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袴田事件の報道記録












by kanakin_kimi | 2012-10-23 09:34 | 袴田事件 | Comments(0)

告発  も く じ (予定含む)

目 次


1、告発 序1 袴田事件の事件構造

2、告発 序2 法治主義と訴訟構造

3 、告発 序3 証 拠 法 と 証明構造

4 、告発 1  袴田さんは無実です  見込み捜査

5 、告発 2  袴田さんは無実です  死体は動かされた

6 、 告発 3   袴田さんは無実です  強盗は、無かった

7 、 告発 4   袴田さんは無実です  証拠隠滅とねつ造の「屋上おくの重ね着」

 
by kanakin_kimi | 2012-07-31 18:21 | 袴田事件 | Comments(0)

ときを うごかそう

ときはいま たみがしたしる ふづきかな 1

46年目の命日、昨日6月29日は扶示子さん・ちえ子さん・雅一郎さんの命日でした。今日6月30日は藤雄さんの命日です。
袴田巌さんは、警察が8月18日逮捕し、拘束し始めて、拘置所で死刑の恐怖に精神を破壊されるにいたった歳月も、やはり46年目になります。
「当時19歳だった少女」「ときのとまった」貴女も46年の歳月を経ています。
同じ46年の歳月を、「無実の罪で、無理矢理押込められた、理不尽の、檻の中で精神を破壊された ー袴田巌さん」と「新婚気分でした九州日南の旅行から久しぶりにうきうきした気持ちで帰ってきた貴女が、明日武道館のビートルズを見に行くという妹を死なせてしまった。事業も軌道に乗り、県内の同業者63事業所がある中で、3位にまで成長させた。応接間の新聞は長者番付の紙面が開かれていたままだ。その父に母と弟を死なせる行動をとらせるきっかけを作ってしまった。ほんの一瞬が、今までの家庭の歴史をあぶり出し、脳裏をよぎっただろう。藤雄ができる事は一人残した娘の罪も含めて自分があの世に持っていくしかないと思った。」
あとの事をよろしくと、藤雄から持ちかけられた人々も大変な事を背負い込んでしまった。その人たちの時も46年間止まってしまった事だろう。
その「ときをうごかす」責任が、貴女にあります。貴女にしかできません。「ときを動かしてください」


ときはいま たみがしたしる ふづきかな 2

真実は、桶狭間から本能寺を読み解かなければわからない。じつは、桶狭間には、のちの、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が勢揃いしていたのである。感覚が研ぎすまされ、それでいて時代から超然とした発想を自在に思いつくままやりとうした。沢彦はいたけれどほとんどを一元的に取り仕切った信長。親族の中での血で血を洗う抗争の中で孤立し、斎藤道三から血を超えたところからの献身力をしった。その事情が晩年に膨らんだ。親族に権力を継承させ、集中しようとした時崩壊した。いわゆる「たかころび」である。
そして、「知恵」を参謀から採用する事に巧みであった秀吉は、「わたり」忍者集団や穴太衆・木地師などにささえられて信長に貢献する仕事を積み上げていき、「陰から表」にそれらの人々を引き上げていった。戦闘集団や組織が信長を超えたとき「たかころび」をしたのである。
では何故、徳川家康のみが長期政権を培う事ができたのか。それは、駿府の「次郎」のときから学んだ「くすりうり・くすりづくり・接ぎ木・植木職人・情報伝達の仕組み・組織の仕組み」を自分の体で覚え、徹底的に学ぶ事・それを組織作りに応用してきた事からの「集団指導体制」をはじめから造り上げており、信長の治世・秀吉の治世から「組織的に」学んでいったからであった。
このような「徹底した学びの精神」は岡崎松平の若殿「松平元康」には、到底育まれようがない。
さて、本能寺近辺にも「秀吉の代理や家康」が勢揃いしていた。情報戦で最も抜きん出ていたのが秀吉である。しかし、明智光秀は、主体的に変を起こす意志を持っていなかった。持っていたらあんなへまをするわけがない、全てに後手ごての流れに身を任せている。そして、土岐一族の主従の事情が客体的に光秀を引きずっていった。斎藤利三の手のものが本能寺を襲撃した情報を聞いたとき、「是非もない」とつぶやき「敵は本能寺にあり」を宣言せざるを得なくなったのである。「信長公記」は、信長の台詞にしているが、あれは光秀のつぶやきである。そして、斎藤利三を駆り立てたのは、徳川家康である。したがって、徳川の伊賀衆も斎藤利三を支援していただろう。だから、光秀が本能寺へくる前に、伊賀衆が家康と連携して「伊賀越え」をしたのである。そのとき、武田の穴山梅雪は殺されざるを得ない行動をとったのだろう。罪を夜盗になすり付けて殺したのである。光秀の影武者を斎藤利三がやり、光秀を徳川に託したという線はいかがだろうか。それらしき事実がある。何故、春日局が斎藤利三(さいとうとしみつ)の娘であり、信長の妹の娘の血を拒否して、としみつの娘の血を受け入れた。「本能寺の変」は続いていた。二代将軍徳川秀忠の名「秀忠」は、秀吉への人質として秀吉からつけられた名前だろう。三代将軍徳川家光の「家」は当然「家康」。では、「光」はどこからきたのだろう。「としみつ」と「光秀」にその出典をみるのは、合点の行く事である。
いづれにしろ「明智光秀」はもういない。徳川を読み解くには「集団指導体制」を読み解かないとわからない。長期政権を培う力も、ねつ造する力も、隠蔽する力も・知恵も「集団指導体制」によるからである。


ときはいま たみがしたしる ふづきかな 3

さて、現在の状況は「間接民主主義の時代から、直接民主主義の時代へ移行しているとき」である。それも、世界的に同時進行している。しかも、直接民主主義の国家運営の完全モデルはない。それぞれが部分モデルを持っている。何事も一挙に完成する事はできないのだから、それぞれの部分モデルをよりよいものにしていくときなのである。国家という従来の発想は破綻し、「ボーダー・レス」している時代なのだ。「 E U 」の経験を謙虚に学ぶ時である。しかも、地方が独立して、ボーダー・レスするじだいなのである。それをなし得るのは、一人ひとりを大切に、賢くするという事をしないと、人の自立ができず、地方の自立ができず、国の自立ができず、ボーダー・レスはできないのだ。
日本には、先人の知恵と努力の賜物があり、今もそれを継承して蓄積している。無意味な対立を生み出す「絶対神」を受け入れない。全てのものから徹底的に学ぶ。これらの「いいとこ取り」こそ、八百万の神々を尊崇するスタンスであり、「平和主義」のそれを自然に身につけてきているからなのです。ですから、曖昧な態度のように見えたり、どっち付かずのようになったり、融通不断のように見えたりするのですが、これらはみんなを大切に考えているからなのです。これが日本の大切なところなのですから自信を持ってそのことを言っていきましょう。「ボーダー・レス」にしないと「 I T 」をみんなのものにできません。「 I T 」をみんなのものにすると、いろんなものが安くなり、みんなが賢くなる基本的なシステムがもっと広がるのです。いま みんなが かしこくなる とき デス。

by kanakin_kimi | 2012-06-30 12:02 | 袴田事件 | Comments(0)

46年目の「とき」を動かそう ! !

1966年6月29日から、今日2012年6月29日で、46年目の「とき」がきた。
今日明日にわたる、ちえ子さん・扶示子さん・雅一郎さん・藤雄さんの命日です。
「少女」のときを動かしてください。あなたに関わる人々のなかに、悪意を持っている人々もいれば、善意であなたを支えている人々もいます。全てではないにしても、「ときのとまり」を共有せざるを得なくなってしまったのでしょう。あなたの決断で「解放して」ください。
by kanakin_kimi | 2012-06-29 21:28 | 袴田事件 | Comments(0)

少女のときは止まった (10)真相解明のリスク

現在の「法の精神」や「訴訟構造」では、「真相解明」をすることに「公事」であれ「私事」であれ、「リスク」が伴う。リスクの第一は、「費用がかかりすぎる」ことである。第二は、「法の精神や訴訟構造が真相解明を求めていないということである。」第三は、第一と第二の問題により派生する問題で、とりわけ真相解明を求めていないということによる社会通念として、関わりたがらない環境があることである。
 では、「真相解明」をなぜしないかについて考えてみる。実は、「真相解明」というのは「学問のすべて」であり、「科学」なのである。より正しい判断をするために「学問」があるし、その基本が「科学」なのである。したがって、本来訴訟という場面ではより正しい判断を求めるためには「学問的に追究する事が求められ、科学的な訴訟作業をする事が求められるはずなのである。」
 それなのに何故、それをしないのか。それは、「社会的支配層が真相解明を求めていない」からなのである。そもそも、「社会的支配層」の存在理由が真相解明で暴露される事を恐れるからなのである。
 また、リスクの第一とされる「費用がかかりすぎる」という問題も、実は「社会的支配層が真相を解明されないために使う費用が、真相解明が当然となればより誤摩化すための費用がかかるという事になるだけの事なのである。」そのために、二十三重に網をかけて、「法の精神」や「訴訟構造」が真相解明にならないような「法律にしておきたい」という事なのである。したがって、「費用がかかりすぎる」という問題は実際にはなく、むしろ「社会的支配層」が自己防衛のためにしているさまざまな犯罪がなくなり、総体としての犯罪自体が少なくなるのである。
by kanakin_kimi | 2012-06-11 18:15 | 袴田事件 | Comments(0)

少女のときは止まった ( 8 )法の精神と訴訟構造 

私たち一般市民は、通常の感覚として「警察・検察・裁判所、弁護士、そして、報道機関」は「真相の解明」を行うものと思っている。

ところが、警察・検察・裁判所、弁護士は「真相の解明」はしない、そして、報道機関もやらない。
「現在の、法の精神と訴訟構造が、真相解明を求めていない」からである。
こんなことを書くと、四方八方から怒られそうである。しかし、これが現実なのである。
ただ、それでも「警察」「検察」「裁判所」「弁護士」そして、「報道機関」のそれぞれの組織の中にいる「個人の人間性」が「真相解明を求めて」個人の責任と任意で追求されているというのが事実だろう。そして、それが増えている。
組織の責任は「法律に規定されている事項の遵守」に従っているだけである。だから、個人の責任と任意で「真相解明」に取り組んでも大概は「熊本典道」さんのように「合議」で挫折することが多い。
「法律に規定されている事項の遵守」という「組織の責任」が問われていて「個人の責任」が問われないようにしている。これは、一見、個人が守られているように見えるが、どうしてどうして「これで、組織を守っている」のであって、「個人を守っている」わけではないのである。そして、はっきり言えば「これで、組織という支配構造を守っている」のである。早い話が個人の責任と任意で「真相解明」をすることにすら、勝手に「真相解明」をするな、「法律を守っていればいいのだ」といっているのだ。これが、現在の「法の精神」である。
ところが、これが実は実社会における個人の人権を守る上で「根本的なネック」になっているのである。
何故なら「個人の責任」が問われていれば、「組織」がなんと云おうと「上司」がなんと云おうと、自分の責任の範囲をやり遂げようとするし、それが社会的に認知されているから組織や上司も露骨に妨害はできない。
これが基本的な「法の精神」であり、日本の「法の精神」との大きな違いなのである。
「裁判員制度」は、「社会のすべての人が、社会の仕組みに直接参加するシステム」のひとつである。
市民一人ひとりが「人権の独立」を認識していれば、「ひとが自立し、独立することに協力する」はずである。
つまり、「社会のすべての人が、社会の仕組みに直接参加するのは当然のことだからである。」
そしてまた、「すべての人が、直接参加できるようにするのが社会の責任なのである。」
今やっと、そういうシステムが作られ始めた。社会の仕組みにみんなが参加するようになれば、その仕組みの欠陥がどこにあるかを、みんなが見つけてくれる。そして、そこに問題があれば修正していく行動が生まれる。
訴訟構造に、「風穴」が開けられたのである。
by kanakin_kimi | 2012-05-23 19:52 | 袴田事件 | Comments(0)

少女のときは止まった (7) ( 事件構造 )

冤罪事件の「事件構造」は、「発端となる事件」がまず発生し、その真犯人を別の人物に置き換え転嫁するということで「冤罪事件」が発生するのである。
つまり、「冤罪事件」という枠組みの中に「発端となる事件」が内包される「二重構造」になっているということなのである。この「二重構造」にも事件によってはいくつかの種類がある。いずれにせよ、「捜査権力を左右できる者の犯罪」であることには間違いない。
しかし、この事件を例に見るように、それだけでは「冤罪事件」を作ることはできない。どういうことかというと、「権力構造」が、捜査機関の権力が世論や報道機関などを含めて圧倒的に強く、押さえ込む力を発動できる社会構造である場合ならいざ知らず、間接民主主義が積み重ねられた社会である。「代議制支配構造」と「政党政治」の「間接民主主義」による「パワーバランス」が推移している状況であるのでそれに見合った「責任構造」もあるということである。
「袴田事件が作られる全体像」の概略を見てみよう。
◎警察は、「袴田巌さんを犯人視する」「見込み」捜査で「自白強要」の「落とし込み」を行い、自白をでっち上げて「本人が自白したのだからもういいじゃないか」と、抵抗する「捜査員」や「解剖鑑定者を屈服させ」るなど「証拠の隠滅とねつ造を行って」「白絵」を描いて検察へ送る。
◎検察は、警察が描いた「白絵」に「クロ」の「塗込み」を行って「起訴」した。
◎報道関係は、はじめは、調査報道に努力していたが、ある時期から「警察の情報操作」と「スクープ合戦」に揺さぶられる形で一斉に「袴田犯人説」に傾斜し、新聞・ラジオ・テレビなどの報道の一般市民への「刷り込み」報道が積み重ねられた。
◎弁護人は、依頼人から依頼されて初めて事件に着手するので、それまでの報道に刷り込まれた先入観を排除することから始められる。検察から提出されている調書や証拠類は小出しにしてくるので、事件の全体像を把握することもなかなか困難な立場に立たされている。
◎一般市民は、「報道機関は独自の調査報道をしている」から「正しい報道をしている」ものと「思い込み」、一般市民の多くがその報道を「無批判に受け入れ」て「世論形成」が行われた。
◎裁判所は、左陪席の起案した「無罪判決」を「合議」では、その世論に屈した形で、「異例の捜査批判と事実認定の混乱など」ない交ぜながらも「死刑判決」が言い渡され、最高裁判決で「死刑確定」との「法(のり)込み」裁判が行われてしまった。
このような形で、「袴田事件」という「冤罪事件」が出来上がったのである。

つぎに、これらをよく見るとわかるように、全てにおいて「組織」や「集団」に「個人の責任」が「かくされている」のである。そして、その裏返しとして「真相解明」をさせないような「仕組み」が作られていることに気づく。
既にご承知のように、第一審静岡地裁判決を書いた「熊本典道」氏は、「自分としては無罪の心証を持って無罪判決を起案したが、合議で容れられず、忸怩たる思いで有罪判決を書いてしまった。袴田君には誠に申し訳ないことをしてしまった。」と「懺悔の謝罪を公開」している。
by kanakin_kimi | 2012-05-19 17:39 | 袴田事件 | Comments(0)

少女の時は止まった (6) 前回の10を含む

20数年前にも聞いた少女が云った言葉は、ー 「私は今でも、袴田が有罪、死刑と思っている。死刑囚として刑務所に入っていてもらいたい――」。というものであった。
この言葉は、「不可解な余韻」を持っていた。
そこには、通常の「犯罪被害者が発する言葉」とは全く異質なものを発していた。
裁判資料を調べ、現地調査をし、裏付け検証実験を通じてそれがなんだったのかがわかった。少女のそれは、「トラウマ」ではあるが、「犯罪被害者のトラウマ」ではなかった。
事故であれなんであれ、少女自身が妹(等?)を死なせてしまって、それがきっかけで
「お父さんが(妻等を死なせてしまい?)自殺をするはめに至ってしまった。」
その上「お父さんの遺言」から「少女をかばった人々が罪を犯してしまった。」

それらの秘密を共有している人々は、今度は自己防衛のために「裏切りを許さないとの情報統制の縛りをかけ」て、「自縄自縛の時」をあの日以来共有してしまったのである。
15年の歳月を経て、最高裁判所は「袴田巌」さんへの死刑判決を確定させた。
これで「自縄自縛の時」から、「安堵のとき」を迎えたかに思われただろう。
ところが、1981年11月15日「事件現地の旧清水市に袴田巌さんを救援する会の設立への呼びかけ」と「高杉晋吾著作(地獄のゴングが鳴った)出版記念」を兼ねての集会が「東京の救援会」によって開催された。「冤罪事件」として、「袴田巌さん」を救援する会の発足と活動が事件現地の清水市で始まったのである。
このことは、集会を前後して「新聞・ラジオ・テレビで報道」され、「自縄自縛の時」は再開することとなったのである。
それが、翌月12月29日に(H Y)さんの「自宅納屋での首つり姿の発見」につながったのであろうか。
ビラ配りや署名集めが行われ、毎年「再審開始」を呼びかける集会が開かれ、調査活動が元従業員にも及ぶようになり、ますます「引き締め」が強くなったのだろう。
元製造技術の担当課長をしていた(M T)さんが死んだ。

1966年6月29日以来、止まってしまった自分自身とあなたを守ろうとしてきた人々の「自縄自縛の時」からの解放が求められている。
そして「元従業員のみんなへの引き締め」からの解放を、あなたは実行する責任がある。
そして、あなたは袴田巌さんに謝罪する証として真実を述べる責任がある。(少女の時は止まった 10)

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by kanakin_kimi | 2012-05-11 22:50 | 袴田事件 | Comments(1)

少女の時は止まった (5)前回の9-1- 〜9-3-を含む

証拠となる事実の「ねつ造」というのは、前もって「真実」の「シナリオ」を知っていなければなし得ない。しかし、すべてをねつ造する事はできない。すべてをねつ造すると、「ねつ造したシナリオ」と現場の事実との隔たりが大きくなり、誰にでもそのねつ造部分が発見されるからである。したがって、「誰にでもそのねつ造部分が発見されないようにする」ために「真実のシナリオ」と「ねつ造したシナリオ」のはざまに「犯罪現場と捜査報告書のシナリオ」をつくるのである。すなわち、「犯罪現場と捜査報告書のシナリオ」には、「犯罪現場」を「正確に写し取った捜査報告書」と「隠滅とねつ造を反映した捜査報告書」がないまぜになって存在するはずである。その隠滅とねつ造を発見するために着目したのが、「死体には明確にある、致命傷となるほどの傷が見える写真が添付されている」のに「死体実況検分調書や鑑定書には記載されていない」事、「死体が発見された場所と死亡した場所の違いが明確に示されている遺物を無視している」こと。「旅行から帰って家に入って応接間で土産を広げ、アイスクリームなどそれを示す遺物がある」のに「それを無視して、強引に家に入らなかったとする事実をでっち上げている」事。それらが示すのは、正にそこに真実と虚偽の分水嶺があり、「隠滅と捏造のシナリオ」へと「逆行的構成」を行ったものと言える。
従って、「真相の再構成」は。まづ「真実と虚偽の分水嶺」を発見する事であるので、この事件では「表シャッターという場所の分水嶺で時間の分水嶺は6月29日22時30分頃」である。
そこから[逆行的構成を行った「隠滅と捏造のシナリオ」]へと「遡行」して真相を明らかにしていくわけである。このシリーズ1〜8までに述べてきたストーリーは、その一端である。(少女の時は止まった 9 - 1 - 逆行的構成と遡行)
「証拠のねつ造」と「証拠の隠滅」は切り離せない関係にある。「実態真実」は「空間に広がる質量の連続である」と私は定義している。これは、「質量不変の法則」や「エネルギー保存の法則」が通用する領域であるという前提に立っている。つまり、「証拠のねつ造」と「証拠の隠滅」は違った時間・違った空間にずれているので「空間に広がる質量の連続」上のそれぞれが「独立した、切り離せない連続関係にある」にもかかわらず、「同一時間・同一空間に牽強付会させて、無理矢理押し込めているのである」。即ち「質量不変の法則」や「エネルギー保存の法則」が通用する領域で、それを無視している「仕業」なのである。それがわかれば、今まで見えていなかったものが見えてくる。
1)少女の供述調書の「表シャッターの内と外」を反転させるとつぎのようになる。
●6月29日21時過ぎまでに、少女が旅行から帰ってくる。すぐ後にお母さんが店
を閉める。家庭教師が店の前を通ったときには表シャッターが閉まっていた。(供述
が正しければ)
九州日南の絵はがき数通、アイスクリームの空箱3〜4個。(表応接間テーブル上)
●6月29日22時30分過ぎ  お父さんが表シャッターをたたく。(今帰ったの
声)

2)何故強引に逆転させる必要があったのか。それは、少女をよろしく頼むとお父さ
んから依頼された人々が、お父さんが自殺した後「ストーリーを少女と切り離す」と
いう事が中心課題であるからである。
3)第一段階のシナリオ
 お父さんからの依頼に従って作った最初のシナリオは、[お父さんが犯人]として
作られていた。従って、ここでは死体を動かしてはいなかった。ただ死体には一度目
の焼却が施された。と考えられる。
4)第二段階のシナリオ
 お父さんの自殺を否定して、[外部犯行]に変更する。従って、自殺を示す事実を
隠滅し外部犯行を示す状況をねつ造する。そこでまず、お父さんの死体を裏木戸通路
へ移動する。(その時、その部屋には二組の布団が敷かれており、掛け布団は敷き布
団の上に、通常通り広げて敷かれていた。死体を移動した際その掛け布団の縁を通る
形になったのだろう。掛け布団の縁に点々と血痕が落ちている。)
5)第三段階のシナリオ
 第二段階のシナリオに変更する事に伴い、藤子さん・お母さん・弟の三人の死体も
第二のシナリオに合わせて移動する事になり「すべてを外部犯行に合理性を持たせる
証拠作りを行う」。
6)捜査関係者の参加
 第一段階のシナリオを実施した後、様々な問題が発生した。そこで、(I A・ M K
等)に相談して市の (T K)氏、県の( I X )氏に相談してはどうかという事になり、そ
の結果第二・三段階のシナリオになったものと思われる。(少女の時は止まった 9 - 2 - 隠滅とねつ造の構造)
「発端となる事故・事件」は、「お父さんの自殺」で終わる。
したがって、その時点の「死体の位置」は、つぎのようになっていたはずである。
[1階母屋]・表8畳間の寝室は布団が2組敷かれている。お父さんは、床の間に枕をおきそれに座ってポケット瓶のウイスキーを飲み、2連銃で「銃口を両目の間に当てて一発目が撃たれ、衝撃で頭がはじかれるその瞬間に2発目が撃発して左口角を抉った」傷を残して、自殺し崩れるように前に倒れる。その時巻き込むように蚊帳を引き落としたかまたはその前に蚊帳を引き落としてたぐり寄せていたその端に頭から倒れた。藤子さんは、ピアノの間に1組の布団が敷かれてある。その掛布団の上に仰向けになってあごをあげ加減で左額の銃創らしい穴から血が噴き出し、両眼窩に溜まりあふれて2条の筋と左額の銃創付近の1条の筋の3ヶ所から頭の位置の掛け布団に血が滴り落ちている。一発目は布団又は畳に銃の穴があるはずである。撃つつもりではなかった二発目が衝撃の反動で撃発し、額の穴を創傷したものと思われる。確実に撃つつもりであったら、一発目が左額の傷という事になり、二発目は左頬ではないかとみている。というのは、左額から血液と脳漿が吹き出して火炎で焼かれて瘡蓋状になっているものと考えたが、二発目が打ち込まれた穴から噴き出した血液などの瘡蓋状とみる事もできる。
[土蔵2階]の弟の部屋。お父さんが(あなたが使った)銃を持って階段を上がっていった。斜めに敷かれた布団の左又は右方向に、弟の背後からお母さんが被さるようなかばったかっこうの、お母さんの右あごが左鎖骨あたりにくっついている(後ろを振り向き様、やめてー!という声が聞こえてくるような)状況の丸めた背中に2発の銃弾が撃ち込まれた。弾丸が突き進む方向に銃創ができている。それをつなげると、[お母さんの]背中の傷ー左鎖骨の中から突き出したと思われる2連の穴ー右あごと右頬の2条の引き裂いた傷ー[弟の]後頭下部からー鼻柱と右目の間を突き抜けた傷(解剖を担当した医師は添付しているはずだという弟の顔正面写真が意図的に抜き取られているのか存在しない。)(そして、おとうさんは銃を持ったまま、土蔵の二階から母屋の表八畳間の寝室に戻り、床の間に枕をおき、それに座ってポケット瓶のウィスキーを一口二口あおった後、銃口を眉間に当て、足の指で引き金を引いたのである。)
これが、「証拠の隠滅とねつ造」の林道をさかのぼる作業をした結論である。(少女の時は止まった 9 - 3 - 「証拠の隠滅とねつ造」の林道をさかのぼる)
by kanakin_kimi | 2012-05-07 11:46 | 袴田事件 | Comments(0)

少女の時は止まった (4)前回の6〜8を含む

少女が、袴田さんを、「・・・そのまま刑務所にいてもらいたい。」と黒羽記者にいった言葉は、実は20数年前にある記者から私も聞いていた。
当時もその「・・・そのまま刑務所にいてもらいたい。」というフレーズを「奇妙な余韻」を持つ言葉として記憶していた。だから、あの記事を目にしたとたんに満を持していた私の最後の詰めが始まったのである。
黒羽記者はそれを一回聞いただけで取り上げたのであるから、感性の豊かさを示すものである。
以前、清水袴田巌救援会で活動していたことがあり、その当時の事務局通信には関係者の名前をフルネームで書いていた。発行部数も少なく、何よりも組織内の連絡通信というスタンスがあったからである。しかし、救援運動組織からはなれ、私個人の責任に於いてこのブログで書くことになったので、名誉毀損などに抵触しないように、知らない人にはわからないという程度のものにしている。
無実の罪で理不尽な思いをされている袴田巌さんにとっては、生温いかもしれないが当事者の良識を自らの行動で示していただきたいと考えているのです。しかし、それが見られないと判断できるときには、私も覚悟を決めてフルネームを出す事にする考えである。社会のシステムを悪用しているものの「名誉」とはどういうものかを裁判で争い、社会に明らかにするというのも一興ではある。
 さて、「表シャッターの内と外」が「逆転」している「少女の供述調書」を作ったのは、捜査員である。しかも、捜査本部内の意見対立が明瞭にみられる。基礎捜査段階からすでに「捜査誘導」の意図が見られるのである。早い話が、事件発生直後からその動きが進んでいると見られる。例えば「死体の傷の隠蔽」が明確にある。直接の死因とその凶器につながる傷を隠蔽したのである。そして、別の凶器による「死体の傷のねつ造」と対応していたのである。このことは、「死体の傷の隠蔽」は事件発生後の捜査段階であり、「死体の傷のねつ造」は事件発覚以前であることから考えれば「隠蔽とねつ造」に捜査関係者が関わっている事を示すものである。また他方では、基礎捜査を正確にやり、正確に捜査報告書を書いている捜査員もおられる。ところがそれが捜査方針と矛盾するものだから、書き直させられたり、それに応じないと別の部署(防犯)から警部補を引っ張ってきて調書を書き直させたりしている。また、ひどい事には7月中頃に静岡市の北安東で老夫婦殺害事件が発生する際に良識ある捜査員が人事異動させられたりして、「粛正」しているのである。
清水警察の(T K)捜査一課長が事件当夜である6月29日の夜宿直当番をしており、消防署の出動を遅らせている事実がある。6月30日の死体実況見分調書に過去の冤罪事件で名をうっている「鈴木完夫」氏の名前がある。これを含めて良識ある捜査担当者の抵抗の痕跡が全資料を丹念に見れば真実を書き残してくれていることも明らかだ。しかし、その粛正以来「袴田巌さんを犯人視する見込み捜査」が進行していった。(少女の時は止まった 6)
静岡県内でいままで露見している冤罪事件の多くは、発端となる事件の犯人と警察関係者それも管理職クラスとの人的交流が日常にあり、且つ親戚関係にある場合がある。しかも、冤罪事件に捜査方針を誘導するのにはリスクが大きく、金もかかるのである。したがって、必ず「発端となる事件の犯人」がその金を融通できるほどの資産家である事がはっきりしている。この事件でも「橋本藤作商店」の当時の現金資産は「従業員名義の預金」が相当あり、新聞紙上でよく見られる長者番付の金額に匹敵するものであったようである。ところが、事件後それがなくなっているところから無限責任社員の橋本藤作さんが経理課長の( I S ) さんに、「いっちゃん金がもっとあったはずじゃないか」といっていたようである。
その後しばらくして、藤作さんが亡くなっている。これを発端として、関係者の不可解な死の軌跡がみられる。「橋本藤作商店」の二代目の無限責任社員(M T)さん、おとうさんの友人( H Y) さん、元製造課長の(M T)さん、などである。とりわけ、離れで用心棒をしていた( S )さんは事件発生以降どこへ行ってしまったのだろう。大花であった (H Y)さんは、何故、元プロボクサー袴田巌さんを救う会・東京救援会が事件現地清水で「高杉晋吾著作・地獄のゴングが鳴った」出版記念集会の翌月12月29日に納屋で首つり死体で発見されたのか。わたしたちの取材に快く応じてくれた元製造課長の(M T)さんは、「いまでも当時の工場関係者は集まって勇気づけあっているよ」といっていたのに数ヶ月後亡くなったそうで、これらの不可解さが、わたしにはどうしても工場関係者への「口封じの恐怖」を与え続けていたと思われる。
そして、それが、いまに至っても続いているように思われてならない。(少女の時は止まった 7)
お父さんが、大花であった( H Y )さんは「東洋スーパー化学」という会社を経営していたお父さんの友人である。
1966年6月30日の朝刊に「友人談」として、短い記事があった。しかし、それには29日の夜に大花で会ったという話は出ていない。
それ以後、15年も経って、1981年12月29日( H Y ) さんの自宅の納屋にみかんを取りにいった奥さんが「首つり姿の( H Y )さん」を発見した。自殺するはずがない、しかも死体には両肩に結んだロープの輪っかが残っており額に陥没の傷があったこと、下着には失禁のよごれがないことなど家族は自殺で処理された事に対する不可解さを不満と畏怖を込めて、そして、「袴田事件」となにか関係があるのではと、語っていた。
というのは、そのひと月あまり前11月15日に清水の神社のホールで、「高杉晋吾著・地獄のゴングが鳴った」の出版記念をかねた「元プロボクサー袴田巌を救う会」の東京救援会が現地清水へ「救援会発足」を推進する呼びかけが行われたのである。そして、その集会の開催予告が新聞紙上にも出されていた。開催予告や集会の模様などの新聞報道をみた( H Y )さんが「誰か?」を訪ねたのであろう。(この誰か?は、大花に集まった3人のもう一人(A M)さん以外に考えられないのだが。)
12月27日家を出たきり29日に納屋で首つり姿で発見されるまで帰ってこなかったが、いつも商売で急に出かけて数日帰ってこない事が度々あったので、今回もそれかなあと思っていたと奥さんはいう。そして、「自殺で処理された」という。実はこの顛末に( A M )氏が登場するのである。(少女の時は止まった 8)
by kanakin_kimi | 2012-05-06 13:45 | 袴田事件 | Comments(0)