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韓国の88才の男性の方のお話

戦争の終焉
世界市民の声をお届けする
 人の詞に感動するのは、その人が自分を捨ててまで語ろうとする心意気だと思います。そのとき、その人は「世界市民」となっています。立場や、関わるグループや、国籍をこえているのだと思います。


by kanakin_kimi | 2014-04-23 20:38 | 直接民主主義 | Comments(0)

間接民主主義が終焉し、直接民主主義の時代へ

認識新たにせよ

もはや定常化した「投票率低下の意味」を各政党の人々はどのように受け止めておられるのでしょう。また、選挙管理委員会の投票参加の呼びかけもむなしく聞こえる。
それは何故なのかを考えてきた。
投票率が50%を切る選挙も少なからず出始めている。
そして、それは最早「選挙それ自体を否定しているかのようである」。事実、投票率が50%を切る事態は「選挙」自体が成立していないといえる。それなのに何を根拠に、選挙管理委員会は「選挙の成立」を認めているのであろうか。
選挙に参加する権利が市民権として確立させるために戦われた歴史があった。この歴史と現在の状況はかけ離れた問題なのであろうか。先ず、普通選挙法が制定される歴史の概要をWikipediaからみてみよう。


普通選挙法(ふつうせんきょほう)とは、1925年(大正14年)、加藤高明内閣によって制定された、成年男子による普通選挙を規定する法律(大正14年5月5日法律第47号)である。普通選挙法というのは通称であり、正確には、衆議院議員選挙法(明治33年3月29日法律第73号)を全部改正して成立した法律である。
既に起こっていた普選運動により、民衆の普通選挙を求める運動が高まっていた最中、貴族院を背景とした清浦奎吾内閣は衆議院を無視して内閣を組閣する。これに対し、高橋是清、犬養毅、加藤高明の3人が中心となって、護憲三派を形成、第二次護憲運動が始まる。この運動は政党内閣の結成、普通選挙の実施を公約に掲げて行われ、護憲三派は衆議院選挙で勝利を収め、憲政会総裁である加藤高明内閣を組閣する。
こうして公約通り1924年6月11日衆議院議員選挙法(普通選挙法)は改正(成立)された。しかし、政府原案中の、選挙・被選挙権資格規定に関しては、1925年2月の枢密院の修正(被選挙者の年齢を30年以上とする。貧困のため公私救恤(こうしきゅうじゅつ)を受ける者や住居不定の者には選挙・被選挙権を与えない。華族の戸主は選挙・被選挙権を有しないなど)があった。これに対し、衆議院は3月の第50議会でを削除したが、貴族院はこれを復活。さらに貴族院は政府原案中にあった「貧困ノタメ」を削り、欠格範囲を拡大したが、両院協議会での協議により「貧困ノタメ」を「貧困ニ因リ」とすることで妥協が成立(2月13日)した(「貧困ニ因リ」を加えることにより、兄弟・親子の相互扶助は欠格要件とならないことした)。
その後、3月2日、衆議院で修正可決。3月26日、貴族院で修正可決され、5月5日、衆議院議員選挙法改正が公布される。
なお、社会変革を恐れた枢密院の圧力により、同時に治安維持法も成立され、衆議院議員選挙法改正公布より先4月22日に公布された。
それまでの納税額による制限選挙から、納税要件が撤廃され、日本国籍を持ち、かつ内地に居住する満25歳以上の全ての成年男子に選挙権が与えられることが規定された。これにより有権者数は、1920年(大正9年)5月現在において307万人程度(人口に対し約5.5%)であったものが、改正後の1928年(昭和3年)3月には1240万人(人口に対し20.1%)と、4倍になった。ただし、成年女子に選挙権が与えられることはなかった。議員定数は466議席。中選挙区制で定数は3~5である。また、新たに選挙運動の制限とその費用の法定制が設けられ、人民代表法的な性格から、選挙取締法的な性格へと、日本の選挙法は転換していった。
普通選挙法により選挙権を与えられなかった女性達は、婦人参政権獲得期成同盟会の名称を婦選獲得同盟に変更し、平塚らいてうや市川房枝を中心として婦人参政権の獲得を目指して運動を続けるが、世間からは「新しい女」として白眼視された。この普通選挙法に基く選挙は1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙から1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)まで計6回行われたが、戦後のGHQによる民主化により1945年(昭和20年)12月に改正衆議院議員選挙法が公布され、全ての成人男女による完全普通選挙がようやく行われるようになった。
間接民主主義は、本当の民主主義ではないという事が見えてきた
このような歴史をへて普通選挙が行われるようになって今年2013年で68年を数える事になった。
今日の、「投票率の低下」について、「せっかく与えられている、選挙権を何故どぶに捨てるような事をしているのか。」といぶかる人々がいるだろう。
さあそこである、「せっかく与えられている」という認識から提起されている言葉に表されている問題を深めた方がいいだろう。
「与える」とか「与えられている」とかいう言葉の出所はどこかをみていくと、文章上では、「法律の文章」という事になる。その法律とは、「普通選挙法」であり、その後「公職選挙法」に改正された。

公職選挙法(こうしょくせんきょほう)は、公職(国会議員、地方公共団体の議会の議員・首長)に関する定数と選挙方法に関して規定する日本の法律。
1950年に、それまであった衆議院議員選挙法・参議院議員選挙法の各条文、地方自治法における選挙に関する条文を統合する形で新法として制定された。
公職選挙法は、通常の法律と同一の形式を有する法律として規定されており、国会議員に関して、直接利害関係を有する国会議員によりその内容が決定されていることとなる。このことに関連して、選挙制度や選挙区の割振りに対し、与党に有利な内容の制度が導入される可能性について否定的に論じる見解がある。いわゆる一票の格差の問題などについて、裁判所に対して選挙の無効を主張する場合がある。
他国においては、立法権を有する国会や議会から独立した第三者組織で定数や選挙区割、選挙方法などの制度が規定される例もある。
法律に様々な活動制限があることから、「べからず法」との指摘がある一方で、様々な抜け道があることから「ざる法」という指摘も存在する。
公職選挙法の対象となるのは、衆議院議員、参議院議員、地方公共団体の議会の議員、地方公共団体の長に関する選挙である。
国会議員の定数については、本法により定められ、地方議会の議員定数については、地方自治法により定められる。国会議員の選挙の事務については、比例代表選挙について中央選挙管理会が管理し、選挙区選挙については、都道府県選挙管理委員会が管理する。その他の地方議会・地方の長の選挙については、関連する都道府県ないしは市町村の選挙管理委員会が管理する。

私たち日本市民が各選挙で「投票する権利」は、当然の権利であるにもかかわらず、法律規定文章では往々にして「与える」とか「付与する」という文章が書かれている。だれが「与える」というのであろうか。憲法では「主権は国民にあるー主権在民」をうたっているにもかかわらずこのような表現を随所に使われたままである。つまり、「権力の乱れうち状態を反映している」のが「法律」で、「法律に詳しい知識を持っているものが常に有利な社会」で、「金をたくさん持っているものが優秀な法律家を雇える」という「不平等の差別を黙認している」事である。
こんな馬鹿げた事を続けているから、「絶対多数の貧乏な日本市民」は、「与えられた投票権」なんぞ「拒否する」という行動にたたざるを得ないのである。
それが、「投票率の低下」の主原因だとすれば、これが改められない限り続いていくであろう。
そして、憂鬱きわまりない事には「国会」を構成する「議員」の認識たるや、この「不平等の差別を黙認している」連中なのである。それどころか、自分たちの既得権益だけを守ろうとしている輩ばかりである事が明らかになってきた。
現在の政党制国会の存在自体が「主権在民」の憲法に違反をしている事。それが明らかになっているのにその認識がないのである。
by kanakin_kimi | 2013-07-05 21:39 | 直接民主主義 | Comments(0)

支配の論理が終焉する

やおよろずのひとびとの時代だ
私たちは、永い間支配のシステムにならされてきたために、一人の人間の自立という事の素晴らしさとその反面大変さが伴う事を今みんなのものとしてお互いに助け合わなければならない事を自覚しはじめています。
支配のシステムは、全面的な、直接的なシステムから、部分的な、間接的な支配のシステムへと変化してきました。それは,別の見方からすれば、奴隷的な、農奴的な封建制、律令制支配のシステムから、民主主義の度合いが進歩して、法治主義支配の間接民主主義政党制支配システムが行われてきました。
それは、また別の見方をすれば、自分の立ち位置の集団や所属する組織の「指示命令系統、指導被指導系統組織」の「指導者原理」によって「組織の代表者」が支配されればその組織も支配されるというシステムとしても機能していたわけです。
そして、それが最も機能していたのが「政党政治」であったのです。しかし、「政党政治が終焉」し、政党の指導的役割が終わって、「みんなが賢くなるシステム」によって、「一人ひとりの自立」がもとめられ、且つ,求めてきた結果としての「政治システム」は「直接民主主義政治システム」となったわけです。
by kanakin_kimi | 2013-02-26 22:49 | 直接民主主義 | Comments(1)

直接民主主義制度の確立を掲げよ 3

直接民主主義の理念

日本と云う国を創ってきた全ての国民に、今、世界から様々な希望の念願と思いがつたわってきている。
謀略に謀略を繰り返してきた富裕層が支配するアメリカが、たとえ善意でイスラエルとパレスティナの仲を取り持ったところでまた同じ事を繰り返す事になるだろう。お互いに無駄な殺し合いをして何になる。どうだろう、イスラエルの占有地を日本に任せてくれないか。憲法第9条に「戦争の放棄」をうたっている日本の派遣するボランティアに任せてみないか。もちろん、イスラエルの人たちとパレスティナの人たちが平和に生活をしていくためにどうするかを一緒に考え一緒に活動していくためにだ。平和に持続的な生活ができてきたら、日本から派遣してきたボランティアは帰還する。そのための話し合いを先づ日本でやってはどうだろうか。

直接民主主義の理念は、「支配の論理」を否定して「相互扶助の論理」であらゆる問題に対処します。ですから、お互いが自立していなければなりません。「相互自立の論理」です。相互扶助と相互自立は一体のものなのです。そのためには、「みんなが賢くならなければなりません」。みんなが賢くなるために相互扶助相互自立の勉強(相互教育)をしなければなりません。
裕福な家庭に生まれた人と、貧乏な家庭に生まれた人の格差をなくす事を相互理解する事も「みんなが賢くなる事」の一つです。モンゴルの失敗は、これができなかった事でした。ソ連から独立する時に、国の資産を平等に分配するという事を実施したのです。それ自体は問題は無く、むしろすばらしい事でしたが、それをどのように使うかという段階で、それぞれの家庭の基盤の相違・貧富の差が経済的余裕の格差がもたらす必然的結果を考慮されていなかったのです。
素晴らしい平等の分配をしながら、マンホールチルドレンを生み出してしまったのです。

森羅万象の精霊を尊崇する考え方が対象とするものの表現が「やおよろず=八百万の神々」というのであり、これは「支配の論理」と合体した「神道」ではありません。「神道」はせいぜい一千年ほどでしょうが、八百万の神々と表現している「森羅万象の精霊を尊崇する考え方」は縄文時代にさかのぼるルーツがありますし、世界の先住民族の内なる世界観と共通しているものだと思います。この「森羅万象の精霊を尊崇する考え方」は、相互の存在を尊重する考え方が前提になっています。つまり「支配の論理」を否定する考え方なのです。ですから、日本人が手を合わせる様々な「神社仏閣」の向こうに「森羅万象の精霊」を見ているのだと思います。ですから、あまり拘らないのです。平安神宮も熱田神宮も伊勢神宮も三輪神社も八幡神社も白鬚神社も白山神社も秋葉神社もあく波神社もその土地その土地にまつられている様々な神社仏閣にお参りするのです。その神社仏閣の周りに森羅万象を象徴する杜があるでしょう。岩があるでしょう。山があるでしょう。河を見せる疎水が池があるでしょう。相互の存在を認め合うから、拘らないのです。

ですから、日本を支配しようとする者とは闘います。でも日本の闘い方は代わっているんですよ。相手を否定しませんから、支配しようとする者は相手を否定する考え方ですから糠に釘・暖簾に腕押しです。いやなら帰ればいいのです。何で支配したがるのでしょう。自分の心の狭さに自分が支配されているのです。その事に気がつくまで闘います。その闘いは「相互自立・存在尊重・相互扶助」の闘いです。

by kanakin_kimi | 2012-11-18 17:29 | 直接民主主義 | Comments(0)

直接民主主義制度の確立を掲げよ 2

1、国民投票制度(案)

全ての憲法・法律は、国民投票によって決める事を基本にする。したがって、それによって行われる行政機関の主たる執行官は国民投票によって選出決定する。つまり、現行の内閣は国民投票によって決定する事になる。
また、裁判官・弁護官・検察官は、全国統一の国民投票によって有資格者の立候補制によって選出決定する。ただし、今後法律はシンプルなものに順次改めていくので、複雑な法解釈を必要としない段階で有資格者の限定は削除する。
官僚と云われる事務方については、全ての事務方に所属する職員の立候補制によって選出された各省庁の代表について、国民投票によって決定する。ただし、省庁の機構についてはよりシンプルなものにしていく。シンプルとは人員の削減を意味するものではない。むしろ充実化していく。
職員の採用などについての方法は、直接民主主義の理念によって改革される。


2、議会を廃止する。

議員はもういらない。ただし、行政機関が執行する日常業務についてのチェック機構を国民投票によって選出された弁護官・全国各自治体に於ける町内会役員・登録希望された市民によって構成し、インターネットモニターチェック機構として活動する。これは有償ボランティアである。
by kanakin_kimi | 2012-11-17 16:10 | 直接民主主義 | Comments(0)

直接民主主義制度の確立を掲げよ 1

法治主義の間接民主主義からの脱却をし、法律に基づく直接民主主義を確立しよう

これほど積み重ねられてきた、しかも赤ら様な「国民無視の政党政治」が行われていることが認識されておらず、戦後67年を経た今日、国会の論議の中で一顧だにされていない。単に「議員の定数是正」問題でお茶を濁しているだけである。何故これほど無党派層がふくれあがっているという事実を直視しないのか。
何故、投票率が50パーセント以下になったら、その選挙は無効だという判断がされないのか。
これらが示している事実は、政党政治の崩壊、間接民主主義の拒否を示しているのだ。にもかかわらず、法律に従って進めているという「法治主義」=法律を守っておれば何でもできる、という「法治主義の御旗」を振りかざしているのである。
そこには、「民主主義」の主人公である市民や国民は無視され、不在のまま強行しているのである。

それにもかかわらず、なおもその政党政治を継続させようとするのであろうか。

サリン事件でも、中川被・自殺事件にしても、ほとんどの人が「真相が闇に葬られている」という認識を持っている。
東京電力の福島原発問題にしても、未だに不透明な部分が多く残されている。
これらは、政党政治の間接民主主義に於ける「民主主義」の主人公が「市民や国民」であるという事を認識されていない事からきているのではないかと思われる。
かれらは、「市民や国民」を「衆」の概念でみている。だから未だに「衆議院」なのだが、「衆」は「大衆」と使われるように、「大勢の人」「烏合の衆」という概念にある。一人ひとりが自立した権利を持っている「市民」であり「国民」であることに、自らの立場を含めて「腑に落ちていない」のである。
それを考えるいい機会になるような問題提起をしておきたい。

例えば自民党は、戦後長期にわたる「与党体制」の環境を今日まで食いつぶしてきた。そして、自浄作用となる人々を包容できなくなって、公明党との連携の中で「サリン事件など」の「謀略体質の落とし穴」から這い出る自浄力を発揮する事ができず、反省もされない形で「安倍擁立劇」を古い体制で強引に作ってしまった。したがって、組織内部での「齟齬」がくすぶっているのに、安倍の能天気な事と云ったらありゃしない。

公明党は、もはや「政党政治」ですらない、自らの名前に恥じる様子も無いから自浄作用に期待する事は皆無である。元委員長や元書記長の真摯な提言をつぶしてしまっているのであり、これまた「サリン事件など」の既に知る人ぞ知る「謀略体質への懸念」は拭いようの無いものになってしまっている。

だから、「第三極」への結集を目指す人たちが出てきたのだろうが、彼らのこれまでの提言を見る限り「政党政治の終焉・間接民主主義の終焉」という認識を明言している人を見ない。したがって、直接民主主義制度の確立を展望しているのかどうかわからない。

この選挙に当たって、それを明確に展望する提言をするべきだと思う

by kanakin_kimi | 2012-11-17 00:03 | 直接民主主義 | Comments(0)

直接民主主義の制度化 2

みんなが安心して暮らせ、みんなが賢くなるシステムを作る事が第一です

「みんなが安心して暮らせる」、という事は質素でも衣・食・住が安心して通常の労働で得られるという事です。そして、「みんなが賢くなるシステム」というのは、保育園から大学まで誰もが無料で入園・入学・卒業できる事ですし、生涯学びたい人が自由に学べる施設がある事です。
by kanakin_kimi | 2012-10-21 22:43 | 直接民主主義 | Comments(0)

直接民主主義の制度化 1

県民投票を拒否する議会とは

政党政治の時代は終焉したという事を認識していない静岡県議会が16万余の署名を提出した市民団体の申し入れを基本的なところでの議論をしないで、手続きや実施した場合のやり方の不備などに「つまらないいちゃもんをつけて、拒否した。」という、全く「市民に対する、指導性・指導能力の無さ」を見せつけてくれた。

これこそが「政党政治の終焉」という事態なのである。もはや、議会そのものが「無駄遣いの巣窟」である。」

その事に、謙虚に反省して次の新しい時代への道筋を現議会の役割として「直接民主主義の制度化」を検討するべきだろう。
実は、「県民投票」というのは、その「直接民主主義の制度」の重要な一つなのである。しかも、提案者側が投票権者を18才以上としているのに対して、20才以上と云っているのにはあきれてしまったのである。中学卒の勤労者がいるのである。つまり、一人前の労働者が15才なのである。その上に、生命に関わる原発問題なのである。両親を失った15才未満の子供たちに、自分の命を守る権利を剥奪していいのだろうか。

まったく、あきれてしまう「議会」の人々である。
議会主義民主主義・間接民主主義というものが、いかに「支配の論理で考えている」かを明白に物語るものである。

by kanakin_kimi | 2012-10-08 21:07 | 直接民主主義 | Comments(0)

言葉の使用にかけられた意識の洗浄 3

「間接民主主義」とは、国民の成人のすべてが選挙権を有していながら、直接政治に関われない事態をいっている。政治は経済の延長といわれるが、経済を下部構造と考えるとその上部構造にあたるのが政治であり文化である。つまり、一般市民は下部構造に直接関わりながら、上部構造には直接関わることができなかったのである。選挙で代議員を選出するが、選出された代議員が構成する国会で法律が決定された。したがって、民主主義とうたっていながら政治に直接関われないシステムになっていたのである。
何故そうなっていたかというと、「代議制支配の基本構造」が改革されていなかったからである。つまり、支配者と被支配者の構造が厳然と残されたシステム(法体系・三権分立支配)であったのである。
例えば、賃金が低ければ、残業で稼ぐしかない。長時間労働をしていれば、精神的にも肉体的にも政治に関わる余裕がない。これを逆手に捕って、一般市民を政治から排除してきたのである。
江戸幕府から明治新政府に権力が移行したとき、「維新革命」が行われたが、それは「封建制幕藩体制支配」から「特権階級代議制支配」へと代わったのということなのである。そして、第二次世界大戦までを通じてその基本構造は変わらなかったのである。
敗戦後1955年(昭和30年)のいわゆる、55年体制といわれた「政党政治の構造」(二大政党制による政権運営体制)が今日まで引き継がれたというわけである。多党派が生まれたといっても公明党や社民連に象徴されるように、自民党と社会党の二大政党制という代議制支配に風穴をあける役割を果たしながら、他方では次の代議制支配体制を準備するという役割を演じただけだったのである。
それは、他方では1975年は社会保障の世界化を象徴する年になったこと、言い換えれば世界史が社会主義になった事を象徴するものであった。太田薫氏が「春闘の終焉」を書いたことに象徴される年であったことに見るように、春闘の構築とその組織的発展が大幅賃上げを積み重ね、ヨーロッパ並みの賃金へと達成し、大手企業と中小零細企業との間の賃金格差が残されていたのも事実ではあったが、社会保障制度の充実など、おおむねそのような状況を呈していたということができる。
世界史が「社会主義」になったというと抵抗を感じる人がいるだろう。きわめて、経済学的な定義として受け取ってもらいたい。国家のシステムの意味合いと切り離せないという面があるが、今日の状況を見ればわかるようにもはや「社会主義国家と資本主義国家が対立している状況ではない」し「右翼と左翼が対立している状況ではない」のである。よくよく整理してみると、その転換点が「1975年」だったのである。その年に何があったかと言うと、アメリカのキッシンジャー国務長官が I L O の総会で、I L O を脱退するとの通告をしたその年なのである。アメリカの社会保障制度の不備があからさまになったという事である。オバマ氏がアメリカ大統領になって、一番の仕事が「健康保険制度」の実施であるが、その採択に示した議会の賛否の差7票差で採択されたのを見てその実態がわかるというものである。その2011年に象徴されるのが、「間接民主主義から直接民主主義への世界革命」であろう。
それを象徴する出来事はたくさんある。そのひとつが、国際金融資本をひとまとめにしたグループの一部が示した「あがき」である。世界に自然災害の如く示した「地震・ハリケーン・大雨・台風・大津波・インフルエンザ・狂牛病など」の恫喝と人口減らしの謀略だった。
世界がその歴史に相違があるのだけれど、そのギャップを埋める速度は「 I T 」の発展によって凄まじいものになっている。それは、「世界の人がみんな賢くなってきている」という事なのだ。
by kanakin_kimi | 2012-06-17 17:37 | 直接民主主義 | Comments(0)

言葉の使用にかけられた意識の洗浄 2

代議制支配の日本における始まりは、帝国憲法下の帝国議会という、政党政治の始まりであろう。しかし、それは大方の知られるように資産家階級が選挙権を有する選挙制度である。言い換えれば、特権階級代議制支配であった。したがって、これをもって間接民主主義とはいえない。
本当の意味での間接民主主義の始まりは、やはり戦後の平和憲法が制定され50年体制と言われた1950年の政党政治の始まりが日本における議会制間接民主主義であろうと思うのである。たしかに、大正時代のデモクラシーの萌芽とその後の発展は目覚ましいものがあったにせよ、すべての成人に選挙権がもてるようになったのは平和憲法のもとにあった。
これは、冷静にみるならば、世界の代議制を見ても決して遅いとは言えないだろう。しかし、以来60年の歳月を経ている今日、もはや間接民主主義の時代を終えた。日本は、この歴史的事実を踏まえて世界にアピールする事ができる唯一の国だろうと思う。なぜなら、敗戦下のGHQ統治の元であれ「戦争放棄」という未来を見据えた条文を第9条に据えたという世界史に名を残す偉業を成したことである。
そして、そのことによって世界への指導的指針を指し示すことになるのだ。各人に権利と義務が平等に持てる時代を、各人が実践しなければならない時代になったのである。人任せにはしないということが 、各人にとっていかに大変なことかがわかる。しかし、ちゃんと各人がそれを実現できるようにみんなで教えあう「みんなが賢くなるシステムをみんなで作る」社会の時代である。心配することはない。
by kanakin_kimi | 2012-06-12 21:33 | 直接民主主義 | Comments(0)