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真実は、シンプルだが、虚偽は、最低でも二重構造だ

真実は、「実態真実」であるが、そこには「虚偽」は生じない。
虚偽が生じるのは「仮想真実」においてのみである。
「仮想真実」というのは、人が描く「虚構の真実」である。
人は、「実態真実」をそのまま認識することが出来ない。

しかし、人は「実態真実」を自分の中で「認識しつくしたい」と希求している。

そこで、「認識の限界」を克服するための方法を編み出していく。

大きな全体を構成している要素がどういうものか。それらがどういう仕組みで構成されているのか。それは、どのように生きているのか。つまり、どのように広がり、連続しているのか。
細分化して、データを取り、それで再構成するわけである。そして、その時間推移を見るのである。

虚偽は、この中に紛れ込むのである。
by kanakin_kimi | 2007-11-24 23:44 | 特殊相対場論 | Comments(0)

「特殊相対場論」のしゅっぱつ

「特殊相対場論」は、

「人間の認識する力はリアルタイムには獲得できない」という限界があることを知ることである。

そして、そこから全ての事象を出来るだけ早く、安く、より高い認識を獲得することを目指す。

そこで、「早く」「安く」「より高く」を「モットー(座右の銘)」に全てに挑むこととする。

存在する全ての「実態真実」を「リアルタイムに認識できるシステムを構築する」ために「全ての人びとの協力・協働によって共有すること」を目指す。

従って、その得られた認識には階層が生じていること、そしてそれを連結することによって「実態真実」により近づけようとしていること、をあらかじめ知るべきであることを主張する。

それは、コンピューターを駆使して、全ての事象をシュミレーションする、「リアルタイム」を「構築する」ために必要な方法と共通している。

全ての「実態真実」の「原理」を「認識出来るようにすること」つまり、「全ての実態真実に通貫する原理は何か」ということを発見することである。

現在感性的ではあるが獲得しているのは、「楕円運動」が「全ての実態真実に通貫する原理」を指示する「運動原理」であると考えている。

したがって、「楕円運動原理」の「認識の豊富化と深化」にもとめられる。それは、「楕円運動原理」を「流体力学でシュミレーション」することであると考えている。
by kanakin_kimi | 2007-11-18 19:54 | 特殊相対場論 | Comments(0)

みんなが、賢くなるように、すればいい2

医者が少ない、看護士が少ない、それぞれなり手が少なくなったことに原因がありそうだ。
医者になるには、金がかかりすぎ、減価償却するには一日中働かなければならない。
金がかかるから、金持ちの子供が優先的に入れるというルートが出来る。そういうルートで出来る医者は、「医者になる基本的な考え方」が違う。だから、ビジネスライクな医者が出来る。

また、患者が無知で医者に頼りきっていて、そのくせに医者が失敗すると損害賠償を請求することには長けている。そんな患者が増えている。患者が何でもかんでも医者に見てもらわなければと病院を利用する傾向がある。産婆さんをなくしたことと、産科医の成り手がなくなったことと関係はないのか。誰がどうして、産婆さんをなくしたのか。

そんな情況に嫌気をさして、医者も看護士もなり手が少なくなる。

医者を、「ステータスにしているシステム」を改革し、医者に全ての権限を与えるのでなく、医療スタッフ・医療技術者に権限を分担するシステムにしなければ、また医者になるのに金がかかるシステムを改革しなければ、患者が賢くなり自分を健康に保つすべを身につけなければ、これは解決しないだろう。

賢くなれば、健康に対する知恵が身につくから、自分のせいでなる病気やその原因が少なくなるから、病院に行く人が減少するでしょう。そうすると、医者が余裕が出来て新しい技術を身につけることも出来るし余暇が増えるから医者になることを敬遠する人は減少するでしょう。

医療と医者を社会的に共有化することで、医者になりたい人を社会でバックアップして養成するシステムにすること、それは「みんなが賢くなる」ことで実現できるはずです。
by kanakin_kimi | 2007-11-18 18:40 | 世界革命 | Comments(0)

因果応報‐問題解決の方法は物事の原理を認識する姿勢がなければならない

多くの悩みを抱えている人は、体にもその影響が及び変調を来すものである。
身体と心は一体のものである。しかし、それはゴムひもで結ばれたような関係で、ある時は遠くにはなれている時もあるし、ある時は身体と密着して身体の中に閉じ込めてしまっているような事もある。
私は、此のゴムひもで結ばれたような関係について「本能からの観念体の一人歩き」とよぶことにしている。

人が生まれたとき、本能に支配された生活をしている。しかし、今日の進化した人は「本能からの観念体の一人歩き」の「機能というか能力」をもってうまれる。

生まれて、周りの人たちの協力を得て学習していく。情報とそれを扱うシステムがより便利により豊富になっていくに従い、脳力成長の時間は益々短縮される。

他方では、脳力成長と身体的能力との間にアンバランスが生じ始める。それぞれの個体で自分で自制できない問題が発生する。ところが、周りの人はその事を認識できないためにその個体との間に齟齬が生じる。その現象が今起きている。

それは、人類が誕生した時にも生じていた。本能に支配されている者たちの生活パターンの中で、本能から独立する観念体の一人歩きの能力を身につけた個体が発生したのである。

周りは、「本能に支配されている者」である。個体「本能から独立する観念体の一人歩きの能力を身につけた者」との間にどんな問題が発生するかはもはや明らかだろう。
by kanakin_kimi | 2007-11-09 06:59 | 特殊相対場論 | Comments(0)

小沢氏の民主党代表辞任に見えるもの

内のかみさんが、小沢氏の民主党代表辞任について、安倍氏の首相辞任と同じ次元だとおっしゃる。
それもそうだなと思い同意したが、時間をおいて考えるとちょっと違うんじゃないかと思った。
ところが、もう少し考えるとやっぱりかみさんが云ったことと同じになった。
党首会談を断られたので、・・・・・・・総理大臣を辞める。
党首会談で即断らなかったので、・・・・・責任を取って党首を辞める。
というのがその図式である。どちらも子供っぽく見えるらしい。
しかし、わたしのいう「安倍氏と同じ」は少し違う。
安倍氏を擁立したのにはどういう背景が遭ったのか、ということと小沢氏を党首に起用することになったのにはどういう背景が在ったのか、ということとの間には「外交カード」の共通性があるのではという意味で「同じ」とおもうのである。そして、それは「アメリカの要求に対してノーと言える人」という意味でも「同じ」なのである。
そして、更に「アメリカの要求にノーでだけではだめだ。」という「解決策」の打ち出し方としての「外交カード・タイミング」として、「総理大臣を辞める・責任を取って党首を辞める」になっていることなのだろうと、私は思うのである。
だから、かみさんがいうほど「こどもっぽくはない」のである。しかし、情けない程に悲しさがにじんでくるではないか。
やたらと、日本の「腹切り」と「自殺」の感覚が伝わってくるから、情けないと思うのである。
こんな形になるのは、そもそも日本の「政治家」の「土台」になっているものの考え方が「さもしいからではないか」と思ってしまうのである。
しかし、ところがである。客観的に見れば、日本の国際関係に於ける位置は極めて重要で、しかも極めて重要な役割を果たしているのである。
お二人とも、その自覚がおありになるから、いかに次元が低く見えようとも「耐えられるのであろう」とは思う。
何故、日本の国民に本当のことを言い、ごまかすことをやめようと、しないのか。その反作用として「そういうことをしなければならない」はめに陥っているのだと自覚するべきだと思う。
本当は、日本の国民の能力がつくり出しているのに、一部のリーダーがつくり出しているように思い、装っていることの間違いに何故気がつかないのか。
それは、日本の国民を本当は信用していないか、真実を言う勇気がないか、多分その両方だろうと思う。
国民は「赤子」であり、自分たちが「教え導いてやらなければならない」という、明治維新の感覚を未だに引きずっているのであろうか。
情けないのはどっちだ。
by kanakin_kimi | 2007-11-05 00:10 | 政党政治の終焉 | Comments(0)