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「写楽」鎮魂 1

「北斎」は、安永7(1778)年、勝川春章の弟子になり、翌年「勝川春朗」で役者絵数枚を発表デビューしている。
鳥居派の役者絵が誰を見ても同じパターンの顔に描く形式主義であるのに対して、勝川派の役者絵は役者その人を描く、写実主義である。

「写楽」の役者絵は、「役者の姿絵」というより、「役者その人」を描き、しかも、その所作・所作の瞬間を凝視して、その瞬間の怒り・悲しみ・等の想いの「気と情念」を描き出して見る人の心を鷲ずかみにしている。
それは、勝川派の写実主義をはるかに超える絵となっている。

勝川春朗はデビューして15年、それを寛政5年末頃までにどこかで見たのであろう。その後勝川春朗は役者絵から撤退する。

その絵には「写楽」という名はなかった。その大首絵には役者の名と役名がかかれ、瞬間の情念が描かれ、その役どころなどの説明や模様デザインが記されていたのではないかと思われる。
したがって、その時のものは黒きら刷りではなかった。

東州斎写楽の名が書かれ、黒キラになっているものがその当時のものではないのかと思っている。黒キラがはげ落ちたその下に、それが現れてくる。
by kanakin_kimi | 2009-01-13 10:07 | 写楽鎮魂


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