カテゴリ:戦略的災害対策( 46 )

戦争終焉のマニュアルとしての戦略的災害対策


災害は、「超法規的」

 災害は、「自然災害」と「社会災害」に分けられる。
 「自然災害」は、「森羅万象の精霊」が司り、「社会災害」は、「八百万の神々」が司る。それらは、いわば「楕円態運動の二つ以上の焦点」に位置しているという事ができる。それは、奇妙な事であるが「認識する事が出来るものによって初めて表に取り上げられるようになった」。実態真実である全ての自然界であり、全宇宙の事物・事象もそれを認識し表現する事が出来るものが無ければそれは「有」であり「実態真実」であるのに「無」でしかない。
 人類が「実態真実」に働きかけて、「仮想真実」を形成し、「仮想真実領域」を拡大してきた。
 それは、奇妙な事であるが「認識する事が出来るものによってはじめて表に取り上げられる。」そこに、「未知との遭遇」という「森羅万象の精霊と八百万の神々」を配する「知恵」がある。
 日本人は、それを「敬い・尊崇」するけれども、決して「自立・自助」を放棄しない。そういう考えと覚悟を伝えている。それが伝統の民俗芸能の中に伝えられている。
 それが「俳句・短歌・連歌」の中に伝えられている。「もののあわれ」であり「風雅の誠」であると私は受け取っている。
 だから、「自然災害」と「社会災害」に対する「戦略的災害対策」というものは、
1)、みんなが賢くなるようにする事。
2)、みんなが賢くなる為に、必要な事を統べてやる事。
これだけである。あとはこれの後についてくるからである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
戦争終焉のマニュアルとしての戦略的災害対策
 さて、”災害は、「超法規的」”と題する上記の文章は以前書いたものである。これから書く事の前文として再録した。
 わたしは、犯罪の全ては災害であると考えている。したがってその中に含まれる”戦争”も「災害」の中に含まれるものとして位置づけている。そこから考えた対策は究極的には前文に書いたものになると考えている。
 しかし、それだけではどうやら理解されにくいもののようである事に気づかされた。災害対策を考える時に「想定」される災害を考えそれに対して災害対策を構築するという手法のようである。
 それで、いつも気に食わないのだけれど「東南海地震ではどこそこの地域では死者が何万人」などというのを聞くと腹が立ってくるのである。
 死者を出さない対策を作るのが当たり前ではないか。だから、どういう事をしなかったらどういう被害が出るよという想定をするべきなのである。どうも、わたしには「ロスチャイルド・イルミナティの人口削減計画」に沿って災害対策を考えているのかと疑ってしまうのである。
 官僚の計画は「人の命を優先する計画」は絶対に作らない。と断言してしまう程なのである。何故かというと官僚は「法規内計画」だからである。もう少し辛辣にいうと「法治主義」だから「法律の規定内であればやるが、規定外であればやらなくてよい。」という考え方が基本にある。ところが、「災害のほとんどは超法規的なものなのである。」
 官僚が本当に「人の命を優先する災害対策計画を立てる」のであれば、人のものを奪い取る事をやめさせる計画を立てるであろうし、人の命を奪う戦争をなくす計画を立てるだろう。地球という地球上に生存するもの全てのものの共有するものを、掠奪するようなものがいる事を見て見ぬ振りは出来ないはずなのだ。
 もちろん、官僚だけに責任があるわけではないから、世界市民がみんなでつくりなおさなければならないのだ。時間のかかるものもあるが基本的にはその事を下敷きにして災害対策をすればいいと思っている。個人の責任にするやり方がこれから増えてくるだろう。そこには、市民が責任を官僚に押し付けている事からの反射もあるのも事実だ。しかし、市民が自立していない事に対する警告でもある。
全ては民間防衛でする事
 人任せにしていると、「無政府状態」で「ホロコースト」されるということを直視するべきだろう。その実例のひとつが「飛行機事故に見せられた事件」である。
P100システムで民間防衛
 ゼロメートル地帯で真剣に討議されている。「逃げ場がない」横に逃げ場を求めていて、法規的避難装置を考えているからである。災害は超法規的であるという事に、法規的対策は役に立たない。超法規的発想をすべきなのだ。それで考えたのが「P100システム」ピラミッド型の一辺100メートルの建物を鉄パイプやコンクリート製の電信柱を利用した構築物で作るのである。一辺を100メートルにすると高さは約70メートルとなり、一階を5メートルとすれば、14階層のフロアが出来る。
 1・2・3階は菜園・養魚・養豚・養鶏などで最上階14・13・12は採光・発電・浄水場・メンテナンスなどで、4階から11階迄を居住空間にするという具合に、このP100コミュニティで何でもそろえられるようにするのである。つまり避難永住型コミュニティというものである。ご一考を。

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■ 沖繩に災害救助隊基地を作ろう ( 2012-09-11 06:22:00 )
■ 米軍は、「オスプレイ」を使わない。 ( 2012-09-10 13:43:00 )
by kanakin_kimi | 2014-09-06 17:09 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

戦争終焉のマニュアルとしての戦略的災害対策


災害は、「超法規的」

 災害は、「自然災害」と「社会災害」に分けられる。
 「自然災害」は、「森羅万象の精霊」が司り、「社会災害」は、「八百万の神々」が司る。それらは、いわば「楕円態運動の二つ以上の焦点」に位置しているという事ができる。それは、奇妙な事であるが「認識する事が出来るものによって初めて表に取り上げられるようになった」。実態真実である全ての自然界であり、全宇宙の事物・事象もそれを認識し表現する事が出来るものが無ければそれは「有」であり「実態真実」であるのに「無」でしかない。
 人類が「実態真実」に働きかけて、「仮想真実」を形成し、「仮想真実領域」を拡大してきた。
 それは、奇妙な事であるが「認識する事が出来るものによってはじめて表に取り上げられる。」そこに、「未知との遭遇」という「森羅万象の精霊と八百万の神々」を配する「知恵」がある。
 日本人は、それを「敬い・尊崇」するけれども、決して「自立・自助」を放棄しない。そういう考えと覚悟を伝えている。それが伝統の民俗芸能の中に伝えられている。
 それが「俳句・短歌・連歌」の中に伝えられている。「もののあわれ」であり「風雅の誠」であると私は受け取っている。
 だから、「自然災害」と「社会災害」に対する「戦略的災害対策」というものは、
1)、みんなが賢くなるようにする事。
2)、みんなが賢くなる為に、必要な事を統べてやる事。
これだけである。あとはこれの後についてくるからである。
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戦争終焉のマニュアルとしての戦略的災害対策
 さて、”災害は、「超法規的」”と題する上記の文章は以前書いたものである。これから書く事の前文として再録した。
 わたしは、犯罪の全ては災害であると考えている。したがってその中に含まれる”戦争”も「災害」の中に含まれるものとして位置づけている。そこから考えた対策は究極的には前文に書いたものになると考えている。
 しかし、それだけではどうやら理解されにくいもののようである事に気づかされた。災害対策を考える時に「想定」される災害を考えそれに対して災害対策を構築するという手法のようである。
 それで、いつも気に食わないのだけれど「東南海地震ではどこそこの地域では死者が何万人」などというのを聞くと腹が立ってくるのである。
 死者を出さない対策を作るのが当たり前ではないか。だから、どういう事をしなかったらどういう被害が出るよという想定をするべきなのである。どうも、わたしには「ロスチャイルド・イルミナティの人口削減計画」に沿って災害対策を考えているのかと疑ってしまうのである。
 官僚の計画は「人の命を優先する計画」は絶対に作らない。と断言してしまう程なのである。何故かというと官僚は「法規内計画」だからである。もう少し辛辣にいうと「法治主義」だから「法律の規定内であればやるが、規定外であればやらなくてよい。」という考え方が基本にある。ところが、「災害のほとんどは超法規的なものなのである。」
 官僚が本当に「人の命を優先する災害対策計画を立てる」のであれば、人のものを奪い取る事をやめさせる計画を立てるであろうし、人の命を奪う戦争をなくす計画を立てるだろう。地球という地球上に生存するもの全てのものの共有するものを、掠奪するようなものがいる事を見て見ぬ振りは出来ないはずなのだ。
 もちろん、官僚だけに責任があるわけではないから、世界市民がみんなでつくりなおさなければならないのだ。時間のかかるものもあるが基本的にはその事を下敷きにして災害対策をすればいいと思っている。個人の責任にするやり方がこれから増えてくるだろう。そこには、市民が責任を官僚に押し付けている事からの反射もあるのも事実だ。しかし、市民が自立していない事に対する警告でもある。
全ては民間防衛でする事
 人任せにしていると、「無政府状態」で「ホロコースト」されるということを直視するべきだろう。その実例のひとつが「飛行機事故に見せられた事件」である。
P100システムで民間防衛
 ゼロメートル地帯で真剣に討議されている。「逃げ場がない」横に逃げ場を求めていて、法規的避難装置を考えているからである。災害は超法規的であるという事に、法規的対策は役に立たない。超法規的発想をすべきなのだ。それで考えたのが「P100システム」ピラミッド型の一辺100メートルの建物を鉄パイプやコンクリート製の電信柱を利用した構築物で作るのである。一辺を100メートルにすると高さは約70メートルとなり、一階を5メートルとすれば、14階層のフロアが出来る。
 1・2・3階は菜園・養魚・養豚・養鶏などで最上階14・13・12は採光・発電・浄水場・メンテナンスなどで、4階から11階迄を居住空間にするという具合に、このP100コミュニティで何でもそろえられるようにするのである。つまり避難永住型コミュニティというものである。ご一考を。

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by kanakin_kimi | 2014-09-06 17:08 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

災害は、「超法規的」

戦争の終焉
 災害は、「自然災害」と「社会災害」に分けられる。
 「自然災害」は、「森羅万象の精霊」が司り、「社会災害」は、「八百万の神々」が司る。それらは、いわば「楕円態運動の二つ以上の焦点」に位置しているという事ができる。それは、奇妙な事であるが「認識する事が出来るものによって初めて表に取り上げられるようになった」。実態真実である全ての自然界であり、全宇宙の事物・事象もそれを認識し表現する事が出来るものが無ければそれは「有」であり「実態真実」であるのに「無」でしかない。
 人類が「実態真実」に働きかけて、「仮想真実」を形成し、「仮想真実領域」を拡大してきた。
 それは、奇妙な事であるが「認識する事が出来るものによってはじめて表に取り上げられる。」そこに、「未知との遭遇」という「森羅万象の精霊と八百万の神々」を配する「知恵」がある。
 日本人は、それを「敬い・尊崇」するけれども、決して「自立・自助」を放棄しない。そういう考えと覚悟を伝えている。それが伝統の民俗芸能の中に伝えられている。それが「俳句・短歌・連歌」の中に伝えられている。「もののあわれ」であり「風雅の誠」であると私は受け取っている。
 だから、「自然災害」と「社会災害」に対する「戦略的災害対策」というものは、
1)、みんなが賢くなるようにする事。
2)、みんなが賢くなる為に、必要な事を統べてやる事。
これだけである。あとはこれの後についてくるからである。
by kanakin_kimi | 2013-12-26 14:45 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

戦争放棄をしよう

軍隊をみな災害救助隊にしよう

アメリカで「WTC」が内側から爆破崩壊させておいて、「抵抗するやつは容赦しない」といって、一方的にアフガニスタン侵攻とイラク侵攻という侵略を果たした「ブッシュ大統領ら」の行動について、「国際的な反省や世界への謝罪」も「損害賠償」もしないで放置している。この時「世界は凍りついた」はずだ。
何故か!。アメリカの軍事的暴力装置が「恐怖」させ、その「なんでもあり」の「脅し」がそれを示しているからだ。
自己防衛する方法があれば、何でもやっておきたいと思うのは、「国家」のシステムを維持している国々は当然思うだろう。そんな当たり前のことを実行したら、袋だたきに遭うのだろうか。
あの、「脅し」を「はいはいわかりました、仰せのようにいたします」といっているのは、「鷹揚に構えられる」国でも人でもそれぞれ後ろに隠しているものを持っているものだ。
日本は、ずいぶん金を出し、ドルをバックアップしてきたけれど、それでも東日本大地震大津波を、近くにエンタープライズを控えさせ、「お友達作戦」を用意しておいて、三連発の片道切符をぶっ放しているのだ。
突っ張りでなくても、正常な判断をしたら、お返しの一発張り手をやってもおかしくないことを経験している。
日本は、それでも「我慢をするのか」「我慢をしている」何故だ、年間の交通事故死者が30000人、年間の自殺者が30000人、東日本大地震大津波の死者行方不明者が30000人。何故だ、我慢強いなあ。馬鹿じゃないかと思うぐらいだ。縄文人の世界観はすごいとしか言いようがない。
対立の論理からいえば、「まけられないだけの対抗策を、持っておきたい」のだ。
しかし、考えても見ろよ。「軍事的力」の「対立軸」の時代はもう終わったのだよ。
「世界は一家・人類は皆兄弟」の時代なんだよ。
「薬漬けのやつが、車をぶつけてナイフで刺し殺した」そんなやつを抱えている国の責任をどう取らせるのか。
銃を持っているから、ちょっとした動きにも恐怖して、ぶっ放してしまうのだ。
「抑制・自制」の効いた、行動がとれるか。そういうシステムを持っているか。そう信頼される行動をとっているか。
持ったら,「挙動不審」と見られたら、「先にやられるのだ」「その覚悟は出来ているか」「そんなかんりができているか」それが先づ第一の「専守防衛・理論」の問題だ。
第二は、「核攻撃システム」を持っているものが、「核攻撃力」を持つなというのは、「説得力がない」ということだ。
第三に、「北風を吹かせるやり方が通じない」相手には「太陽政策しかない」のだ。
最後に、「度量があるなら」、みんなが「戦争放棄をする」ことだ。世界のいくつかの国は既に表明している。
いま、一番効果的なのは「アメリカが戦争放棄」を、世界に表明して「軍隊を災害救助隊にする」ことだ。
そうすれば、「北朝鮮も喜んで戦争放棄をする」だろう。
by kanakin_kimi | 2013-02-13 14:50 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

あらゆる災害とそれからの避難装置 2

あらゆる災害とは

あらゆる災害とは、全ての自然災害と社会災害のことである。
地球上に生存する全ての生物がその命を脅かされている災害であり、今後のいや既に起きている宇宙的規模での生命体がその命を脅かされている災害をも含めて、それからの生命を守る避難装置を構築することを目指していく必要が現実的になってきた。

こんなことを言うと、現実とかけ離れたことを言っているように思われがちだが、既にあらゆる地域での「UFOの墜落事件=ロズウェル事件」が起きており,宇宙的規模での生命体との接触や研究も又公開され始めている。ただ、それらが国家的な公式発表ではなく、「リーク」情報であるとか、個人やグループの目撃情報というだけである。もはや「未確認飛行物体」ではないのである。

中国の「大気公害」は世界的な災害を起こしている。人口比で考えても、生産量比較で云っても、過去の日本における「大気公害」の数倍以上のものであることは確実だ。しかも既に長期にわたって持続しているのであるから、これから中国の国民はそのつけを「体の異状」で気づくことになる。

また、日本は福島原発の影響を「放射能汚染による体の異状」で長期にわたって発生することが明らかであるので、チェルのブイルの影響調査を現地に行って勉強すべきだろう。

フランスは、70パーセント近くの電力を原発に依存しているわけであり、周辺地域もひとたび原発事故が発生した場合どのようになるかということは、既に想定されたことだろう。それが現実のものになり始めている。

だから、「原発は廃棄」して、「リニアモーターはやめて」、「反重力機関」や「フリーエネルギーモーター」を研究すべきである。既に実績をあげている研究者がいるのであるから、日本は速やかにその方向へ舵を切ることである。

ロシアは既に環境に対する技術を持っているはずであり、中国の環境公害を元から絶つように技術援助すべきではないだろうか。日本の技術をロシア経由でいってもいいではないか。
by kanakin_kimi | 2013-02-09 15:36 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

あらゆる災害からの戦略的避難装置 1 

現在、いろいろな表現がされている災害、例えば「犯罪」という言葉があります。
「語彙」というのは、「表現する人の立ち位置や想いが表されたものです」。「犯罪」と云う「語彙」はどういう「立ち位置」から「表現」されたものかを考えてみました。結論から言いますと、「犯罪」という「語彙」は原理的には、これも「災害」の一つなのです。ところが、現在使われている「犯罪」と云うのは「法治主義」から発した「言葉」で「罪を犯した事」ですが、「罪」とは何かの因果関係が明確ではありません。「罪」を「社会の規範」としたとしても「社会の規範」とはなにか、というようにどんどん広がっていきます。つまり、真実を隠そうとする意図が背景にあるのです。そして、個人の責任という形で処理されてしまうのが「犯罪」という語彙の原理だと思います。
そのような言葉が、実はたくさんあり、私たちはそれを不用意に使っているのです。過去の先輩たちの様々な立ち位置から表現された「語彙」が今日に引き継がれているのですが、「権力」を握っていた先輩たちの認識の程度や立ち位置が濃く影響している結果なのです。
もちろん、今日まで改良されてきていますが、その原理的な意味合いにまで論及されてはいません。ですからその都度あちこちで混乱を起こしています。たとえば「差別用語」がそれです。誰が差別し誰が差別されているのか、そのような語彙がどのようにして生まれたのかについて明確にしなければなりませんが、その事には触れたがりません。触れる事が差別になるとのイメージを拡大して、真実から遠ざけようとしているように思われます。
従来、「専門家」として通用していた「立ち位置」は、すべての分野で崩壊してきているように思われます。
「国文学」のなかの「歴史学」や「言語学」ではなくなっているように、それぞれが独立して研究が進められてきています。独立した事が特殊化・スペシャルのジャンルを造り広げられてきたのです。
しかし、それらが何故そうなっているのかということに明言しているものにであうことがありません。
わたしは、それらは「支配の論理」で考えられた結果であると考えています。
「支配に都合がいいように仕組みを再生産していることに、混乱の原因があります」
「支配の論理で考えられたものはどれか、を明らかにすればいいのです」
「一部の金持ちだけに都合がいいもの」「一部の者だけが高い教養を得られる仕組み】「一部の者だけが利益を得られる仕組み」これらは、それを判断する基準になりませんか。
「多くの人が仕合せになることを邪魔する仕組み」「多くのひとが賢くなるシステムを邪魔する仕組み」なども、その基準になりませんか。
by kanakin_kimi | 2013-02-03 21:02 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

沖繩に災害救助隊基地を作ろう

沖縄の米軍を廃止して、災害救助隊基地にしよう

平和の島国に軍隊や軍事基地は似合わない。「世界の平和」を発信する事こそが、沖縄の人々の願いであろう。その人々に、いつまで苦しみを押し付けるのか。
米国は、今、自らの「経済改革・構造改革」をやり切れるかどうかにかかっている。そんな時にいつまでも戦争政策で繋ごうとする輩がいる事は、米国国民にとって「癌」以外の何物でもない。もはや、米国国民の手で「切除の手術」をするべき時期にある。
沖縄は、今、その絶好の機会を持った。沖繩に災害救助の機器製造基地を作り、災害救助隊を作り、「世界の平和」発信基地にするのだ。
日本政府は、その実現にこそ邁進するべき時だ。
米軍で働いていた米国人を沖繩に作った災害救助隊に隊員として採用することは可能だ。米軍を廃止する時失業者の出ないように協力するべきだろう。

by kanakin_kimi | 2012-09-11 06:22 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

米軍は、「オスプレイ」を使わない。

「オスプレイ」は戦略的に、米軍が使用する輸送機ではない。
日本の自衛隊に使わせる事に意味がある。輸送機としての意味合いがないからである。「機動性」にいみがあるが「近距離輸送」であり、「低空飛行」しかできない。爆撃目標になりやすく、すぐ落とされるからである。
ただ、米軍が軍隊をやめ、「災害救助隊」になるというのなら、日本で改良して「災害救助隊の輸送機」として使えるようにする意味はあるだろう。

by kanakin_kimi | 2012-09-10 13:43 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

戦略的避難装置 24

人類を守るために地球を守るという事が、認識されるゆとりが持てるようにしなければ前には進まない。食物の連鎖の中にその回答がある。動物をむさぼり食っているものに、動物愛護のためにする人々へのありがたいご託宣は、やはり心地悪い。それと大同小異かもしれない、植物を貪り食う人々の菜食主義の称揚であるご託宣もまた心地悪い。じゃあ、どうすればいいんだい。善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや、なのである。限りなく謙虚に生きれ、とおっしゃっている。
それで、「ダーチャを世界に普及させること」これが、世界の平和を実現する最も確実な方法です。ということを声高に申し上げます。それで、これを言っておきます。
井口和基氏のブログ(Kazumoto Iguchi's blog ) ついに「311が核爆弾の人工地震であった証拠」が見つかった!?:高周波と音波の存在!.htmlでみたのだが、「日本海溝にサンプル穴をほっていた・ちきゅう・その穴に原子爆弾ヲオミマイシタ米原子力潜水艦があったのではないかという情報」があった。それが、3・11の地震と大津波をもたらしたというのです。(あ)311が始まる前にHAARPが異常に活動したこと。大地震の前兆現象が科学的に証明された!?:やはりHAARPと原爆の仕業だったのか?(い)大地震の三連発が一気に起こったこと。この波の重ね合わせのために、(う)巨大津波が日本側だけに到来し、北中南米に被害が及ばなかったこと。(え)地下深部10キロメートルの浅い地震であったこと。(お)掘削船ちきゅうの活動地点であったこと。(か)および 、震災時にちきゅうがそこにいたこと。(き)震災前にイルカの大量死があったこと。イルカの大量死の最大の理由は米原子力潜水艦による強烈な大音量極超低周波ソナーの放出によるイルカの脳破壊のためと知られている。(く)したがって、この地域に原子力潜水艦が到来した可能性があること。(け)震災直後に巨大渦巻きが誕生し、水が海底穴に引き込まれたこと。(こ)311地震の音を計画的にモニターしていたけんきゅうしゃがいたこと。311M9の巨大地震の音;やはりあれか?などなど。ーーーーと書かれている。
しかし、3連発の原爆を的確に操り、返すことのない、片道津波に仕上げたというのだが。本当だろうか、だとすれば、何のためにという疑問が湧いてくる。わたしは、このブログでも言ってきたのだが、アメリカの財政改革をしないとアメリカという国は崩壊する状況にある。「ソ連崩壊」などと散々酷評されたけれど、ソ連はやはり偉かった。それが前述した「ダーチャ」なのだが、アメリカでは「穀物メジャー」が広大な土地を占有し、奴隷労働をつい1975年に世界から突きつけられても、ILO脱退をキッシンジャーに言わせ通告したのだ。しかも、オバマのチェンジでやっと去年に健康保険制度が、それも7票差で決定したぐらいのものだ。日本の支えがなければ間違いなくほうかいはあきらかだ。菅直人が総理大臣になって、「チェンジ」を「危機」と見た「日本の謀略組織とアメリカの軍部謀略組織が動いた」のだと思う。その動きを、「3・11」以前のどれほど前から、そしてのちの「福岡らの菅直人さえやめさせれば解決すると公言した」動き、自民・公明の菅直人追い落としの動きそして、当時の議事録が失われている問題などを時系列で整理すれば浮かび上がってくるはずだ。
その裏を知っているから、俺の責任ではないというかの如き「東電のしたたかな態度」が物語っているのではないのか。
by kanakin_kimi | 2012-02-17 12:16 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

戦略的避難装置 22

人が、人を支配しようとする「小さな支配」と、人の集団を支配しようとするグループの「大きな支配」があるようだ。一孤の「人」が「大きな支配」をする事はできない。大きな支配をしようとするには、それ相応のグループが必要になる。そのグループは、「経済力・武力・技術力(文化を含む)」で結びつくのである。それは何故生まれたのか。それは、いじめの連鎖と同じで支配された経験があるからである。自分の商品の販売網におけるシェアー争いも同じである。「囲い込み」も同じである。この「支配の連鎖・いじめの連鎖・囲い込みの連鎖から人類を解放する事である。」そのためには、経済的であれ・技術的であれ・階級的であれ・文化的であれ・その他あらゆるカテゴリーにおいて「支配の囲い込み」をしているものたちは、自らのその意図を放棄し、そして自らを解放する事である。自然の力による破壊に対応するために必要な「囲い込み」を造り、維持・発展させるためにである。
「自然の力による破壊に対応するために必要な囲い込み」は、「人類を守るために地球を守る」というレベルと「人類を守るために新たな地球を作る」というレベルを同時進行させる事である。そのためには、人類全体の力を結集しなければならない。そのためには、人類全体が賢くなるようにしなければならない。賢くなるという事は、一孤の人間が自立するという事である。そして、賢くなるために相互扶助する事である。
by kanakin_kimi | 2012-02-14 10:13 | 戦略的災害対策 | Comments(1)