ある家庭で、「事故が発生し、子供が死んだ」。
その事故は、「なかったもの」とされ、「殺人事件」が「捏造」された。
殺人事件には「犯人」が必要だ。「犯人」がつかまらなければこの事件は解決しない。
そこで、「犯人」が作られた。
この「捏造」が「真実」として、公判を維持できるものにしなければいけない。
そのための「犯人像」に使われるのが、「少年」であり「障害者」である。
このような、「捏造」が罷り通る社会に発生するのが「狂気」である。
「狂気」が先にあるのではなく「捏造が罷り通る」事実がかならず先行しているのである。
「ゆき麻呂事件」は、この類ではないのか「危惧」している。