カテゴリ:特殊相対場論( 30 )

自然というものは、実はない。一定の原理や法則で規定された一定の領域がある。

真実を見極めるために考え出した『ものの見方・考え方』それが『特殊相対場論』である。
わたしたちは、自分が生きている現実を正しく認識することができているだろうか。
『現実』は、絶え間なく、次から次へと事象が現れ、その一瞬一瞬の全てを認識することが不可能であるのに、次から次へと続いていくのである。
この、絶え間なく、『次から次へと現れる事象』の全てを認識しようと頑張り続けた人は、生きていくことができない状況に追いやられる。精神的混乱を招き、思考回路の破壊をすることによって、生命を守るという方法をとるか、生命を断つかの岐路に立たされる。
だから、大方の人は自分の限界を見越して、『次から次へと現れる事象の全てを認識しようと頑張り続ける』ことを辞めるのである。
その『自分の限界を見越して辞めるやめ方』の違いが様々な人を生み出している。

写真のような風景画を『一瞬にして記憶し、描き切る』能力は、『サヴァン症候群』といわれている。



by kanakin_kimi | 2017-05-25 11:00 | 特殊相対場論 | Comments(0)

太陽系システムが実現した時、原初地球が誕生した

その時、弥勒は生まれた。
56億7千万年前『太陽系システムができた』。そして、それから56億7千万年後の今『弥勒が生まれている』ということだ。釈迦やキリストやヤハヴェなど現在の宗教の源流をなすものは多寡だか1万年以内のものであるので、この中に含まれているのだ。だから、こまごまと『異をつくるな』ということである。

弥勒とは『森羅万象の精霊を敬い、生きとし生けるもの・死にとし死ぬるものすべてを八百万の神々として尊崇する生き方をする者である。』

人類は、先人・先達のおかげで、太陽系システムが創られ、各惑星に『地底生活環境をつくって、生きてきた。』
しかし、認識形成の相違・齟齬・発達過程の未熟さが『諍い・戦争』を克服することができずに幾たびか戦禍を作る結果になった。認識形成のアンバランスが戦争をもたらしていた。

みんなが弥勒になることが戦争終焉のマニュアルなのである。
つまり、みんなが『森羅万象の精霊を敬い、生きとし生けるもの・死にとし死ぬるものすべてを八百万の神々として尊崇する生き方をする者』になることである。

地球の地表生活環境はいつから可能になったのか
20数億年前に、大陸移動が始まったと考えられているところから、
海洋底拡大・潮流の全体化・潮汐の全体化・気候変動と四季循環・海水浄化・大気浄化などが行われてゆき、生命の地表における生活環境が徐々に整っていったようである。
これまで地底生活環境にいた人々が、地表に出ていく準備を始めていく。
南米大陸各地に巨大地底都市空間があるといわれている。近年各地でピラミッドが発掘されてきている。それもエジプトのピラミッドよりも古いようである。
ピラミッドの地下深くに地底都市に通じる地底回廊がつながっているかもしれない。というのは、地底から地表に出ていく過渡期にピラミッドが創られているのではないかと考えるのである。
つまり、ピラミッドは地底都市回廊と地表生活空間を結ぶ出入り口であり、UFOとの連絡標識であり、ピラミッドの機能が何を示すのかわからないけれども、ピラミッドエネルギーとフリーエネルギーが連結されているかもしれません。
もしそうだとすれば、ピラミッドの意味合いも建造年代もはるかに古くなるのではないかと考えられる。
それは、地底生活システムから地表生活システムへの移行を行うための準備のシステムではなかろうかと考えるのである。




by kanakin_kimi | 2017-05-06 22:54 | 特殊相対場論 | Comments(0)

世界の仕組みを認識する方法

真実を見いだすのが学問

 私たちの生きている環境の仕組みを知る事が、生きる上で大切な情報である。その、環境の仕組みを知る事の全てが学問である。知る為の下ごしらえの方法と、知った情報の整理の仕方・応用の仕方も学問である。学問は、全ての事を知る事が出来るまで続く勉強である。しかし、一人の人間が全てを知る事は不可能である。だからそれぞれが分担して行う分業が必要になる。その分業の結果としてのスペシャリストが必要になっても、スペシャリストが全てを知っているわけではない。だから、お互いに分担している事の自覚が必要である。したがって、専門家とか学生や学者という概念は終焉するのである。何故なら、「みんなが賢くなる社会への移行」の転換期に当たって、今までの「支配の論理」で構築されてきた「学問大系」とそれにより作られた「諸概念」が、「みんなが賢くなる事を妨害している体系」となっているからである。その最も明確なものは「法学」であり「歴史学」である。また、「資本の論理」で構築されてきた「学問大系」が、「みんなが賢くなる事を妨害している体系」となっているところがある。それは、分業による効率化が切り捨てたものであり、スピードアップの為にきり捨てた「すべての人が総合能力を身につける事、をあきらめさせ・放棄させたシステム化」であり、「差別化システム」「階級分化システム」である。それらは、分担分業という概念を利用しての分裂支配・階級差別の再生産をしているのである。それを一言でいえば
 「みんなが賢くなる為の学問大系」を目指す時に、それを妨害しているものの全てである。
 したがって、それを改革していく事が求められているのである。そして、実は、それはもうずっと以前から少しづつ進行してきたもので、人々の行動が先行しているのである。
それがどんどん増えて、量的拡大をし、今、質的な転換期を迎えてきたのだ、と私は認識している。
 さて、「みんなが賢くなる為の学問大系」というのは、これからみんなで作っていけばいいのだがおよそ次の三つに分けて考えればいいのだ。1)、知る為の下ごしらえ ー 知る為には、言語・書き方・伝え方・描き方・選び方・記録方法・サンプル採取方法・道具の作り方
2)、知ったことの整理 ー 入手した情報を整理する為に、分類・保管・出し入れの方法・その道具の作り方
3)、知ったことの応用 ー 全ての応用の仕方
 きわめて簡略に取り上げてみた項目である。学問を身につける為に分かりやすく受け入れられるように工夫したのが「学校の小・中・高・大」という順番である。国によって違うであろうがおよそここに落ち着いている。
知る為の下ごしらえ 
 識字能力、本を読めるようにする事と書く事が出来る能力は、学問を始める最初の仕事である。小さい時にその基本をしっかり身に付けておく事が大切ですから、それが基本になるのである。だからといって、「環境の仕組みを知る」情報の獲得は当然大切な基本であり、獲得しやすい順序で進められる。多くの情報を提供するのを優先するのではなく、認識を自穫的に高める為に何が必要なのか、適切に提供できる準備と見守りが重要だと考える。自己の総合能力を獲得する事の重要さを体で知っていく事が大切である。幼年の間は、体を動かして獲得するのが基本である。したがって、五体で認識を獲得する訓練を優先する事である。便利なものを先に使うと五体で獲得する事による大切さを失う事になるのである。
知ったことの整理
 
ーーーー書きかけ中
by kanakin_kimi | 2014-01-05 21:34 | 特殊相対場論 | Comments(0)

特殊相対場論 12章

  私の宇宙観 12章 を再び送ります。

日本列島住民が、どうして自己確立に対する追求をやめてしまうのか、
その一端を前回、前々回に「政治文化の分水嶺」「対立の回避」「原理的
追求の放棄」などの言葉を使って述べたつもりです。
もちろん、その内容について、具体的な検証、実証を展開できていない
ので、観念的に流れていることは充分承知しているつもりです。
しかし、先を急ぎ、「原理的追求」を放棄してはいけないこと、「原理的
追求」をすれば必然的に対立が生じるものであり、その「対立を回避」
せず、それに立ち向かっていくことこそ「自己確立」そのものであるこ
と、そして、にもかかわらず、「個々人は、現実にその政治文化に慣れ、
あるいは、馴化した人々との関係として日常生活を共有している。」と
いう厳然たる事実の中で、どうすればいいのか方法論はさておき、「原
理的追求」の私自身が現在到達した結論を述べたいと思います。
それは、いわば「整理学」であり、宇宙の全ての根源に通貫する「原理
」として私には認識し得るが故に「私の宇宙観」とする所以のものです。
と、1984年2月29日に記し、当時、秋原さんが主催する「ケムンパス」に投稿した。その際に12章を添付した。
22年後の2006年2月7日より27日までにわたって、以下のように整理し直した。

その後「真実」とは何かを追求した結果、「真実には様々な構造があること」と、それは「人が認識するそのことの構造によるものであること」をみることができた。
そこから「実態真実」(Substantial truth)と「仮想真実」( virtual truth )に分けて考える必要があることが認識された。
我々は、往々にして「真実は一つ」とする考え方をとる傾向があるが、それでは、「真実以外は全て虚偽」という考え方に狭隘化するのである。その原因は、「実態真実」を人が「認識する時」に生じる「時間のずれとゆがみ」にあり、その反射として、「真実のシンプルさを求めて」「真実は一つ」というのであろう。
しかし、それは「ロマンティストの文学的表現」としては済まされても、「真相解明」にはむしろ弊害を生じるところとなっている。
たとえば、「虚構の中に在る真実を見抜けない」ということ。「認識すること」自体が【 「実体」を「サンプリング」して扱える大きさに調整し、様々な方法で分析して「データ」を集め、実体の真実をデータで再構成するのである。】それが「仮想真実」である。
「虚構」というのは、「真実のデータ」や「虚偽のデータ」を「綯い交ぜた構成態」で、これが「仮想真実」の「構造」なのである。
そこで、「実態真実」とは何か、「人が通常言う真実とは何か」を「的確に定義づける」必要がある。
「実態真実」 ( Substantial truth )とは、
『実態』-実際のありさま。実情。
『実体』-㈰正体。本体。主体。実質。内容。㈪〔哲〕(Substanzドイツ)根底にあるもの。恒常不変の本質的存在。種々の属性と変化とを自己に具有しつつ、それ自身は常住で不変な実在。世界乃至事物に実体は何かという問題は、古来哲学の重要問題とされ、殊に、ギリシャ哲学・スコラ哲学・デカルト及びスピノザにおいて中心的役割を演じた。
と 広辞苑(一版 岩波書店)に記されている。また、英語では
[Substance]-㈰〔哲〕実態《現象の基礎たる絶対的存在》「精神と物質との独立した実在性が撤去されて、両者は唯一無限の實體の属性とされている。㈪実質・事物の本質、実質。㈫物質・有形物を構成する実質。
と IWANAMI’S SIMPLIFIED ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY(新増訂版岩波書店)に記されている。
これらから、「実態」は客観的に側面から眺めているイメージがあり、「実体」は主体的実質をイメージさせる。日本語では「実体真実」とする方が正確ではないかと思われるが、英語の翻訳では「同義語」として扱われている。従って、できれば「実体真実」に書き換えたいところであるが、これの反語としては「空虚真実」となることを考えれば、「実態真実」を用いるほうがよいようである。
「仮想真実」 ( Virtual truth )とは、
「仮想」-仮に考えること。仮説。
「仮相」-実在でない物象。実在に遠い現象。
と 前記「広辞苑」に記されている。また、英語では
[Virtual]【形】《virtueから》、〔稀〕具有性によって効果を現す;本質又は効果から見てそう呼び得る。事実上の。
と IWANANI’S SIMPLIFIED ENGLISH-JAPANESE DICTIONARYに記されている。
ここでも、客観的に側面から眺めている「仮想」と、主体的な実質を対象にしている「仮相」とがあり、日本語としては「仮相真実」の方がいいのではと思う。しかし、「仮想真実」を用いることとする。
「真  実」 ( Truth )
念のために、「真実」についてどのように書かれているかを見ておきたい。
「真実」㈰いつわりでないこと。ほんとう。まこと。㈪〔仏〕かりでないこと。絶対の真理。真如。   と 前記「広辞苑」に記されている。また、英語では、
[Truth]  【名】㈰誠。誠実;忠誠。㈪真。真実;真正;標準;正確;正真正銘;実際:事実;真理;真相。
 と 前記DICTIONARYに記されている。
「虚  偽」( Untruth )
「虚偽」-㈰真実でないこと。うそ。いつわり。そらごと。㈪誤った知識、特に誤った思考。誤謬、論過。㈫現実でないことを現実のように見せかけること。
と 前記「広辞苑」に記されている。また、英語では、
[Untruth] 【名】不誠実;虚偽。
 と 前記DICTIONARYに記されている。

 特殊相対場論 12章  

1、 「くうかんに ひろがるしつの れんぞくか」
  すべては、「相対的」であり、「絶対的」なものは存在しない。例えば、光の
  速度は秒速30万キロメートル(299,792,458メートル毎秒)
  と言われる「相対的速度」であり、決して「絶対的速度」ではない。
光速よりももっと速い強力な磁力場には光も吸い寄せられてしまうことはよ く知られている。ブラックホールがそれである。
ところが、我々人類にとっては「光速度」が想像を絶する速さであるために
「一定不変」という烙印を押してしまい、終には「絶対的速度」として計算した結果「空間にゆがみが生じる」などと誤解をしてしまっている。
誤解というものは、何かを絶対化せずには成立しない。何かを絶対化した途端に誤謬に陥ることを免れることができないので、その結果「誤解」がはじまるのである。観念の世界ではこの問題を簡単に乗り越えてしまうことができるので、よくよく注意してかからなければならない。「実態真実」に働きかけ、それを模写して得たデータで再構成したものを「仮想真実」という。「実態真実」の定義は「空間に広がる質量の連続」ということにしている。単純にして明快に実態真実をいい得ていると思う。ここには、「空間」と「質量」と「時間」の関係を「広がり」と「連続」という言葉で言い尽くし得ていると思う。

2、 「ちさくても おおきくっても あるにあり」
  「素粒子の特殊性」「原子の特殊性」「分子の特殊性」そして、「物質個々の特   
  殊性」「一定集団の特殊性」「民族の特殊性」「人類の特殊性」「地球の特殊性
  」「惑星・恒星の特殊性」「太陽系の特殊性」「銀河系の特殊性」「超銀河系
  の特殊性」がある。「一般性」とは、あらゆる「特殊性」の総合で、その代名        
詞であると思えばよい。したがって、様々の「特殊性」を「ある特殊性」で代表させる時、多くの「捨象した特殊性」の存在があること、それと共に、代表にたてた「ある特殊性」それ自体も、一つの特殊性にすぎないのであることを忘れてはならない。
たとえば、地球は一日ほぼ24時間で一回転しているのであるが、赤道上では半径が6378,140kmであるから、その円周で計算すると、2πrで、40054,72kmですから、現在の地球の表面の回転速度は、時速1669キロメートルの速さである。また、一日24時間で一回転する仮想の球体表面が光速で回転すると考えると、表面までの半径をもとめると、光の速さは30万キロメートル毎秒ですから、時速では10億8000万キロメートルとなり、その速さで回転する場合の半径は1億7197万kmとなる。
太陽の赤道半径が696000kmですから、太陽の半径の247倍になります。これだと、光は、地表にへばりついてしまいますね。つまり、光を閉じ込めてしまう回転体です。


3、 「われおもう ゆえにわれあり そこにあり」
  存在の事物であれ、その反映としての認識であれ、全て特殊で相対的なので
  ある。
  
4、 「あることが いきることかな みなおなじ」
  「存在」とは、「運動そのものの総合的表現」である。つまり、それぞれが「在 
  る」、そのそれぞれの特殊の総合としての一般表現である。

5、 「いきるとは けんかをしても ともにあり」
  全ての「運動」は、「さまざまな対立物の対立の統一」を一括りに表現して
  おり、「対立の統一」という「基本原理」の一般表現といえる。
  
6、 「けがぬけて いつのまにやら はげになり」
  「対立の統一」は、「量から質、質から量への転換」という「基本法則」を
  有している。
  
7、 「たちかわり さんとあるかり ちゅうわかな」
    「たちかわり さんとあるかり えんづくり」
  「量質の転換」という「基本法則」は、「否定の否定」と「相互浸透」という 
  二大形態を表現している。
「否定の否定」は、「場そのものの質的変化」の「転換形態」を表現し、
「相互浸透」は、「場内部の量的変化」の「転換形態」を表現している。

9、  「ひろげれば ひろがるだけの そらがある」
  「場」とは、それを「構成する対立物」によって規定される、「特殊」で、「相
  対性」の「領域」あるいは「系」または「範囲」である。
  従って、「取り扱う対立物」によって「取り扱う場」が規定されるし、
  逆に「取り扱う場」によって「取り扱う対立物」も又、規定される。
  更に、「取り扱う対立物が大きくなればなるほど、それを取り扱う場は相
  対的に小さくなる。」し、「取り扱う対立物が小さくなればなるほど、それ
  を取り扱う場は相対的に大きくなる。」つまり「超銀河系を対立物として扱う
  場は、それにも関わらず相対的に小さくなる」し、「核融合の反応は、その取
  扱う対立物の小ささに応じて、取り扱う場の大型化が避けられない。」
  その「場」を、「特殊相対場」といっている。

10、 「それぞれの なかにひろがる しょううちゅう」
   これらを次のような「構造式」に表現できる。

        対立物 → 対立の統一 → 統一物
      ——————————————————————
            特 殊 相 対 場        

11、 「けがぬけて ひかりかがやく はげとなり」
  「存在」すなわち「運動」に矛盾はない。
  「矛盾」は、「概念上の何かを絶対化した場合に生じる概念上の産物」である。
  「実体上の全ての存在は、相対的であり、絶対的なものは何一つとしてな
  い。

12、 「でかるとも あのげーでるも みえていた」
   そして、全ての「運動」は、「対立物の対立の統一」という「基本原理」
  で動いており、それは「楕円運動」が基軸をなしている。     
  対立物が対立の統一という運動をして統一物を形成するというのが基本で、
  その運動の軌跡が「対立物・統一物・特殊相対場のそれぞれの条件によって
  様々に、平面的には楕円周を描くし、立体的には多くの回転面が絡み合い、
  様々の形の楕円複合体をなしているのである。
  「楕円運動」は、全ての「存在」の「基本原理」なのだ。だから、デカルト
  が「渦動理論」をいったのも、また、ゲーデルが「一つの石」に遠慮がちに
  「時間は空間と同じ様に振る舞う」といったのも、「特殊相対場論」ではそれ
  ほど難しく考える必要はなく、容易に理解できるはずのものである。
  「渦動理論」の原理は「楕円運動」なのであり「時間は空間と同じように振
  る舞う」というのも「空間(の三次元)に広がり連続する」ということなの
  である。
  つまり、三次元と別個に「時間」という「次元」がある訳ではないのである。
  「時間」は、「連続」を測る一つの単位総称なのである。
  「たて・よこ・たかさ」の三次元のそれぞれの距離をはかる単位の総称が「な
  がさ」であるのと同じである。「ながさ」は、次元ではなく、「連続」を測る
  一つの単位総称なのである。
by kanakin_kimi | 2010-08-15 22:57 | 特殊相対場論 | Comments(0)

特殊相対場論と複雑系 4

質量が「空間に広がり連続する」分野、つまり「空間と時間」の科学が「複雑系」の科学が
目指していることなのではないかというのが、私の認識である。
もうひとつ言えば、「リアルタイム」ということである。「リアルタイム」は実現し得ない究極
の目標ということになろう。

しかし、この「リアルタイム」ということこそが、「複雑系」「複雑性」の『課題』なのではない
かと考えている。「実現しない究極の目標」であるということの「故(ゆえ)」なのである。
それが、「空間に広がる連続」という、「無限」性なのである。


今のところ、「極微に向かう、ー広がりと連続ーの切り口」が手がけられているようだが、
いずれ「極大に向かうー広がりと連続ーの切り口」も手がけられるだろう。この二つが結
びつく必要が生じる時に「質量」と「空間に広がり連続する」の「統一理論」が実現する可
能性が生じるのだろうと思われる。

「極大に向かうー広がりと連続ーの切り口」が手がけられているのは、地球周回軌道の
場における実験データー収集であるが、そのほかはまだまだ観測に過ぎない。その実験
を成功させるための重要な条件が、「世界が平和であること」なのだ。そして、世界が協
力できる、その度合いがそれを規定しているのだということを忘れてはならない。
by kanakin_kimi | 2010-03-07 18:13 | 特殊相対場論 | Comments(0)

特殊相対場論と複雑系 3

質量が「空間に広がり連続する」分野、つまり「空間と時間」の科学が「複雑系」の科学が
目指していることなのではないかというのが、私の認識である。
もうひとつ言えば、「リアルタイム」ということである。しかし、「リアルタイム」は実現し得な
い究極の目標ということになろう。

今のところ、「極微に向かう、ー広がりと連続ーの切り口」が手がけられているようだが、
いずれ「極大に向かうー広がりと連続ーの切り口」も手がけられるだろう。この二つが結
びつく必要が生じる時に「質量」と「空間に広がり連続する」の「統一理論」が完成するの
だろうと思われる。
by kanakin_kimi | 2010-03-03 13:38 | 特殊相対場論 | Comments(0)

特殊相対場論と複雑系 2

私自身に言い聞かせている 「アインシュタイン・シンドローム」。
これは、「解らないものは、解らないことは、わかったようなふりをしないことだ。」
ということである。「ふり」に権威がくっつくと、さまざまな不幸がおとづれる。

だから私自身のわかる言葉で言うしかない。
「実態真実」は「空間に広がる質量の連続」である。
「実態真実」には嘘はないが、「仮想真実」には必ず嘘が紛れ込む。

「仮想真実」は「実態真実を認識が写し取ったデータと情報および認識の総体」である。
「実態真実」の「質量」に関しては研究も進みデータも蓄積されてきた。
しかし、「空間に広がり、連続する」に関してはまだまだ未知数が多い。

この「空間に広がり、連続する」分野は、「リアルタイム」の情報量を求められる。しかも、
連続映像の記録というだけでなく、それを任意に再現することが出来て初めて「実態真
実により近い再現の実現」を獲得したことになる。

「実態真実により近い再現の実現」を獲得するという事は、「平面的な映像」ではなくて
立体的であることはもちろん、実質的な中身をも包含しているという事なのである。
ただ違うところは、それが実態そのものではなくデーターによる再構成だということなの
である。

しかも、それは実質的立体的映像であるから、怪我をすればその部分が切れた場合
は切り傷の映像と血が出ている映像が自動的に出てくる,これがリアルタイムという
「広がりと連続」の再現ということなのである。

それを映像で再現するということは、コンピューターグラフィックであるわけですから、
コンピューターの性能・能力に規定されざるを得ませんし、CGソフトの精度にも規定
されます。

「複雑系」という新しい科学は、この認識と違いがあるでしょうか。
by kanakin_kimi | 2010-03-02 00:03 | 特殊相対場論 | Comments(0)

特殊相対場論と複雑系 1

吉永良正氏の「複雑系とはなにか」の表紙に「21世紀を解く最大のキーワード複雑系。
生命、自然、物質、社会、経済。あらゆる事象を取りこみ展開していく新たな知のパラ
ダイムとは。最先端科学の現場にあなたを誘う恰好の入門書。」とある。

「複雑系」というものが「アインシュタインシンドローム」にならないようにしてほしいという
意味から、わたしの認識している「真実」の定義からこれを解りやすく表現したいと思っ
ている。私の解き方は、「特殊相対場論」で「実態真実を写し取る」ということになります。

「実態真実」は、「空間に広がる質量の連続」と表現しています。この表現はできるだけ
正確で、すべてに通貫したものでありたいと思っていますが、絶対的なものではありま
せん。

さらに、「カバー=シダの葉とマンデンブロー集合のイメージより構成 
写真ⓒJOYCE PHOTOGRAPHICS/PPS CG製作=坂野公一」 とあり、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「(世界)の大転換」
「複雑系の科学」という出現しつつある新しい科学は、ひょっとすると過去三百年にわ
たり――いや、その根本動機は二千数百年前のギリシャにまでさかのぼる―――
〈世界〉を改造してきた西欧近代科学を、根底から変革するものになるかもしれない。
そのことは、私たちのものの見方や社会のあり方にまで、転回を促すことになるだろう。
これほどの大転換の時期に遭遇できる機会など、人類史上めったにあることではない。
もちろん、転換には長い時間がかかるだろう。五十年ですむかもしれないし、百年かか
るかもしれない。だが、私たちは間違いなくこの転換の入り口にいる。
科学の諸分野でさまざまな予兆があらわれている。
「複雑系の科学」の”すごさ”はこの転換を予感し、名づけえない(世界)の真実に何ら
かの形と名前を与えようとしている、その努力にある。――(本書より)
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と書かれていた。
わたしは、「複雑系」の書かれたいくつかの本を買っているが、読み終えた本は一冊も
ない。私の能力の限界をとおりこしているのかと、悔しい思いをしてきた。しかし、まてよ
私が理解し得ないのは私に理解できる能力がないのではなくどこかに問題がありはし
ないか、と思い直してみた。
2001・9・11の真実をより解りやすくするためにどうすればいいかを考えていた時、「
いくら真実を提起しても、真実をどうとらえるか、その証明の手続きを明確にするという
ことをあいまいにしていては、単なる主張合戦になってしまうこと、マスメディアが権力
の側に立っての徹底した刷り込み宣伝がもたらす真相隠しについてなどの、複雑に絡
み合った問題の解明である。」ことを考えていて思い出した。
つまり、「飛行機が突きこんだのは2つのタワー」であるが「飛行機が突きこまないビル
ディング5つのタワー」も同じように倒壊しているということで、「倒壊の原因」が「飛行機
の突きこみ」ではないことがあきらかなのである。これが、「7つのタワーが同じビル爆
破倒壊作業による」ものであり、ここに「真実と虚偽との分水嶺」があるということだ。
また、「北タワーは飛行機が8時45分に突きこみ、10時29分に倒壊」しているのに対
し、「南タワーは、飛行機が9時3分に突きこみ9時50分に倒壊」していることである。
すなわち、「飛行機の突きこみからビル倒壊」が北タワーは1時間44分かかり、南タワ
ーは47分だったということの「時刻のづれ」が、発破作業のボタンを押す人間の心理
を表していたこと」である。
そこで、そのとき「複雑系」という問題を次のようにひらめいたのです。
「複雑系」が取り扱っているのは、「実態真実」とは「空間に広がる質量の連続」である
が、その「質量が」――『空間に広がる、連続』の事なのだと思いついたのです。
要するに「質量が」 「空間に」」「広がり連続する」という「特殊相対場」を取り扱う切り口
の学問だということに思い至ったのです。
by kanakin_kimi | 2010-03-01 19:48 | 特殊相対場論 | Comments(0)

「真相解明のマニュアル」の基本的考え方

「真相解明のマニュアル」を造ろうとする基本的考えは、「特殊相対場論」にまとめています。
それは、ひとくくりに云うと、「全ての問題について、それが成り立っている原理を見つけること。」
「どういう原理で成り立っており、どういう法則が、その領域でその原理を支えているかを見つけることです。」
この発想で、真正面から対峙することです。
たとえば、五万分の一の地図を開いてみます。
その地図にはたくさんの情報が記載されています。山・川・海・陸地・湖・大きな池・道路・鉄道・
都道府県市郡町村の境界線・航路・観光図・空港・重要港・灯台・工場・流通センター・発電所・ダム・油田・鉱山・指示点・滝・山頂・火山頂・著名な観光地域・名勝地・寺院・神社・城・城跡・温泉・ゴルフ場・スキー場・スケート場・キャンプ場・海(湖)水浴場・遊園施設・国民宿舎・国民休暇村など、実に多様で詳細なのである。
これほど詳細に情報が記載されている地図は、外国には見られないのではないだろうか。デンマークに行ったことがあり、そこから車でドイツ・チェコ・オーストリア・リヒテンシュタイン・スエーデンそれから電車でスイス・ノルウエー・フランス・イギリス・オランダ・フィンランド・ロシア(ウラジオストーク・モスクワ・サンクトペテルブルグ)で入手した道路地図ではこんなにきめ細かなものはなかった。これは、一般市民が賢くなるための基本的な条件のように思われる。
ただ、ヨーロッパの道路地図は道路だけ乗せるシンプルさが求められているからかもしれない。
いずれにしても、一般的な道路地図でこれほど詳細に情報が記載されていることはありがたい。
この中の、「神社・寺院」の情報を使って何が見えてくるかを見てみようというのである。
五万分の一の地図では、市区町村にわたる範囲の情報が分り、四十万分の一の地図では5県
程にわたる範囲の情報が示されていることが浮き上がってくる。
「神社・寺院」のしるし卍と鳥居印を丸印で囲み、その丸印が三個以上直線に並ぶと、直線を引いていく。場合によれば、その線上に遺跡・城跡・古墳などと、山頂印が並ぶことが珍しくない。
何故直線に並ぶのか、その直線が囲む地域は何を意味するのかなど、直線に並ぶ神社・寺院の情報とそれらの直線の交錯情況が、書かれていない奥の深い情報を浮き上がらせる。
その直線をオーラライン、直線の交点をオーラポイントと呼んでいる。
何故なら、神社・寺院には人の思いが集っており、その思いが形成するオーラライン、オーラポイントはさらに多くの人の思いが積み重ねられていることを示している。

その想いは、祭・政・祈祷の他に情報伝達のシステムとしても機能していた。

「神社・寺院」は、日本列島に育まれたあらゆる宗教の想いをそこに蓄積している。だから、依って立つそれぞれの思いの積み重ねに応じたオーラの現れ方をしており、その地取り・空き取りが行われてきたはずだ。そして、それをつなぐ情報伝達のシステムが構築されてきたはずである。情報収集・蓄積整理は学問の研鑽でもある。神社・寺院はその基地であったのだ。
by kanakin_kimi | 2008-07-14 23:12 | 特殊相対場論 | Comments(1)

原理的追求

質量不変の法則と入浴つまり体をきれいにする事との関係や、清掃つまり家の中をきれいにしたり、庭や道路をきれいにする事、その他、これと関係する事として、社会をきれいにする事などを関係づけて考える事は有意義だと思われる。
身体についている汚れは、中からと外からの質量の転換に過ぎないものであるから、それを汚れとして身体から洗い落としたところで、身体という特殊相対場から少し大きな特殊相対場に移行したにすぎないということである。その他の事についても、基本的には変わらないだろう。
また、今盛んに言われている「温暖化現象」についてこれと同じように考えるとどうなるか。
炭酸ガスの排出規制のみが言われているようだが、はたしてその観点でよいのかという問題がある。
炭酸ガスの排出規制というのは、空気中の炭酸ガスとしての含まれる量的な問題であるならば、逆に空気中に含まれる炭酸ガスをガス体から液体へ或は固体へ変換していくシステムを作ればいいのではないのかという事である。
しかし、これも変換しすぎると植物などの炭酸同化作用に支障を来さないように配慮しなければならない問題も出てくる。
こう考えると、炭酸ガスの空気中のガス体から、液体や固体への転換という原理的な発想は面白いのではないだろうか。
というのは、深海については「宇宙」についで「謎」が多いといわれているが、「深層水」であれ「メタンハイドレード」であれ、安易に採取するべきではないと思っている。
「深海」は、「地球環境のコントロールシステムであり、安全装置である」とおもうのである。
「深海」という、「圧力容器」はいわば「パンドラの箱」である。そう観じている。
「深層水」は「海の環境の安全装置」であり、「メタンハイドレート」は「空の環境の安全装置」なのではないのか、と思うのである。
「地球は一つの生き物」なのである。ひとつの「特殊相対場」なのである。
深海は「深層水」や「メタンハイドレート」をつくり、その機能は「人間の体に例えれば、〈胆嚢〉であり、〈すい臓〉である」
鉱物資源の利用という問題も、やはりこれと同じ問題を引き起こしているのであろうと思う。
従って、この「地球という特殊相対場の環境」を長続きさせたいならば、その「原理」「仕組み」を十分に把握して、おかなければならない。
「深層水」が生成されるメカニズムをまだ極めていないはずである。私の洞察では、海の腐敗物などがマリンスノウになっていく過程があり、そのマリンスノウが海底に蓄積されて巨大な圧力の下で「深層水」という無機系ダイアモンドになっているのであろうと思っている。
また、他方で「メタンハイドレード」が生成されるメカニズムもまた極めていないのではないだろうか。私の洞察では、海の腐敗物は、空気中に炭酸ガスを放出しないで包み込んでマリンスノーになっていくのではないかと思われる。従って、マリンスノーが海底に蓄積されて一部が「深層水」になり、「深層水」に包まれながら、より深い、より大きな巨大圧力の下で「メタンハイドレート」という有機系ダイアモンドが生成されるのではないだろうか。
メタンハイドレートは、自然のドライアイスなのである。
人間が、それを採取して燃料として利用しようとすると、「炭酸ガス放出」と「炭酸ガス吸収」のバランスを崩してしまうのは明らかである。
「地球の炭酸同化作用」の結果が「深層水」と「メタンハイドレート」なのではないか。
by kanakin_kimi | 2008-02-28 22:49 | 特殊相対場論 | Comments(0)