真実の構造

「真実」は、「実態真実」と「仮想真実」がある。

ロマンティストは、「真実は一つである。」という。よく聞く言葉である。しかし、「真実は一つ」と考えている人には「真実」をつかむ事は出来ないと思うのです。

「蓮華が泥沼に根を張っていてこそ、あの大きな花を咲かせる。」という事実を「例えばなし」にされるように、水面を境にするか、あるいは「表」と「裏」の境にするか、いづれにしろ「人の思い」の「様々」はそれぞれ「真実」なのである。それが「まちがっていようが」「まちがっていなかろうが」「そう思っているという事実は真実なのである。」

それは「実態真実」ではなく「仮想真実」なのであろうか。いや、これは「実態真実」と「仮想真実」の複合と云った方がいいだろう。というのは、「人の思い」というものは時々刻々変化する。物体としての身体というものの変化と、精神としての認識というものの変化の違いがもたらしているからではないだろうか。
by kanakin_kimi | 2005-06-26 13:51 | 特殊相対場論


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