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裁判員制度に望む態度と基本姿勢 その2

さて、公判が始まって、裁判官や弁護士が検察官が訴訟を起こした内容を知らないようでは公判が前に進みません。ですから検察官は起訴した内容をあらかじめ裁判所に提出しています。

しかし、この提出された資料は事件の全体を把握できるものでない場合のほうが殆どでしょう。

事件の真相を明らかにして、それを裁判官・検察官・弁護士の三者が公判が始まる時点で共有していなければおかしいのですが、そうなってはいません。

検察官の横暴と、裁判官の怠慢、弁護士の無気力がない混ぜて、事件の捜査資料は検察官が独占しているのです。

つまり、検察官は「犯人を特定して起訴」したわけですが、「犯人と特定した証拠資料だけを選択して提出している」のです。したがって、裁判所に提出しなかった捜査資料の中に無実を証明する証拠があったとしても、それらは公判に提出されません。

訴訟指揮は、裁判官がやるはずなのに検察官の意図のもとに「訴訟資料」が選択的にゆがめられ、事実上訴訟指揮権が検察官に握られていることを頭に入れておいてほしいと思います。
by kanakin_kimi | 2008-04-30 23:56 | 直接民主主義 | Comments(0)

裁判員制度に望む態度と基本姿勢 その1

わたしは、裁判でもっとも大切なことは「事実認定」だと思っています。
結論である「判決」は、「事実認定を間違えれば、判決も間違うことになる」
と思います。そして、「事実認定」は、日常において「みんながしている常識的
な事実の判断」です。裁判員に求められているのはこの事なのです。

裁判員制度が実施されると、担当することになった事件の「事件記録」が検
察側から提出されます。

この「事件記録」は、事件発生後「捜査活動」を行った警察・捜査指揮権を持
つ検察が「事実関係と犯人を特定した証拠をまとめた記録」です。捜査指揮
権を持っているといっても検察官は圧倒的に人数が少ないですから、捜査権
限の大部分は警察署・警察庁が捜査現場の指揮をしており、「指揮権の二重
構造」が実態として生じています。そして、検察官は「起訴するかしないかの権
限」にそれらの全てを収斂させています。

裁判官は「訴訟指揮の権限」を持っていますが、起訴されて「事件記録」が提
出されるまで全く分らない。

弁護士は、「犯人が誰か特定され、起訴されてから、その誰かに依頼されて、
始めて弁護活動」が開始されます。

裁判が始まるまでに、「事件」の事実関係を知ることが出来る時間的ギャップが
先ずあるということを知っておくことは大切だと思います。
by kanakin_kimi | 2008-04-28 23:51 | 直接民主主義 | Comments(0)

民主主義のない党組織は、民主主義の指導は出来ないし、資格もない。

ある時期には、自分たちは最先端の指導を行い、またその指導力もあった。
しかし、自分たちが寄ってきた立場は「いつまでも、その当時の最先端であったが、今は陳腐な民主主義とは相容れない代物になっていることを忘れており、大義が失われていることが見えなくなっているのだ。」
そのさいたるものが、中国で起きている。

ところで、私が住んでいる藤枝市は、昔、駿河の国志太郡田中藩があった。
江戸時代の文化年間(1804~1817)にその田中藩領80余ヶ村に起きた事件のあと「首切り正月」が営まれるようになり、「五郎祭」といって、今も語り継がれ毎年陽暦の7月28日前の一番近い日曜日に島田の「全中寺」で供養し、八幡宮で感謝の祭をしているようです。

それは、年々凶作・不作が続いて、文化十三年(1816)の秋にはそれが極に達し、藩公への直訴と一揆となり、「増田五郎衛門」が首謀者として斬首された。その日が陰暦の文政元年(1818)6月28日であった。これを機に毎年この日を「首切り正月」として人々は仕事を休み、墓に参って法会を営むこととなったとのことです。

まだ、自分が日本という国に生まれてよかったと思える人は、日本に生まれた人の全てではない。それでも比較的多いのではないかと思われる。
それは、島田市で「五郎祭」が行われているように、全国で増田五郎衛門のような人々がいたであろうし、そのお陰で改善された事実の積み重ねが日本の文化として底流に流れているからであろうと思われる。

当時の文化人は、安全地帯を設定しながら、「首切り正月」を「湿り正月の茶事」と「はす」に構えていたようだ。

しかし、「増田五郎衛門」自身「村政支配」の一翼にいたことも事実で、そういうところから体を張って「生活改善要求」に命を掛けてきた人物がいたということ、そしてそれを後々まで伝え続けてきたという人々の存在があるということの信頼関係が、中国と日本の違いではないだろうか。

それは、中国が歴史的に持っている国家主義の「孔子」と人民主義の「墨子」の違いをしっかりと認識できていないからではないだろうか。

つまり、「国家主義」を克服できていないということだと思う。

「国家主義」者は、「人」を信用できないのだ。一人ひとりの人間を信じていくことが出来ない狭隘さを自覚できていない。

チベットが独立することを認めないということもその一つであろう。

今の世界は、もはや社会主義と資本主義の対立軸が中心にあるわけではない。
中心にあるのは、「真相を解明すること」と「真相を隠滅すること」の対立である。

言い換えれば、「多くの人びとを賢くすること」と「多くの人々を馬鹿にすること」とが対立軸になっているのだ。

さて、今の中国の指導部はどちらであろうか。
by kanakin_kimi | 2008-04-02 12:55 | 直接民主主義 | Comments(0)