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巨人



火星の水




by kanakin_kimi | 2013-07-19 15:30 | ガイア学 | Comments(1)

何を隠そうとしているのか 

1945〜2013の68年間
宇宙開発の歴史 2

アメリカ合衆国の宇宙開発
アポロ11号の打ち上げーーアメリカは世界を代表する超大国としてソビエト連邦に対抗し、宇宙開発を行ってきた。アメリカはスプートニク・ショック以来早期に宇宙開発専門の部局であるアメリカ航空宇宙局(NASA)を設立し、科学研究などは主にこの機関が行ってきた。一方で、軍事的な宇宙開発は国防総省が行っており、気象衛星の開発も予算は他の省庁であったりと、分野は違えど多くの資金が宇宙開発に投入されてきた。現在でもその金額は世界でトップである。月到達以降はそれまでよりは宇宙開発に注ぐ力は減ったものの、依然として宇宙開発先進国として様々な事業を成し遂げている。
ロシア、欧州、日本、中国などの発展著しい現在でも宇宙開発では世界最先端を歩んでいる。近年は再び月へ向かう計画や火星へ向かう計画が存在するが、以前よりも減った宇宙開発費の中で、大型計画は難しい状況にあり、スペースシャトルの維持費なども問題になっている。
歴史
開闢期ーーゴダードの液体燃料ロケット実験
アメリカのロケット開発はロバート・ゴダードにさかのぼることができ、彼は近代ロケットの父の一人に数えられている。ゴダードは援助の少ない中、ロケットの開発を進めた。ロケットは徐々に到達距離を伸ばしていったが、世間からは関心を受けなかった。第二次世界大戦に入ると、彼の技術は飛行機用のロケットに利用されるようになり、国がその開発を後押しした。ロケットは当時は威力の低い武器と見られていたが、ドイツがV2ロケットで成功を収めると、軍は打ち上げ式ロケットに対しても興味を示すようになった。
第二次大戦前後ーー第二次世界大戦の末期にはドイツのロケット科学者はその技術から連合、共産両陣営がほしがった。科学者たちは亡命先にロシアよりもアメリカを選んだため、多くの科学者が貴重な資料やV2の部品と共にアメリカに渡った。ヴェルナー・フォン・ブラウンもその中の一人であった。彼はその才能をアメリカ陸軍弾道ミサイル局に買われ、本拠地であるレッドストーン兵器廠で大陸間弾道ミサイル開発の競争やロケットの開発に力を入れた。
当時は核弾頭を運ぶためのキャリアとしての意味合いが強かったロケットは大陸間弾道ミサイルとして利用され、また、気象や大気の観測にも使われるようになった。その後、国際地球観測年に合わせてこのロケットによって地球を回る人工衛星で地球を観測し、ソ連を凌駕しようというオービター計画が生まれた。また、これにカメラを載せれば、将来的に相手を偵察することが出来る。アメリカはロケットの開発を進めたが、ロケットの開発が陸軍、海軍、空軍のどれに属するかでもめた。陸軍は大砲の延長として、海軍は気象観測のための重要機械として、空軍は空を飛ぶロケットは航空分野であるとしてそれぞれが権利を主張したためであった。このため、それぞれが独自に開発を行っていた。人工衛星の計画後、打ち上げに際しては陸海軍が合同で計画を行うはずであったが、気象観測を自らの分野として主張していた海軍の意見が取り入れられ、海軍が衛星を開発することになり、ヴァンガード計画が始まった。
スプートニク・ショックーー打ち上げに失敗し爆発するヴァンガード
アメリカは1958年に衛星を打ち上げる計画を立てていた。しかし、優秀な科学者を擁していたにもかかわらず、ソビエト連邦がアメリカより先、1957年10月に人工衛星スプートニク1号をうちあげ、軌道に乗せる事に成功した。これがスプートニク・ショックである。実際にはフォン・ブラウンの所属する陸軍は衛星を打ち上げることの可能なレベルの技術を持っていたが、衛星の打ち上げは海軍とされていたために、ソビエトに先を越されてしまった。
失地回復のためにアメリカ政府は海軍製作のロケット・ヴァンガードに衛星(ヴァンガードTV3)を載せて打ち上げようとするが、急遽計画されたこのロケットは爆発失敗する。アメリカが失敗する中、ソ連はさらにもう1台(スプートニク2号)の衛星の軌道投入に成功した。混乱の中、アメリカは陸海軍問わず早急に衛星を打ち上げることを要求した。陸軍と海軍の交渉の結果、陸軍が1958年1月に打ち上げを行うことが決まり、打ち上げの延期が何度も行われたが、最終的にエクスプローラー1号が打ち上げられ、アメリカ最初の衛星となった。また、その後は海軍がようやくヴァンガード1号の投入にも成功している。これらの事柄は米ソの宇宙開発競争に火をつけた。
有人宇宙飛行と月計画ーーこの時期、アメリカは宇宙開発を強力に推進するための機構の必要性を実感し、航空全般の推進を行っていた国家航空諮問委員会(NACA)では宇宙技術に関する特別委員会が立ち上げられ、この組織は1958年10月1日付けでアメリカ航空宇宙局(NASA)となり、アメリカにおける非軍事の宇宙開発についてはすべてNASAが行うことになった。
ソ連はスプートニク2号に犬を乗せており、このことからも次に計画されるのは有人宇宙飛行であることは明らかであった。このためアメリカは当初弾道ミサイルのてっぺんにカプセルを取り付け、それによって宇宙へ行く計画を立てたが、これは早期に否定された。しかし、有人宇宙飛行を諦めたわけではなく、実際の実現に向けて新たに安全な計画が練られることになった。この計画はマーキュリー計画と呼ばれた。安全に人類を打ち上げるために何度ものテストを行い、1959年に軍のテストパイロットから7人の飛行士を選び出した。この7人はマーキュリー・セブンと呼ばれている。
アトラスロケットの模型を前にするマーキュリー・セブンーーまた、米ソは衛星打ち上げ以降、月に注目するようになった。米国もソ連も月にめがけてロケットを打ち上げた。アメリカは月に探査機を送り込むか、ロケットを命中させるという計画を立てパイオニア計画として実行に移した。しかしながら技術水準が低かった当時は、大型のロケットの爆発や、月までの途中でロケットがとまり衛星が戻ってくる失敗なども起こった。このときもソ連はルーニク2号の月への到達、ルーニク3号による月面の裏側の撮影成功でアメリカをリードした。ソ連のリードはアメリカに対して技術的にソ連から大きく劣っているとの危機感を抱かせるに十分であった。また、これらの事柄はアメリカ人が宇宙開発に目を向けるきっかけを作った。このため、アメリカでは三軍、政府、議会、NASA、JPLなどの宇宙開発に関する計画を一元化し、月探査計画と惑星探査計画に結束して注力することになり、月探査計画としてレンジャー計画が発足した。
アメリカがマーキュリー計画の実験を終え、実際に有人宇宙飛行を行おうとしていた1961年4月12日、ソ連はユーリ・ガガーリンをボストークに乗せて地球の衛星軌道を一周させて有人宇宙飛行を達成し、ガガーリンは世界初の宇宙飛行士になった。アメリカの有人宇宙飛行は同年5月5日に行われたが、これは弾道飛行であり、ソ連の実施した飛行内容と比べると大きな差があった。アメリカは2度ならず3度までもソ連に先を越されてしまったのである。また、ソ連は月に宇宙飛行士を送りこむ計画さえ立てていた。アメリカ国内では自嘲的な雰囲気が漂い始めていた。しかし、宇宙開発は転機を迎えることになる。1961年5月25日にはジョン・F・ケネディ大統領が1960年代の内に月にアメリカ人を送り込むと宣言したのである。アポロ計画の始まりである。
目指すは月ーー「アポロ計画」も参照
レンジャー計画はもともとロケットを月に到達させて調査することを目標にしていたが、アポロ計画が始まって以降はより重要な意味を持つようになった。よくわかっていない月に人間を送るための十分な調査を行うことが目標となったのである。しかし、レンジャー計画は難航した。1号機から6号機まですべてが月の表面を撮影するという目標を達成することは無かった。しかし、これらの失敗を一回一回検証することで段階的に問題は改善された。レンジャー計画の結果はサーベイヤー計画に生かされ、月への軟着陸の研究が行われた。また、これらの情報は後の惑星探査にも生かされることになった。マリナー計画もこれらの探査の情報が大きく利用されている。
有人宇宙飛行ではジョン・グレンがアメリカ初の衛星軌道周回を成し遂げた。ソ連は着実に宇宙の滞在時間を伸ばしていたが、衛星周回の成功は大きな反響を呼んだ。一方、マーキュリー帰還船は操縦することも出来ないため、新たに宇宙船を開発することになった。マーキュリーの改造型の2人乗りの宇宙船を開発し、これはジェミニ計画の起点になった。ジェミニ計画ではより大型の帰還船が利用されるようになり、ロケットは大型のタイタンII GLVが使われるようになった。2人乗りが可能になり、ランデブー飛行やドッキング、宇宙遊泳の研究が行われた。
アポロ計画では当初月まで人間を送り込むのにどういう方式をとるかから議論され始めた。地上から月を往還可能な大型ロケットを打ち上げる方法のほか、地球周回軌道で必要なロケットを組み上げて月を目指すか、月に帰路のロケットを送り込んでおくか、月周回軌道へ幾つかの部品からなる宇宙船を送り込んで往還船だけを行き来させるといった多くの方法論が生まれた。初期には地上から月を往還可能なロケットの案が一番有力であったが、ヴェルナー・フォン・ブラウンなどの働きかけで結果的には月周回軌道へ幾つかの部品で出来た宇宙船を送り込む案で固まった。ランデブー、ドッキングなど複雑な構造を持つ方法であったが、一番実現に近い案であった。
アポロ計画のために行われたジェミニ計画やサーベイヤー計画などの実験は多くが成功していたが、アポロ宇宙船の初めての有人打ち上げ、アポロ1号の試みは悲劇が襲った。ロケットの打ち上げ準備中に火災が発生し、船内に待機していた3人の宇宙飛行士が死亡したのである。原因は電気系統のショートからの火災であり、この失敗は全米から大きな非難を浴び、司令室は安全になるように基本的な設計からやり直すことになった。この失敗によって計画は大きく遅れることになった。この時期、ソ連も月を目指すような様子を見せていた。
月に立てられるアメリカ国旗ーーアメリカはその後も計画を推進した。火災事故の後はじめて行われたアポロ4号では世界最大のロケットサターンを無事に打ち上げ、アポロ7号では長期間の宇宙滞在での人間の状態を研究し、アポロ8号では月の周回に成功したのである。これによってアメリカはソ連より早い月周回を達成し、その技術力を世界に証明した。この後も実際の着陸試験などが行われ、終にアポロ11号は人類を乗せて月への着陸を果たし、アメリカ人が世界で始めて月の土を踏んだのである。1969年7月20日のことであり、ケネディ大統領が演説したとおりアメリカは何とか1960年代に月へ到達したのである。月探査はその後6度にわたって行われ、ローバーを送り込んで広範囲を探査したほか、持ち帰られた鉱物や情報から月への科学が大きく進んだ。
ケネディはこのときすでに亡くなっており、その演説内容の達成を見ることはなかった。アポロ計画はその後も20号まで続けられる予定であったが、1960年から始まったベトナム戦争への出費などのため、他の予算が大きく制限されNASAの予算は大きく削減された。このためアポロ計画は17号を最後に中止される。ケネディ大統領時代にベトナム戦争に軍事顧問団を置き続けたことが後の泥沼化の要因になったため、アポロ計画はケネディによって始められケネディによって中止されたとも言える。
ソ連はアポロ11号が到達した直後に「有人月着陸の無謀さと無意味さ」を強調するコメントを発表し、有人月旅行計画の存在を公式に否定した。また、ソ連は探査機を月に送り込み、月からのサンプルリターンに成功した。これによってアポロ計画自体に対する反論がアメリカ国内でも起こったが、ソ連も実際には1975年まで有人月旅行計画が存在していた。
有用な宇宙利用と月以遠の探査ーーアポロ・ソユーズテスト計画、ドナルド・スレイトンとアレクセイ・レオーノフ月到達以降は米ソ両国ともに偵察衛星は打ち上げられたものの宇宙への期待値は小さくなっていった。そのような中でNASAは惑星探査か宇宙ステーション実験のどちらかに予算を絞るように命令された。しかし、アポロ時代に中止されたサターンロケットを再利用することで両方を行うことが可能になった。
アメリカ初の宇宙ステーションはスカイラブ計画で行われた。これはロシアの宇宙ステーションサリュート1号よりは遅れたが、非常に大きな宇宙ステーションになった。初期の失敗によって修理が必要になったが、合計4回宇宙ステーションへ人間が送られた。また、ソ連との間で宇宙での滞在時間競争が起きた。スカイラブはスペースシャトル開発の計画と連携してステーションをより高い位置に持っていく計画が存在したが、スペースシャトルの開発が遅れたためこれは実現せず、主に3回の利用のみで大気圏に再突入することになった。
この後、アポロ宇宙船を利用してアポロ・ソユーズテスト計画も行われた。これはアポロ宇宙船とソユーズ宇宙船のドッキング計画であった。当時、米ソ間は緊張緩和が進んでおり、宇宙開発は金がかかることもあり両国の共同で行われた計画であった。ドッキングが必要であるためドッキング機構は両国で共に開発を行う必要もあった。これは宇宙開発競争の終わりをもたらし、現在の国際宇宙ステーションへとつながっているともいえる。
月探査後に最初に行われた惑星探査は火星探査であった。これはアポロ以前から行われていたパイオニア計画やマリナー計画の次の計画として行われ、バイキング計画と名づけられた。バイキング計画では火星の周回軌道に衛星を乗せることに成功し、2台のローバーを火星におろすことに成功した。火星は地球に似た星であり、詳しい情報が知られていない時代には生命が存在する可能性が噂されていたが、これらの探査結果によって以前から抱かれていた火星に生命が存在するという考え方は否定されるようになった。
ボイジャーーー惑星探査における最大の成功はおそらくボイジャー計画である。これは数百年に一度の惑星直列にあわせ、探査機をそれぞれの惑星に送り込む計画であった。ボイジャー計画に先立って送られたパイオニア11号によって土星の環が非常に薄くい事や環の間に隙間があるなどの情報が得られており、これがどのようなものであるのかを調べることも期待されていた。電波を使っても10分以上かかる超遠距離通信になるため、探査機が独自で判断する能力を持ったほか、宇宙を航行中にプログラムを変えることが出来る柔軟な機能を持たせることになった。
ボイジャー2号は1977年8月20日に、ボイジャー1号は1977年9月5日に打ち上げられ、まずは木星と土星を探査することになった。予算や当時の技術力に対する信頼は天王星や海王星まで探査することを予定しなかったのである。しかしながらボイジャーは大きな成功を収める。木星の大赤斑や環、衛星の状況がわかったほか、土星の環の羊飼い衛星や土星の衛星タイタンの噴火など惑星科学に非常に意義深い結果を残した。これらの結果から探査の延長が認められ、ボイジャー2号はさらに天王星や海王星を探査することになり、天王星の地軸が倒れていることや逆行している海王星の衛星トリトンなどを発見した。大型ボイジャーの成功は宇宙の探査において大きなきっかけになった。
スペースシャトルとアメリカーー1970年代半ば頃からアメリカは再使用可能な宇宙船の開発をはじめ、スペースシャトル計画を生み出した。ロケットは通常一回利用であり、非常に高価で資材は多くが海の下に沈んでしまうため、当時から非経済的であると考えられていた。スペースシャトルはこれらの廃棄される部品を少なくするために考えられた計画であり、有人の大型の宇宙船が宇宙を往還することによって、故障した衛星の修理、調整後の地球外軌道への投入、再使用による費用の減少、宇宙空間での実験室的役割など多くの期待を込めて開発が進められた。こうして開発されたスペースシャトルは実際に多くの方法で利用されるようになった。ガリレオはスペースシャトルによって打ち上げられ、軌道上で展開した後にミッションをはじめている。また、有人飛行が非常に多く行われるようになり、日本や欧州、その他の国の宇宙飛行士も多くがスペースシャトルで宇宙へ行っている。
一方でスペースシャトルにリソースをつぎ込んだため、ロケットの開発は遅れた。またスペースシャトルを主力にすることを見込んで、これまで主力となっていたデルタ、アトラス、タイタンの3種類の使い捨てロケットは生産を一時的に停止した。しかし、実際にはスペースシャトルは帰還機の修理にかかる時間が長く、望んだよりも費用の低減ができず、連続で打ち上げられないことが分かった。このようなことがわかったために、アメリカは再び使い捨てロケットの生産も復活させた[1]。この隙を突いて欧州のアリアンがロケットの商業打ち上げのシェアを奪っていった。また、アメリカはロケットの開発を行っていた日本に対しスーパー301条の適用で衛星の打ち上げを奪うなど、他国の宇宙開発での影響力を抑える外交的手段をとった。1990年代に入ると宇宙開発費は徐々に削減されていき、予算の縮小の中で宇宙開発を行わざるを得なくなった。
一方でレーガン大統領時代にはスターウォーズ計画として弾道ミサイル防衛などの計画がはじめられ、早期警戒衛星などのために国防総省に予算が組み込まれるようになった。また、GPS衛星が打ち上げられるようになったのもこの頃からである。GPS衛星は当初は軍事目的の位置確認装置として打ち上げられていたが、非常に便利であったために民間利用も行われるようになり、現在はカーナビゲーションシステムや建設重機の位置確認など多岐にわたって活用されている。
スペースシャトルではチャレンジャー事故が起こった。当初のスペースシャトルは安全性が低かった。これを改修することによって、積むことのできる貨物の量が若干減少している[1]。さらに、打ち上げが一般化するにつれ宇宙開発に対する国民の意識は薄れていった。このような中でアメリカは国際的に協力を行うことで予算を相手に出させることを目指すようになった。大規模観測計画で計画され欧州との協力で打ち上げに成功したハッブル宇宙望遠鏡も大きな成功を収めた。ハッブル望遠鏡は遠天体の観測に大いに役立ち、様々な画像や映像がもたらされた。また、その高い成果からスペースシャトルによって何度も修理され、計画よりも長く稼動している。有人宇宙飛行ではスペースシャトルに外国人を乗せることに加え、この時期に提唱されたフリーダム宇宙ステーションは現在の国際宇宙ステーションにつながっている。国際宇宙ステーションは、現在はアメリカ、欧州、日本、ロシア、カナダの五つの国と団体で運用を行っている。
マーズ・パスファインダーの着陸用エアバッグーー速い良い安いをスローガンに作られたディスカバリー計画では宇宙探査がさらに拡大して行われることになった。特にこのうち火星を探査するマーズ・パスファインダーは以前のバイキング計画と違い、エアバッグで衝撃を吸収することにしたために、バイキング計画と比べ打ち上げる機材が計量化され、タイタンロケットではなくデルタロケットで打ち上げられた。マーズ・パスファインダーは火星表面を調査し続け地質や風等を詳しく調査した。この結果過去の火星の地表には水の存在したことが確かめられた。また、NEARシューメーカーは小惑星への軟着陸を行って探査し、スターダスト探査機は彗星の尾の塵を持ち帰ることに成功している。
現在ーーアメリカは月到達以降常に宇宙開発の先端を歩み続けている。開発費用の減額があったものの、現在でも欧州宇宙機関の3倍に上る資金が投入されており、様々な衛星や探査機が順次打ち上げられている。
惑星探査では火星にさらに観測衛星や探査車を送り込むことに成功している。2000年代の2001マーズ・オデッセイやマーズ・エクスプロレーション・ローバーのスピリットとオポチュニティの探査は火星のさらに詳しい情報をもたらしている。マーズ・オデッセイの観測では極域の冷凍された二酸化炭素の表面の地下に水の存在する可能性が示され、2台のマーズ・エクスプロレーション・ローバーは火星に風化や浸食の跡を見つけており、さらに流体によって作られたと思われる地形も発見している。水であるかどうかは断定できないものの、これらは非常に大きな収穫であった。
オポチュニティーとその足跡
アメリカではNASAとは別個に国防総省が宇宙開発を行っており、現在では国防総省の宇宙開発予算のほうが多くなっている[2]。世界の核拡散の危機にたいして、アメリカは世界中に核の乗るであろう弾道弾迎撃システムを広げるかまえを見せており、宇宙域での撃墜についても検討されている。また、偵察衛星は200機以上存在している。宇宙は安全保障の分野でも重要な位置づけを占めるようになっている。一方で米国では現在科学系統のNASAに振られる予算と国防総省に振り分けられる予算の2つが存在し、両者の間には確執があるといわれている[3]。
ロケット開発では現在までもデルタ、アトラスの両系列とが使われているほか、オービタル・サイエンシズ社のミノタウロスIVとトーラスロケット、スペースX社のファルコン9などが存在する。民間企業のロケットは商業的な打ち上げに使われている。
ブッシュ大統領時代に、米国ではコンステレーション計画と呼ばれる計画が立てられた。これは人類を再び月へ運び、さらにその技術から火星へ向かうという計画であった。この計画によって一時的にNASAの予算が増加し、有人惑星探査のためにNASA内部の資金も大きく割り振られたが、世界同時不況以降はNASAの予算が再び減少に戻り、この計画は廃止された[4]。しかしながら、その後に政権に就いたオバマ大統領も2030年代までの火星の有人探査計画を公表している[5]。この計画ではアメリカは火星に行くために注力し、火星の周りの周回軌道に人類を送り込むという計画である。これらの状況から見れば、アメリカは火星での有人探査を狙っていると考えることが出来る。
また、世界共同で進められている国際宇宙ステーションの運用も2030年代まで延ばしたいという意向を示している。
現在までの主要な宇宙計画
1950-ヴァンガード計画、マーキュリー計画、パイオニア計画
1960-アポロ計画、ジェミニ計画、マリナー計画
1970-ヘリオス、スカイラブ計画、アポロ・ソユーズテスト計画、バイキング計画、ボイジャー計画
1980-スペースシャトル計画、大規模観測計画(ハッブル宇宙望遠鏡)、ガリレオ
1990-ディスカバリー計画、マーズ・サーベイヤー計画
2000-ニュー・ホライズンズ
組織
アメリカの宇宙開発組織は元々三軍に加え、宇宙開発組織など様々な組織が存在していた。スプートニク・ショック以降、これらの機関を統合する動きが進み、NACAが作られた。そのすぐ後にアメリカ航空宇宙局(NASA)が発足している。軍の宇宙開発については過去には三軍がそれぞれ開発を行っていたが、現在では国防総省が総合的に行うようになっている。
NASAの主な活動は宇宙開発を行う軍、民間、政府機関などの各部局の調整と、独自での宇宙開発であった。宇宙開発が国によって協力に推し進められた1960年代ごろにはNASAが主力で開発から生産までを行っていた。しかし、近年では予算の減額からロケットの開発は企業の援助や、軍からのロケット技術の移転などで費用を抑える傾向にある。現在NASAが中心的に行うのは宇宙探査のための衛星や探査機の開発研究である。
2012年5月22日、民間宇宙船のドラゴンが最初にISSへドッキングを果たし、今後、商用輸送に利用することが期待されている。
数ある宇宙開発の中でも火星探査が非常に旺盛に進められている。火星探査機は2000年代のマーズ・エクスプロレーション・ローバーとマーズ・リコネッサンス・オービターにつづき、マーズ・サイエンス・ラボラトリー、ノーザンライト、米欧共同開発のエクソマーズ、火星サンプルリターン計画などが計画されている。アメリカは政府を挙げて火星への探査に力を入れている。 アポロ計画以降は費用対効果を考慮した開発が主流であり、国際宇宙ステーション計画に参加することで、長期宇宙滞在における技術の習得に力を入れている。
by kanakin_kimi | 2013-07-03 10:03 | ガイア学 | Comments(0)

何を隠そうとしているのか、

1945〜2013の68年間
宇宙開発の歴史1 
ソ連の宇宙開発の歴史

本シリーズはいずれもWikipediaより引用しています。私が抱いてきた、月・火星に対する従来の常識と認識を一変させられた事実である。アメリカとソ連がアポロ20号の共同ミッションで月面に巨大な都市
プラントがあり、また、巨大な万年筆型宇宙船がある事その中に女性のミイラが保管されていた事などの他、火星にもUFO基地があり、エイリアンが存在しているという事実があったことが、最近に至って非公式には公開されている。それを何故ひた隠しにしてきたのか、そして未だに全面的な公式公開をしないのは何故なのか、公式公開しないという事が世界市民をないがしろにするものであり「国家事業の私物化」である事を歴然とさせる、その事実をみていきたい。

宇宙開発の理論は第一次世界大戦前のロシア帝国時代に、ツィオルコフスキーによって確立された。彼は19世紀後半から20世紀初頭にかけて先進的な論文を公表し、中には多段式ロケットの概念も含まれていた。宇宙開発の技術面は1920年代・30年代のロケット研究グループ、GIRD(Группа изучения реактивного движения, Gruppa izucheniya reaktivnogo dvizheniya, 略称: ГИРД, 反動推進研究グループ)による初期の実験によって確立された。GIRDではドイツの工学者フリードリッヒ・ザンデルや後のチーフデザイナー、セルゲイ・コロリョフが働いていた。
1933年8月19日、GIRDはソビエト初となる液体燃料ロケットGird-09を打ち上げ、同年11月25日には初のハイブリッド燃料ロケットGIRD-Xを打ち上げる。これとは別に、1940年から41年の間の多連装ロケットランチャー、カチューシャの開発と生産により、ソ連の推進力研究が前進する[8]。
第二次世界大戦後、ナチスの遺産、特にV2ロケット工場から取得した図面によるリバースエンジニアリングによってロケット工学研究は飛躍する(アメリカもペーパークリップ作戦によりV2ロケットと科学者をアメリカに移送している)。
ドミトリー・ウスチノフの指示の下、セルゲイ・コロリョフは図面を精査した。ドイツ人科学者、特にヘルムート・グレトルップ(英語版)の助けを借りて、V2ロケットの複製R-1を製作する。ただし、ソ連の核弾頭を搭載するには更なる強力なブースターが要求された。コロリョフは1930年代後半に自らが実験していた極低温燃料を使用するロケットエンジンの開発に専念した。最終的にこの仕事は大陸間弾道ミサイルR-7[9]の開発に帰結し、1957年8月の試験に成功する。この有効射程と5トンにも及ぶペイロード能力は核戦略上の実用性のみならず、宇宙ロケットとしても優れた土台となった。

スプートニク1号。重量:83.6 kg
ソ連の宇宙計画は五カ年計画と繋がっており、当初からソ連軍の援助に依存していた。1956年1月、スプートニク計画と4機の軍事偵察衛星(ゼニット)が承認された。同時に無人月探査と1964年までの有人飛行が予定された。世界初の人工衛星、スプートニク1号によるプロパガンダが成功したと判明すると、コロリョフは有人計画を迅速化するように命じられた。有人宇宙船の設計はゼニット計画と結合してボストークを生み出すに至った。
1966年のコロリョフの死後、ボストーク1号の設計者であった[10]ケリム・ケリモフ(英語版)[11]は有人飛行における委員会の議長に任命され1991年までの25年間委員会を率いた。ケリモフの最大の業績の一つは1986年のミールの打ち上げであった。

アメリカの宇宙計画はNASAが唯一の調整機関であり、1960年代の殆どをジェイムズ・ウェッブ長官が指揮を執ったのとは異なり、ソ連の宇宙計画はコロリョフ、ミハイル・ヤンゲリ, ヴァレンティン・グルシュコ、ウラジーミル・チェロメイに率いられた、複数の設計グループ(設計局)に分かれていた。
1957年から1961年のスプートニクの成功と1961年から1964年のボストークの成功を受けて、コロリョフの第1設計局は影響力を増し、月への有人探査と常駐宇宙ステーションの中心となるべきソユーズとN-1ブースターと共に計画を進める予定だった。しかし、ドミトリー・ウスチノフはコロリョフに非常に信頼性の高いボスホートと使った地球近傍計画と金星や火星への無人惑星探査計画に専念するように指示した。
ヤンゲリはコロリョフの助手をしていたが、ソ連軍の援助により1954年、自分の設計局を与えられ主に軍事宇宙計画に従事した。この設計局にはハイパーゴリック推進剤の使用を含めた強力なロケットエンジン設計チームがいたが、1960年のニェジェーリンの大惨事を受けて、ヤンゲリはICBMの開発に専念するよう指示を受ける。彼は軍事的利用と将来の宇宙ステーション建設への輸送利用の両方のために、コロリョフのN-1ロケットに似たデザインの独自の大型ブースターの開発を続けた。
グルシュコはロケットエンジンの主任設計者であったが、コロリョフとの個人的衝突があり、コロリョフが必要としていた大型シングルチャンバー極低温エンジンの開発を拒否した。
チェロメイはフルシチョフの支援を受け、1960年に月や軍事宇宙ステーションに有人船を送るロケットの開発という仕事を与えられるが、経験に乏しく彼の開発は遅れた。
1960年代初頭の一時期には、ソ連の宇宙計画は30ものロケットや宇宙機の開発プロジェクトを抱えており、設計局の主任は互いに争い、自らのプロジェクトを実現させるため共産党や軍の首脳との個人的な関係構築に追われていた。結果、これら乱立するプロジェクトに予算は分散してしまった。
フルシチョフの失脚により、1964年コロリョフは有人飛行計画の完全な指揮権を与えられる。

コロリョフの死後
コロリョフは1966年1月に大腸癌の手術中に心肺停止し、死去する。ヴァシーリー・ミシンはコロリョフの後任として第1設計局長となり、1967年に有人月周回、1968年に有人月面着陸を果たす予定であった。
前スペースパビリオン:全ロシア博覧センター
ミシンはコロリョフのような政治的権力を欠いており、他の設計局の主任たちとの競争と向き合わなくてはならなかった。この重圧の下、ミシンは1967年、無人試験に一度も成功していないにもかかわらずソユーズ1号の打ち上げを承認する。このミッションは設計上に問題が存在することが分かりつつも実行され、ソユーズ1号は地面に激突、ウラジーミル・コマロフを死亡させた。
この惨事による新たな重圧の下、ミシンは飲酒問題を起こす。1968年のアポロ8号による有人月周回によってアメリカに先を越されてしまい、ソ連は軽く打ちひしがれていたが、ミシンは問題のあったN-1ロケットの開発を推し進める。
1969年1月にソユーズ4号とソユーズ5号によるランデブー、ドッキング、船員移動が行われ、成功する。これらは月面着陸に使用される技術であり、LK着陸船の試験も地球軌道上で成功する。しかし、後のN-1ロケットの無人発射試験が4度失敗に終わり、開発が放棄される。これによってソ連は月面有人着陸を行う機会を失い、アポロ11号の人類初の有人月面着陸を許すことになる。
この失敗を受けて1970年、チェロメイは当時アメリカが宣言していたスカイラブ計画の対抗手段として、自身の推進するアルマース軍事宇宙ステーション計画がウスチノフによって承認されると確信した。
ミシンは未だ、後にサリュート計画となる宇宙ステーション計画の指揮権を持っていたが、サリュート1号にドッキングしたソユーズ11号の大気圏再突入時にクルー3人全員が死亡してしまった事故の致命的な原因が、圧力スーツなしで3人を乗せるという彼の決定にあったことが発覚し問題となった。
ミシンは多くの計画から外され、チェロメイはサリュートの指揮権を再び得た。NASAとのアポロ・ソユーズテスト計画の仕事の後、ソ連の司令部は新しい運営方法が必要だとして1974年に、N-1ロケット計画の打ち切りとミシンの免職を決定する。グルシュコを設計主任としてNPO エネルギア設計局が作られた。

失敗

ソ連の計画は様々な事故や失敗に苦しんだ。
ソ連の宇宙計画は五カ年計画という政府の経済計画と結びつきがあり、これは1961年に始まったアメリカのアポロ計画に対応することを困難にさせた。なぜなら次の五カ年計画は1964年まで待たなければならなかったからである。また、集権的計画と生産目標への固執が、中間管理者とエンジニアに装置の欠点を報告させることを困難にし、後の低質な品質管理へと繋がった。
1960年10月24日にバイコヌール宇宙基地で大陸間弾道ミサイルR-16が発射台上で爆破、数百人の命が失われた(ニェジェーリンの大惨事)。
1961年3月23日、初の宇宙飛行士事故が発生した。ワレンチ・ボンダレンコ(英語版)が低圧力高濃度酸素の中での火事によって死亡したのである。
ボスホート計画は2度の有人飛行の後、ソ連の指導者の交代とボスホート2号のトラブルにより中止される。もし仮に中断されていなければ、20日にも及ぶ長期宇宙滞在、女性による宇宙遊泳、命綱なしの宇宙遊泳などの「世界初」の名誉はソ連のものとなっていた可能性がある。
コロリョフ、コマロフ、ガガーリンの死が3年間のうちに連続して起こり、これは明らかにソ連の宇宙計画に暗い影を落とした。
ソ連は世界初の有人月探査を大型ロケットN-1で達成しようとしたが、4機とも試験飛行で打ち上げられてすぐに爆発している。1969年7月20日、アメリカ合衆国はアポロ11号によって月に人類を着陸させ、宇宙開発競争を制した。
1975年4月5日、2人の宇宙飛行士をサリュート4号に運ぶソユーズロケットの2段目が動作不良を起こし、結果的に初の有人ランチアボート(launch abort, 緊急分離)を行った。
1980年3月18日、ボストークロケットが発射台の上で爆発し、58人が死亡した。
1983年9月、2人の宇宙飛行士をサリュート7号へ運ぶためのソユーズロケットが発射場で爆破したが、ソユーズのカプセルアボートシステムが作動し、2人は助かった。

計画の一覧

ファイル:Space shuttle USSR.jpg
エネルギアとブラン
ソ連は数多くの計画に着手していた。実行されずに終わった計画も含む。
有人計画
アルマース計画:軍事宇宙ステーション
ミール:宇宙ステーション
サリュート計画:宇宙ステーション
ソユーズ計画:宇宙船
ボストーク計画:有人宇宙船。コラブリ・スプートニクも参照。
ボスホート計画:有人飛行計画
TKS:宇宙船
探査計画[編集]
ルナ計画:月のフライバイ・周回・衝突・着陸・無人車・サンプルリターン計画
マルス計画:火星探査計画
フォボス計画:火星探査計画
ベネラ計画:金星探査計画
ベガ計画:金星・ハレー彗星探査計画
人工衛星[編集]
スプートニク計画:人工衛星
メテオール衛星:気象衛星
モルニヤ衛星:通信衛星
コスモス衛星:主に軍事衛星
プロトン衛星:粒子研究
ビオン衛星:生物衛星
実現しなかった計画[編集]
ブラン計画(en):宇宙往還機。エネルギアも参照。
プチーチュカ:ブランと同じ宇宙往還機種2号機
ブラン2.01:第2世代宇宙往還機
MiG-105:スペースプレーン
ソ連の有人月旅行計画 - ソユーズL1計画・ソユーズL3計画
TMK(英語版):火星・金星への有人探査計画
MPK(英語版):火星有人探査計画

業績の一覧

年号内容(すべて世界初)達成した機体(達成した人名)
1957年大陸間弾道ミサイルR-7
1957年人工衛星スプートニク1号
1957年地球軌道へ到達した動物スプートニク2号(ライカ)
1959年地球軌道上で推進剤の噴射。地球軌道を抜け出した人工物ルナ1号
1959年宇宙空間における相互データ通信 ルナ1号
1959年月近傍を通過した人工物。人工惑星ルナ1号
1959年月に衝突した探査機ルナ2号
1959年月の裏側を撮影ルナ3号
1960年地球軌道から安全に帰還した生物スプートニク5号(ベルカ、ストレルカ)
1960年火星探査機Marsnik 1
1961年金星探査機ベネラ1号
1961年有人宇宙飛行ボストーク1号(ユーリイ・ガガーリン)
1961年宇宙で1日以上滞在した人間。宇宙で睡眠した人間ボストーク2号(ゲルマン・チトフ)
1962年2人同時の有人宇宙飛行ボストーク3号・ボストーク4号
1963年宇宙に行った女性ボストーク6号(ワレンチナ・テレシコワ)
1964年複数人(3人)が搭乗した宇宙船ボスホート1号
1965年宇宙遊泳ボスホート2号(アレクセイ・レオーノフ)
1965年地球以外の惑星(金星)に衝突した探査機ベネラ3号
1966年月に軟着陸。月面から通信。ルナ9号
1966年月周回軌道観測の探査機ルナ10号
1967年無人ランデブー。無人ドッキング[12]コスモス186号(英語版)・コスモス188号(英語版)
1969年地球軌道上で有人船のドッキング。クルーの交換ソユーズ4号・ソユーズ5号
1970年地球以外の天体(月)からの自動無人サンプルリターンルナ16号
1970年月面車ルノホート1号
1970年地球以外の惑星(金星)の表面からのデータ送信ベネラ7号
1971年宇宙ステーションサリュート1号
1971年地球以外の惑星(火星)を周回した探査機。火星の表面に到達した探査機マルス2号
1975年金星を周回した探査機。金星の表面から写真を撮影ベネラ9号
1984年宇宙遊泳を行った女性サリュート7号(スベトラーナ・サビツカヤ)
1986年異なる宇宙ステーションを訪れた人物ミール・サリュート7号
1986年長期的有人宇宙ステーション[13]ミール
1987年宇宙で1年以上滞在した人間TM-4・ミール(ウラジーミル・チトフ(英語版)、ムサ・マナロフ)
by kanakin_kimi | 2013-07-02 20:34 | ガイア学 | Comments(9)

フォロー・アース 3

ガイアの生き残り策 3
月が巨大宇宙船であり、エイリアン達は月を取り巻く環境が悪化している事から月を宇宙船に仕立てるために、地中をくりぬき生活空間に改造した。1976年アポロ20号のアメリカ・ソ連共同ミッションによって、月面に横たわる万年筆型巨大宇宙船の調査が行われた。中に安置されていた女性のミイラの調査を行っている。これらの調査から巨大プラント様の遺跡を含めてであろうが、一億五千万年前という想像を絶する年代特定がいわれている。その月が地球のそばへ寄り添うようになったのはいつからなのか、シュメール文明粘度板に書かれているアヌンナキアヌンナキの歴史とどこかでリンクしているのかと思わせられる。こう考えると、太陽系惑星の歴史の真相解明は実に面白くなりそうだ。
そして、「ガイアの生き残り策」もすでに「エイリアンが実績を示してくれている」。






by kanakin_kimi | 2013-06-23 15:38 | ガイア学 | Comments(0)

フォロー・アース 2

ガイアの生き残り策 2

地球がこれほど美しい状態を維持し得ている事実をもっと正しく見直さなければならない。地球の存在を「奇跡的」ということほど曖昧で、世界市民の認識を向上させていない表現はないだろう。何故なら、そこには「奇跡」などなかったからである。この地球の環境を維持し守ってきた人々がいたのである。今、「エイリアン」と呼ばれる人々である。彼らが地球人類の滅亡を欲しているならば、とうの昔に地球の人類は滅亡していたであろう。それほどの技術力の差は歴然としているのである。現在も地球に住み分けしている「エイリアン」と呼ばれる人々は、地球人類の滅亡など望んではいなかった。
そこに、ロスチャイルド・イルミナティが世界の支配層を利用して300人委員会が進めていると見せている「世界人口削減計画」など、何という馬鹿な事を考えているんだと私は思っているが、おそらく「エイリアン達」も同じ思いだろう。彼ら「ロスチャイルド・イルミナティ」に万に一つの意味のあるものがあるとすれば、 「ガイアの生き残り策」を考えているという事だろう。しかし、そのために「世界人口削減計画」を進めるという事になるだろうか。彼らの狂い方は、何に起因しているのかわからないけれども、おそらくは自分たちが仕組んで殺してきたたくさんの人々の「恨みと呪い」を自覚しているからが故に「恐怖と狂気」の溝を埋めるために「サタニズム」を登場させて「それに責任を転嫁し」更なる「殺戮をささげものとして」「支配機構」を固めるのであろう。この悪循環を繰り返している「恨みと呪い」「恐怖と狂気」は、「みんなが賢くなる」事によってのみ解決できるのであるが、彼ら「ロスチャイルド・イルミナティ」は「みんなを馬鹿にする方策しかとれない」愚かさを克服できないでいる。
アポロ20号など












by kanakin_kimi | 2013-06-23 15:04 | ガイア学 | Comments(0)

フォロー・アース 1

ガイアの生き残り策
今まで、ときどき地球中空説やUFOが地中に基地を持っているなどの話を聞いてはいたが、私の中では「腑に落ちてはいなかった」のだ。地球の電磁波がどのように出来ていくのか、そのメカニズムを何となく「地殻やその周りのマントル対流によって生じている」という理解をしていた。しかし、宇宙探査計画の情報が秘密にされていた事による相当期間の遅れがでているけれども、やっと真実の情報に近づいてきた。正しい情報を「公式情報」としていない「権力構造のカオス」による「無政府状態」といっていいだろう。政治・経済・文化にわたるすべてにこのような「歴史学シンドローム状態」になったという事であろう。このような中で、インターネットで公開されている情報で、「月が、中空の巨大宇宙船」である事がわかり、太陽系惑星全般にわたり、UFO基地がエイリアンによって造られており、もちろん地球にもエイリアン基地がある事があきらかになっている。もはや、すべての分野において、公式情報というものを待っていられないスピードで現実は進んでいるのである。今年、70歳になった私がそれを理解したのである。
したがって、地球の地質構造に関する従来の情報は見直す余地がある事を意味しているのだ。そして、それを指摘しているのが「ガイア理論」や「フォロー・アース」である。






























by kanakin_kimi | 2013-06-20 13:42 | ガイア学 | Comments(0)

月 かぐや JAXA NASA





















火星の町・都市

by kanakin_kimi | 2013-06-04 22:20 | ガイア学 | Comments(0)

太陽の動き
















by kanakin_kimi | 2013-05-04 12:50 | ガイア学 | Comments(0)

地球 ガイア学2

交流の歴史が神話で語られ、遺跡や遺物で残され、文字で書き残された
それは、地球が存在する銀河系の太陽系惑星の間で起きた歴史として知る事ができた

46億年の地球という見方は、もはや意味をなさない。なぜ、二ビルという星を発表しようとした天文学者を殺したのか、未だにその事実が公表されないのはなぜか。「かぐや」のデーターをなぜ公開しないのか。
「地球」のそして、あらゆる天体の土地の所有権は「終焉した」。これは「支配の論理の終焉」であり「資本の論理の終焉」と同時進行している。国家という枠組みも「ボーダーレス」に終焉した。そんな時代に私たちは生きている。
それでも、「狂気」の「権力集団」は「超法規行動」と「地球規模を超えた行動」に動いた。私たち一般市民を無視し、人口削減の対象と見なしている事が明らかとなった。アメリカのアポロ計画などで知り得た情報は、ほとんど「一般公開せず」、従って「どこかのスタジオで撮影し、C G 映像でねつ造したドキュメントを世界に流した」。多くの人々は、すべてを疑う事なく信じ込み、歓喜した。テレビ映像を分析する技術を持っていたごくわずかの人々だけが「映像の矛盾に気づき、嘘を発見した」。
当初は、そのうそを「人類初の月面着陸」をうそだと考えた。そのうそを隠すために「映像のうそ」がつくられたのだと考えたのである。
ところが、1950年代以降のロズエル事件が世界的な広がりを見せる事によって、「U F O がもはや未確認飛行物体ではない」事が明確な事実となり、同時に「エイリアンの存在=宇宙人の存在」が解剖学的所見を含めて明らかとなりつつある。
しかも、それらの「U F O と エイリアン」が「 月 」と「火星」に 「地底都市構造基地」を設けている事実が「GOOGLE EARCE の月面版 火星版 」によって明らかとなってきた。それには日本の衛星「かぐや」と中国の衛星が明らかにする役割を果たしてくれた。
したがって、アメリカだけが隠そうとしたのはアメリカだけが占有する「 月 」であり「火星」にしておこうとしていたのだ。
「アメリカだけ」というと間違いである。世界を股にかけた「イルミナティだけ」である。
それらの歴史と経緯をあきらかにしてくれる映像が世界に4月22日から発表される。
シリウス
である。



ディスクロージャー


by kanakin_kimi | 2013-04-13 11:23 | ガイア学 | Comments(0)

地球 ー「ガイア学」へ

奇跡の地球
奇跡を作った条件は何か、人は人知を超える出来事に出会うと「神」を持ち出す悪い癖がある。しかし、人ががんばって勉強しなければわからないという事も知っている。
だが、ひとがいくら優秀であったとしても一代でできる事はたかが知れている。教え教えられ、つなげ維げられて、やっとここまでできているのだ。しかも。それを全部知っている訳でもない。むしろ、知らない事の方が多いのだ。それなのに、傲慢にも「すべてを知っているかのようにふるまい」「地球の住民の生殺与奪の権を持っているかのごとくに振る舞う」愚か者が後を絶たずにいる。
そういうものに「天誅を加えようとする」のがほかならぬ「地球自身によってである」。
これが「ガイア理論」だとすると、「そうならないようにするためにどうしたらいいかを学ぼうとするのがガイア学である」。
「神」であれ「悪魔」であれ、「人の心の産物」であり「喜びと悲しみ」を「憐れみと怒り」で終わる事はない。「医学」が「ガイア理論」だとすると、「患者学」が「ガイア学」である。



by kanakin_kimi | 2013-04-12 13:48 | ガイア学 | Comments(0)