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真実の原理と法則  2               金澤忻二

「実態真実」を人が写し込んだものが「仮想真実」である。

「人が写し込む」という、そこに全ての「人が見るあるいは、見える真実」の規定要因があると云える。

「人が写し込む」と云う作業は、「実態真実」を把握しようとする作業である。すなわち、全ての学問と言い換える事も出来る。しかし、まだ、学問体系に取り入れられていないものもある事を忘れないでもらいたい。従って、わたしは「人が写し込む」とは、全てを包含していることを云うのだ。
by kanakin_kimi | 2005-07-22 15:16 | 特殊相対場論 | Comments(1762)

真実の原理と法則 1  再録

残念ながら,いたずらを修理できなかったために再録した。(2013年2月18日)

「真実の原理」は、「全ての運動の原理」と同義である。

「全ての運動の原理」は、「対立物の対立と統一」である。

「真実の法則」は、「全ての運動の法則」と同義である。

「全ての運動の法則」は、「量質の転換」である。そして、「量質の転換」は、「否定の否定」「相互浸透」という側面的な形態変化を表現することに集約できるのである。

「真実の原理つまり、全ての運動の原理」は、たとえば、酸とアルカリの滴定におけるpH変位が示すように、「楕円運動の軌跡」を示す。つまり、「対立物の対立と統一」は「楕円運動」そのものである。対立物の量と質に規定され、対立物の置かれている場に規定される。

その「場」は、「特殊相対場」と表現する事にしている。その全体を模式図に示すと次のようになる。

         対立物×対立物→統一物
       ―—————————————
           特 殊 相 対 場
by kanakin_kimi | 2005-07-14 20:58 | 特殊相対場論 | Comments(68)

真実の原理と法則  1                金澤忻二

「真実の原理」は、「全ての運動の原理」と同義である。

「全ての運動の原理」は、「対立物の対立と統一」である。

「真実の法則」は、「全ての運動の法則」と同義である。

「全ての運動の法則」は、「量質の転換」である。そして、「量質の転換」は、「否定の否定」「相互浸透」という側面的な形態変化を表現することに集約できるのである。

「真実の原理つまり、全ての運動の原理」は、たとえば、酸とアルカリの滴定におけるpH変位が示すように、「楕円運動の軌跡」を示す。つまり、「対立物の対立と統一」は「楕円運動」そのものである。対立物の量と質に規定され、対立物の置かれている場に規定される。

その「場」は、「特殊相対場」と表現する事にしている。その全体を模式図に示すと次のようになる。

         対立物×対立物→統一物
       ―—————————————
           特 殊 相 対 場
by kanakin_kimi | 2005-07-14 08:33 | 特殊相対場論 | Comments(1511)

真実の構造  5                  金澤忻二   

これまで述べてきたものを整理する。
真実の構造は、大別して「実態真実」と「仮想真実」があること。
実態真実は、「空間に広がる質量の連続」である。
仮想真実は、「観念体の一人歩きが形成する」データや情報等の「虚構の真実」と云える。

通常、「真実」を「実態真実」に特定していっているならば混乱はしないと思われるが、人が人にそれを伝えようとする時、「言語」で伝える。言葉で表現する。物・者・事象など等概念を規定・特定し、定義づけたりする事が必要になる訳です。それらの蓄積とながい歴史の積み重ねから、より実態真実に近い「仮想真実」を形成し、再構成してきたのです。

そして、さらにそれらは、より実態真実に近いものへと改められ、見直されてきたのです。

また、人と人との伝達手段にある程度誤謬が入り込まない程の克服が出来たとしても、人が認識すると云う作業がもっている機能の限界によって、遅れが生じ、又偏りが生じてしまうのである。それが『認識の構造」であり、従ってそれによって写し込まれる「真実の構造」があるのである。
そういうことから、人が通常口で言う「真実」とは「仮想真実」を指して云っているのであることがわかるはずである。
by kanakin_kimi | 2005-07-13 22:44 | 特殊相対場論 | Comments(1520)

真実の構造 4

「認識」の現在の機能が、「実態真実をリアルタイムに認識できない事ー1」従って、又「全体を一挙に認識できない事ー2」。この二つを構造的にもっている。それが「認識の構造」である。

したがって、この『認識の構造』によって、形成される「仮想真実」は此の欠陥を内包せざるを得ないのである。それが『真実の構造』である。

この事が理解できるならば、まず「真実」というものが、人の『認識の構造』の産物としての欠陥を写し込んでいる事を、常に留意しなければならない事がわかるはずである。

ところで、この『認識の構造』は固定されたものではなく、また個々によっても様々な相違を持っている事にも留意しなければならない。個々の認識形成の過程が様々だからである。

基本的には、科学的に検証できるデータで構成された『認識の構造』を対象にする。

なぜなら、『観念体の一人歩き』は、ゴムひものようにのびたりちじんだりするので、ある個の「楕円運動」している『観念体の一人歩き』が、他の「楕円運動」している『観念体の一人歩き』に「リンク」したり『ジャンプ』したりして、「ある個』が知り得ない情報を得る事があるからである。それをいちいち取り上げると複雑になり、かえって理解しにくくなるので省略する。
by kanakin_kimi | 2005-07-12 09:32 | 特殊相対場論 | Comments(0)

真実の構造 2

基本的に「実態真実」と「仮想真実」に分けられるが、それはゴムひもで結ばれた関係にある。
「観念体の一人歩き」がその二つとゴムひもで結ばれている。ちょうど、二つの焦点と結ばれた動点が楕円軌道上を動いているようなものだ。

二つの焦点は、一つは「実態真実」であるが、これは一個の人間に置き換えれば「本能に支配されているその機能」でもある。もう一つの焦点は、「仮想真実」であるが、これも「本能から独立しようとする観念体の一人歩きと、それによって形成された知識等の情報の機能」である。

いま、「真相解明のマニュアル」を作成する上で、「真実とは何か」を明らかにしているところである。

真実は一つではなく多様である事。それは何故なのかという事。それは人が実態真実を認識するという事の中にその核心があり、そして、認識するという事が一個においても刻々変化するものであり、多個においてはそれこそ多様であるからである事。

認識という機能は、実態真実をリアルタイムには認識できないのである事。どうしても、タイムラグになる遅れが生じ、しかも一度に全体を認識する事が出来ない事。

従って、一個の認識の真実とは一定の偏りと遅れを伴うという事を知らなければならないのである事。

多個においては、一個の認識の遅れや偏りはある程度補充補正されるが、しかし、それでも一定の偏りと遅れは免れる事は出来ないのである事。

従って、この「認識の構造」によってみられる「真実の構造」があるのである。
by kanakin_kimi | 2005-07-04 14:40 | 特殊相対場論 | Comments(0)