。IBMに愛着があったのだろう。

 その後エストリッジは、プロジェクトを成功させた功績を買われ、1984年にIBMの副社長へ抜擢された。ところが運命のイタズラは恐ろしい。翌1985年に彼の搭乗した航空機がダラス近郊で墜落し、突然に亡くなってしまったのだ。残念ながらエストリッジは、その後のパソコン市場がIBM PC(と互換機)一色になっていく様子を見ることはなかったのだった。ちなみに、エストリッジ以外のプロジェクトメンバー数人も同航空機に乗っていて亡くなっている。残念なことだ。

 そして、既にIBMはパソコン事業から撤退してしまっている。もちろんそのエッセンスは未だにWindowsコンピュータの中に脈々と生きているが、IBMブランドのパソコンはもう存在しない。もしIBMを愛していたエストリッジが存命だったら、歴史はどうなっていただろう…そう思わざるを得ない。

1938年 アメリカ・フロリダ州にて誕生。
1959年 フロリダ大学電気工学科を卒業。卒業後はIBMへ入社。
1969年 IBMボカラトン研究所へ入所。
1980年 ウィリアム・ロウ率いるIBMのパソコン開発プロジェクトに参加。
1981年 IBM PCが完成。全米で発売開始。
1984年 スティーブ・ジョブズに引き抜きかけるもそれを断り、IBM副社長に。
1985年 航空機事故で亡くなる。
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1985年8月12日に日本航空123便が墜落した事件があり、その10日前デルタ航空191便が着陸直前に墜落するという事件があった。
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 この二つの事件を『連続大量殺人事件』として扱った報道を見たことがない。
軽井沢の広大な敷地を購入した人物がある。マイクロソフトの創業者である。名前は確か「ビル・ゲイツ」といったっけ。何故彼が軽井沢に土地を買っているのか。一説では、「イスラエル国」がなくなるからであるそうな。
 イスラエル国を造ったのは、「ロスチャイルド・イルミナティ」である。そして、イスラム国を造ったのも「ロスチャイルド・イルミナティ」である。イスラエル国を強引に造ったことによって、どれほどの戦争が行われ、どれほどの人間が殺されていったのか。そのぼろが出るとき、「イスラム国」が作られていることに世界市民は大きな声を上げるべきだ。もはや、「イスラエル国」を必要としないほど『基地という名の分国』が秘匿されたまま存在している。一番新しいのがオーストラリアのアボリジニの聖地にある『エリア52』なのであろう。
 そして、今、日本の聖地が狙われている。江戸城をはじめとした、風水の技術により縄張りされた地域と自然の要害ピラミッドである。だから金に飽かせて侵略をかけている。尖兵は中国人や韓国人在日朝鮮人・モンゴル人である。もちろんその後ろにいるのはロスチャイルド・イルミナティなのである。何故日本の聖地を狙っているかというと、「やつらの舞」で『支配のシンボル』をうばいたいからである。しかし、やつらにはわからない。やつらには、古代イスラエルの妄想から抜け出すことができないからである。何故日本が今日まで続いているのかということがわかっていないからである。
 1947年のロズウェル事件で、おきたことが2017年に70年となる節目を気にしている人々がいる。日本のほぼ全体の人々にとっては、どうでもいいことなのである。むしろ、1985年8月に起きた事件の30年目に当たる2015年8月は重要である。
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by kanakin_kimi | 2015-07-27 10:40 | 洗い出せ・そして公開せよ


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