カテゴリ:患者学( 12 )

患者学のエアーポケット

それは死


人は「死」を特別な位置においている。それは何故だろう
か、崇高なものをそこに見ているようでもあり、それで終わりだと宣言しているようでもある。人の一生を眺めやることが出来たものは、どれほどいるだろうか。生まれたとたんに死んでしまったものには、生自体もわからない。
長く生きてきた人でも、そんなこと考えるゆとりのないものも、かなりいたのではないだろうか。
そういう人たちにとっての「死」は「恐怖」や「人生の終わり」「世界の終末」になる。
しかし、現実にはそうではなくて、世界も続いている。
人はその永遠を見ていたいのに「死」はそれを奪い去っていく。この「死」の見方次第で、人は自分の生き方次第を作っているようだ。そうだとすれば、「死」の見方は重要である。
私はやっとそのことがわかるようになった。ひと独りの「死」は、その人の「細胞」と同じなのだ。
だけれども、ひと独りの命はそのひとの細胞の命とどこかが違う。その人の思考力と、獲得した認識という財産がその人の死で終わりとなることを認められないという人の場合は少し様子が違ってくる。
その人の場合はどうすればいいのだろうか。簡単なことだ、長生きすればいいのだ。
云うのは簡単だけれど、今70歳のひとがこれまでに獲得してきた思考力や獲得した認識をこれから使いたい、やっとこれから見えるようになった世界に挑戦したいという思いでいっぱいだ。
そこで、考えさせられることがたくさん出てきました。それはどうやら自分自身が賢くなることを追求し続けることにあるということに気がつきました。自分以外の他のひとに求めるのではなく、まさに自分自身に求めるというスタンスをとり続けることだというのです。そのことがどういう意味を持つかは考えなくてもよいというのです。ただひたすらに自分自身が賢くなるようにすることだと云うのです。
そして、大切なことはそれを独り占めするのではなく公開することだと云うのです。
それで、自分自身が賢くなることが、みんなが賢くなることにつながるのだということのようです。自分のために賢くなるための十か条を作ってみました。

賢くなるための十ヶ条

【第一条】 自分の無知をさらけ出せ。実際70歳になっても、知らないことだらけなのですから。

【第二条】 自分の身体を知ることから始めます。膝が痛いとか、時々内蔵がない右の肋骨最下部の下辺りが急に痛くなるのは何故か。今通っている小川眼科で二年になる白内障の手術を左右の目を行い、右目の加齢黄斑変成の網膜しわや血管異常にアパスチンなどの眼球注射をしている。これらの患者経験から気づかされて、お医者さんが看護師さんがいくら献身的に対処していただいても、自分自身が不健康なことをしていたら、直るものもなおらない。それで、ラジオ体操を毎日妻としています。その後雨でなければ出来るだけ無理のない範囲で、町内を一周走ります。そして、自分の身体にあった、腕の上げ下ろし筋力強化策に竹刀を振る剣道の稽古の基本ですが、素振りを二百回しています。

【第三条】 粗食を楽しく腹八分目。ずーっと粗食ですが、より考えた粗食です。菜食主義ではありませんが野菜がほとんどです。貧乏人が豊かに暮らすためには、野菜を自給できるようにする工夫をすることだと気づかされました。社会的に工夫すればソ連のダーチャ方式があるそうです。

【第四条】 妻が云うのは、徹底的にひとに迷惑にならないケチを追及することだそうです。

【第五条】 身体の健康を維持するためには、自己治癒能力を活性化させることだそうです。そのためには常に新陳代謝を行うことです。自分の身体の性は、男は男の女は女の機能から発生する分泌するホルモンと精神的機能との連動がありますから、それを大切にすることが最も簡単に新陳代謝を促進します。それを使わない手はありません。そしてそれを辛抱することが極意のようです。

【第六条】 精神の健康を維持することなくしては長続きしません。第一条が素直に打ち出すことが出来れば、およそ精神の健康は維持できるといいます。何も知らないものが、ひとに偉そうなことを言うはずもありませんし、知りたいと思うことばかりですから、人様に教えを乞うことに壁はありません。これがなかなか維持できないものだそうです。ちょっと知るとひとさまに教えを垂れるそうで、妻からすぐに云われます。あんたは貧乏人ね、金持ちはひとにいわない。というのです。

【第七条】 自分の目標を近くにおき、目的をずっと遠くにおくことだそうです。私の目的は、宇宙のすべてを認識することで、目標は、自分と自分の周りのことを認識することです。

【第八条】 横八の字ムゲン印を描いている30センチ先の鉛筆の先を両目玉で追っていくのです。そうすると眼球の筋力増進にいいようです。遠くを見たり近くを見たりと遠近トレーニングも眼球筋力を増進します。そうすると視力もよくなってくるようです。これは、どうやら目の問題だけではなく、賢くなる重要な意味合いがあるようです。

【第九条】 宇宙のすべてを認識するということは、無限を認識することでもあります。宇宙の全ての事象の情報を認識するということは、リアルタイムに認識するということと同じです。周期性のある事象であれば、その既知の情報と概念である程度補足できます。しかし、リアルタイムに認識することと、宇宙のすべてを認識することは不可能とされています。現在は、それを既知の階層構造の情報を連結させて再構成可視化させる方法をとっている。ところが、無限の概念に拘るものにはなかなか理解されないようです。これはたんなる無理虫というものでしょう。

【第十条】 さて、とうとうここまで強引に引っ張ってきたのですが、せっかく獲得した認識を自己中に閉じ込めてしまうのはもったいない。ひと独りの命を、そこに閉じ込めておかないで、解放形にすることが獲得した認識の生き残り策であることです。
そこで、誰もが閉じ込めるであろう原因は何かを追求してみました。それは、先ず第一条の問題でつまづいている場合があります。つぎに、無知をさらけ出す相手を「神様や仏様」に下駄をあずけている場合です。つまり、追求することをあきらめてしまっているわけです。その一つを代表として取り上げると「無限」の概念に決着を付けていないことです。私の決着の付け方は次のようなものです。

【「無限」の概念と「真実」の概念は同じである。】というものです。

「真実」は、「実態真実」と「仮想真実」に大別される。
「実態真実」は、実際にある全ての実態であり、「仮想真実」は、実態真実を観察し、味わい、分類し、定義付け、分析して構造を特定し、データーを蓄積し、情報として再構成し、それを実態真実により近づける作業を人類は行ってきた。だから、今日積み重ねられた仮想真実の量は、実態真実を「バーチャル映像」で可視化してくれるほどになっています。
さて、このように究極に向かって「仮想真実」を積み重ね・積み上げていっても仮想真実はあくまでも仮想真実であって、実態真実と同じというわけにはいきません。「実態真実」はリアルタイムに変化しているのです。そこで私は、「実態真実」を「空間に広がる質量の連続」と定義しています。
まさに、捕まえきれない「無限」と同じである。
「無限」を「真実」と同じだ云うのは、それぞれ概念を表現している「言葉」だからです。したがって、この場合も「実態無限」と「仮想無限」を想定することが出来るのです。現在の「仮想無限」のデーターが天文台で計測されたり、衛星による観測データーなどがどんどん蓄積されています。そのデーターはすべて「仮想真実」のデーターと重なるわけです。ですから、同じだと云うのです。
ロマンチストが「真実は一つだ」といって、思考停止しているのと同じあやまちを繰り返しをしてはいけない。これと似た問題に「宇宙」があります。これも「実態宇宙」と「仮想宇宙」とに分け「仮想宇宙のデータ」が積み重ねられていると考えれば、誤ったデータを「真実」だと強弁する愚かさにも笑えるでしょう。「宇宙は一つ」ではないのです。ですから「宇宙創成のビッグバン」はありません。それでなくても、あっちこっちで「大きな星々の爆発」と云うのは観測されています。
これらでわかることは、「実態は全て相対的で絶対化できない」のですが「仮想の概念上では絶対化出来る」ので言葉上・観念上で描けるということなのです。

by kanakin_kimi | 2012-12-16 16:32 | 患者学 | Comments(0)

新「患者学」 3

ゲーム感覚で政治をしているものは、自分の命を懸けるほどの覚悟をしてはいない。だから、チェイニーもラムズフェルドも記者会見で見せた表情の変化は、おそらくその後のアメリカ市民の追求によって、もっと深刻な事態に身も心もズタズタになって行く運命にあるだろう。当時は、自分の国を信じ、ブッシュ等の云う事も半信半疑ながら信用していた人々は、真実が明らかになるに従い、倍するほどの怒りになっていくのだ。そして、ヒラリー・クリントンはこれからその思いをうけることになる。三千余人の01.9.11と三万余人の11.3.11の大きな違いも含めてである。ヒラリー・クリントンが日本にきて福島などを歴訪して見てはいかがか。平気な顔でいられるものなら、きてみればいい。
さらに、95.1.17の阪神淡路大震災と95.3.20の地下鉄サリン事件などの被害者たちが抱いている想いはその真実を明らかにさせないではいられないだろう。大震災の中で相互に助け合ってきた人々の心を切り裂くような戦慄を浴びせる「A少年事件」が公安調査庁のあるセクションででっち上げられたのも、「311」の真相とつながってきそうだ。
それほどに、「3・11」の真相のインパクトは大きい。C I Aなどと軍部の一部権力を実質的に牛耳ってきた富裕層ロスチャイルド・ロックフェラーなどが計画してきた一部であるそうだ。しかも、日本の謀略家どもがこれに加担していた気配がでてきた。多くの市民の目を「ほかにそらせる仕事を博報堂や電通がしている証拠」の把握活動を市民は行っていてほしい。311当時の情報が抹殺されないように議会議事録などを入手しておいてほしい。議会でやっている、「処理作業」のほかは「茶番」に見えてくる「無政府状態なのだ。」首都東京の崩壊を見込んで大阪首都構想を打ち上げたロックフェラーとつながる維新の会と橋下やそれになびいていく国会議員自民党・公明党などなど、それを大々的に宣伝する新聞・テレビの報道は、いっぽうでは311の真実を市民にヒタ隠くしにしたままでいいと思っているのか。これはもはや国会議員と報道機関の犯罪で、無政府状態という所以である。報道関係の市民は取材した証拠を確保してもらいたいそして、wikiリークスへ流してほしい。多くの人の目に見えるようにするのだ・
wikiリークスの情報は、刻一刻と世界の動きが伝わってくる。ロスチャイルドやロックフェラーが日本に逃げてくるのではないか。そう思わせるほどの動きがでてきそうだ。追記、そして今、グリーンランドへの逃げ込み準備が進んでいる可能性が見えてきた。世界の市民のそれに対する監視を行ってください。
by kanakin_kimi | 2012-03-10 18:04 | 患者学 | Comments(0)

新「患者学」 2

「患者学」は、「病気」は医者や看護師が治すものではなく、患者自身が治すものである、ということを言ってきた。その基本は、自分の本来もっている「自己治癒能力の活性化」である。そのために、自分の体を自分で健康にする事。それができる環境を作り、作らせる事なのである。
日本列島は、「八百万(やおよろず)の神々が座(いま)す」ところである。「八百万の神々とは、森羅万象の精霊と、縄文の人々、弥生の人々、中国に攻めたてられて逃げてきた突厥・新羅・百済・渤海国など様々な人々」が文化をもたらし、指導し指導されながら、今日の日本を形成してきたのである。そして面白い事に、北海道は頭・青森は首・そして東北の肩と背・北陸と東海と近畿の腰・臀・駿河湾の子宮と能登半島の男根・中国・四国・九州・沖縄の手脚というように人体になぞらえられ、その地政と機能まで附会する事ができる。まあ取ってつけたものだが面白い。この人体の自己治癒能力を活性化したい。
イスラエルの民たちも心広くして、雨にも負けずを一緒に作り上げていくチャンスは、謙虚さを示せば必ずある。宮沢賢次の好きな東北人も3万余人の精霊と日本も必ず役に立つ仕事をするだろう。
時は今 雨がした縷々日の本の 心かよわす 海人の人々 と詠んでみた。
by kanakin_kimi | 2012-03-06 20:54 | 患者学 | Comments(0)

新「患者学」 1

昔、工場の煙突を高くする事によって工場から排出する煙を遠くに放煙して拡散するやり方をした結果、煙公害が広範囲に広がって問題になった。拡散する事によって薄められると考えたのであろうが、実際はそのようにはいかなかった。逆転層で濃度が濃くなる地域がでてきたのだ。それと同じで、放射能を含む瓦礫の処分を全国への広域処分をするという構想が進められているが、それは安易な方法といって過言ではない。何故そのような方法をとるのかという事の背景が隠されているようだ。
公式には、なぜか発表されない事がどんどん膨らんできている。何が真実なのか、自分自身で裏付け調査をしなければ納得いかない事実が増えてきているのだ。それは、いよいよ、政府が把握した情報がうかつに発表できない代物になって判断不能を来しているという事なのだろう。
しかし、これは行政機能の自然凍結状態(無政府状態)が近づいているという事だろう。そうだとすれば、まさしく市民・国民自身が独立した「直接民主主義」を実現する以外にないのだ。
私たち一人一人が、仕事をしている。そのポジションから「直接民主主義の行政行動をしていく事なのだ。」また、「行政機能の自然凍結状態」を悪用させない監視チェックと、「直接民主主義の行政機能を作り出す作業」を、今そのポジションで仕事をしている市民自身が行ってもらいたい。そして、国会周辺業務に携わっている市民や司法関係業務に携わっている市民は「直接民主主義の司法機能・立法システムについての創造的作業」を準備してもらいたい。
従来型の権力移動の観点から行われている、さまざまな「工作=謀略といってもよい」は、幕末の「黒船」を模した「東日本大震災」とさらなる「東京首都の崩壊」を描いて「大阪首都構想」に結びつけるやり方が「日米合作」で進行しているように思われる。
軍事同盟を結んでいる日米関係ですら、核爆弾とHAARP電磁操作によって人工地震と片道大津波を、御見舞したのだという「ヒラリー・クリントンの脅しは、北朝鮮にはきわめて有効に働いたのだ」
これは、もう日米軍事同盟をアメリカが一方的に破棄したようなものなのだが、「行政機能の自然凍結状態」が進行している今、もはや日本の国家そのものを現在の政党政治による国会は放り投げたに等しい。この事態を、各政党の人々には「自覚もなく認識も」がないようである。「状況証拠がこれほど積み上げられてきたのだ。」自民党・公明党はいわば「日米合作」の一員としてやってきたのである。もちろん、全員が知っているわけではなく特定の「党」を牛耳れるメンバーがそれを行ってきたわけである。そして、民主党は「菅総理包囲網」の時にそれが形成されたのだと思う。「福岡」が菅総理さえ引き摺り下ろせば、後は誰でもいいと言い置いてどこかへ雲隠れしている。
by kanakin_kimi | 2012-03-06 12:31 | 患者学 | Comments(0)

患者学 ❷

わたしは、藤枝市の統計調査員という有償ボランティアをしている。今、全国的に「経済センサス活動調査」が行われている。そのせいか、経済活動というジャンルを身直に感じるようになった。戦略的避難装置を作る材料にも留意するようになったからかもしれないが、他方で「加齢黄斑変成の治療のために眼球注射をしている」せいでもあろう。目の視力が毎日よくなったり悪くなったり、ドライアイになったせいもあろうか。書類の文字が見えず、拡大鏡を必ず持参しなければならなくなった。そういう中で、ラジオ体操で「眼球体操」をしながら「視力回復プログラム」にもお世話になっている。それらをやっていて、確かによくなってきているという実感が持てるようになってきたのだろう、余計なお世話かもしれないがひとにも勧める傾向がでている。たとえば、眼鏡屋さんや眼科医院でこの「視力回復プログラム」を待機時間にやればいいのではないかと思うのである。駅近くにあれば尚いいのではないか、コミュニティーの核にもなる。眼鏡を売るだけでなくそういう運動を合わせてやるべきだろう。
by kanakin_kimi | 2012-02-05 11:18 | 患者学 | Comments(0)

患者学 ❶

「市井医療」といえる、医者が「真正面からは採用しないけれど、斜に構えて用心深くというかモッタイつけて採用している治療法」がある。それは結構広い分野で影響力を持っている。「サプリメント」といわれているものもあれば、栄養剤・補助剤など、様々な言い方で市場に出回っている。ほとんどは「経験則」で評価されている。私なんかの場合、[プロポリス]を「風邪予防」に、喉がざわざわいっているとき、1〜3滴喉に飛ばしてつかっている。これが結構効いている。また、老人性白内障・黄斑上膜・ほか合併症という事で手術をした後、残っているのが加齢黄斑変成で、眼球注射で治療していただいているが、このわたしが煙草をすぱすぱ吸っていたり、酒を飲んだりして体を壊し、運動もしないでいたらせっかくの治療も台無しなのである。それは、自分のもっている「自己治癒能力」を自分で弱めたりつぶしたりしている事になる。その事を知っているから、ラジオ体操を妻と孫と3人で毎日やり、そのときに眼球体操を合わせてやっている。手の指先に視線を結んで体操に合わせて動かしているのだ。効果はてきめん現れてきた。しかしこれだけでいいのか不安もでてきた。そこで、インターネットで調べてみたらたくさん情報がでてきた。その中で、私が採用したのは「徳永式・1.5視力回復プログラム」であった。なるほどと納得できる内容である。これなら効果も理論的にも実際的にもよくなるぞと確信した。また、薬師堂の「馬油石けん」「ソンバー油」はもう必需品になっている。これらは、わたしの「患者学」である。自分の体の[自己治癒能力]を高めるために、「粗食を食べ」[運動をし」「よき排便をし」自分の体のすべての「新陳代謝」を「体に悪いものは出し、いいものを取り入れる」という事なのだと思って進めている。そして、それは「脳の新陳代謝」も同じ事なのだ。「間違っている事と正しい事の読み分けがきっちりできる事」そして「正しい事を実践する事」なのだと思っている。これが私の患者学の基本姿勢である。そこで、ここで提案する。殆ど様々な分野で「市井の治療法」「市井医療」がそれぞれの分野別で発信されているが、そこに参加している医者がいるにもかかわらず、真正面からのアプローチになっていないのではないかと思うのである。アルバイト的であり、はすに構えており、あるいは遠慮がちに、取り組まれているように思えてならない。理論的にも・経験則的にも・「医心方」のむこうを張る「患者学」として統一的な集大成をしてもらいたいものだと思っている。「科学論・技術論叢書」が出されたとき、医療分野で「川上武氏」が「精神医療」についてかかれていたように思うが、2002年に「戦後日本病人史」を「坂口志朗・藤井博之・本間肇・宮崎和加子・山内常男」各氏とともに編著されている。これらの視点から「市井の医療・日本患者学」をそれぞれの分野で作ってこられたものを協同合作から始めてもらいたいものだ。そして、「徳永式・1、5視力回復プログラム」などは、「小学校・中学校・高等学校・大学校の教科」に採用してもいいものだと思う。日本人の眼鏡文化はめがねやさんをもうけさせるためにあり、人々の健康のためには貢献していないと思われるほど、眼鏡屋さんは眼鏡だけを売っている。
by kanakin_kimi | 2012-01-30 15:36 | 患者学 | Comments(0)

患者学 ー 6

間接民主主義から直接民主主義へと転換している時代に私たちは生きている。先輩達の悪戦苦闘のお陰で、その時代がある。その歴史的産物の上に生きている私たちが何をしなければいけないかという事は、すでに明示されてもいるのだ。それは「みんなが賢くなるようにする」そのことなのである。それは、もちろん自分を賢くなるようにする事なのだ。郵政民営化という問題がある。昔は、税金でつくった事業を大金持がそれを横取りする時に、議員や国会を利用して民営化法案を決めさせて自分の資産に繰り入れさせてきたという歴史がある。一方で、国家の資産に温存させて置いて、官僚や族議員の喰い物にさせてきた歴史もあった。みんなが「無知」だったから、それを利用して、無知につけこんでおこなわれてきたのだ。みんなが賢くなれば、そんな事すぐにバレバレになり、直ちに追求される事になるから、できなくなってきたのだ。みんなが賢くなれば、民営化しても、それは相互扶助的な民営化であるから、地域格差がないようにするということが分からないはずはないではないか。そして、その費用を日本全体がプールし合った民営化でなければ意味がないではないか。その証拠に、困った人がいればボランティアがすぐに助けてくれる社会になってきたのだ。相互扶助的な民営化をすればいいのだ。金融資本が崩壊した今日、金融機関のあり方も改革される。相互扶助的な金融機関がそれだ。もう、無知につけ込ませない。それが出来る日本になれば、相互扶助の世界への指導的役割が果たせる日本になるだろう。もちろん、先輩達がこつこつといろんな分野で積み重ねてこられた実績が今日の日本を形作って
いるし、また世界に広げてこられてきた事を忘れてはならない。
患者学も同じ歴史があるだろう。指導的役割を果たしてきた医者たち。政治権力と癒着した医者たち。地域医療を目指した医者たち。離島の医療に貢献しようとしてきた医者たち。そして、国境なき医師団を目指した医者たち。医療技術の向上を目指した医者たち。患者の認識向上を目指した医者たち。それぞれの歴史が今日の下地にある。それはこれからも変形しながらも推移していくだろう。社会的な支配構造の歴史の流れの中で医療分野でも同じ構造を持っていた。政党政治が崩壊するという今日の状況が
政党の指導的役割を果たしてきた事の終わりを示している。この事が、医者達の指導的役割にどのような変化をもたらすかは明らかである。政党政治と関係してきた分野は終焉する。純粋に医療分野といえるところでの指導的役割はさらに増加するだろう。しかし、それは支配構造を持つものでは決してない。専門分野のそれぞれが持つ技術的社会的指導的役割なのである。患者が無知であった時代から、少しずつ賢くなり自立出来るようになってきた。そして、さらに賢くなっていく時代の患者自身の役割が負荷される事になってきたのだ。それは、みんなが賢くなるシステムの一つとして同時進行しているのだ。その規模は最も大きなものになる。
by kanakin_kimi | 2011-09-05 11:29 | 患者学 | Comments(1)

患者学 ー 5

時間を表示する為に「時刻」じこくという概念を使って時を刻んでいる。そして、それは同時に実態真実の連続の経緯を表示している。時間は時刻と時刻の間を表示するとともに、連続を表現している。時間は実態真実の流れとか、経緯、つながり、継続する様を表現したり仮想真実上の概念として書き留め、認識として再構成している。患者総体は連続しているが、個々の患者は自分の命が個立し血のつながりを生命のつながりという連続性を認識していない。無機物の連続性は認識しても、有機物の連続性は認識することができないようだ。それは、個体は誕生から死亡までを個体の一生と定義して、始まりから終わりで完結するという認識を持っているからである。そして、この狭間で宗教が発生している。しかし、個体自身の中で日常的に同じようなことが発生していることには無頓着なようだ。つまり、例えば皮膚の細胞は生まれては死に産まれては死んでいるのである。これを新陳代謝といって平気でいるのに、同じ原理で子供を産み死んでいく新陳代謝には特別の思いを重ねてきた。患者学は、これを同じ土俵に引きずり出して、新陳代謝を停滞させるのでなく、新陳代謝に必要な栄養であり、運動などをつみあげて、新陳代謝と一体にある自己治癒能力を活性化させ、医学的治療をより効果的に取り込んでいくというものである。
by kanakin_kimi | 2011-09-02 05:55 | 患者学 | Comments(0)

再建の基本 ー 患者学の構築 4

患者学は、患う者の学問である。患う立場を認識できない者には理解できない。法律の世界も同じである。支配の貫徹を目的として法律を利用している社会では、複雑な法律体系になっている。一般大衆には到底心を通わせることができない代物になっている。そして、スペシャリストの殿堂にしてきた。本来、法律というのは一般大衆にとって必要のないものである。一般大衆にとっては、相互扶助こそが必要な約束ごとである。そこにはわかりやすくすることが必要であり、複雑にする必要性はない。現在の法律体系の複雑になっている部分を取り去れば、法治のシステムが一般大衆を置き去りにしている事が見えてくる。逆説すれば、一般大衆を置き去りにする意志とは一般大衆を法治のシステムの下位に排除する意志のことである。もう、知らなかったでは済まされない。政党政治・議会制・議院という名の下に一般大衆を支配しているのである。そして、今、そんな支配はもうごめんだ、と叫んでいるのだ。その事が分からない者には、現在の法治システムの改革はできないということである。改革の先頭にいるはずであった民主党が、その認識がないものだから立ち往生しているのだ。不幸な事に、立ち往生しているということ自体も見えていない様である。
by kanakin_kimi | 2011-08-24 20:04 | 患者学 | Comments(0)

再建の基本 ー患者学の構築 3

患者学の基本は、自己治癒能力を常に健在させ活性化させることにある。そして、それは新陳代謝のそれぞれの機能を安定的にしかも永続的に行なわれる様に常に怠りなく準備することである。自己治癒能力の健在形態は多様で、患者の数だけ種類が豊富である。だから、患者自身がそれを見極めなければ他人には分からないことが多い。いくら優秀な医師や看護士も患者と接する時間は瞬間である。どれほど技術が発達しても、医学・看護学に携わる人々が優秀になったとしても、その限界を超えることはできない。その限界を乗り超える者は患者自身に課せられている。医師や看護士が自分自身が患者になって始めて知ることは多いはずだ。このことは何を物語っているかという事は、もはや明らかである。患者自身の患者のための患者による学問ー患者学を構築しなければならないと思い立った次第である。
それこそ、みんなが賢くなる事を進める ー システム の一つであろう。したがって、この事は生まれた時から出発させなければならない学問だということなのである。「科学論技術論」ですでに指摘されてきた事ではあるが、改良が突き詰められていくと、その限界を超えるために新たな原理が発見され、その原理に群がって改良が行なわれる。これは、形を変えればシステムの巨大化も同じ理屈であり、スペシャリストの先鋭化も同じ理屈なのである。これらが認識されるのであれば、始めからそれらを視野に容れて多様の統一を総合的にすすめればいいのだということに気づき、進められ始めた。政治の世界でも政党政治が終焉し、間接民主主義から直接民主主義のシステムに移行する転換点にきているのも同じ理屈なのである。
by kanakin_kimi | 2011-08-23 17:47 | 患者学 | Comments(0)