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世界観の転機 ー メビュウスの輪 10

1955年を契機に「春闘」が始まった。55年体制といわれる「政党政治の再編成」と連
動しているように見受けられる。
そして、春闘方式の創設に関わった太田薫が「春闘の終焉」を発行したのが1975年であ
るし、米国政府のキッシンジャー国務長官がILO脱退通告書簡をだしたのがこの年の11月
6日である。
時代の混迷の中で汲々としている多くのものにとって、何故「春闘の終焉」なのか、何故「ILO
の脱退」なのかがわからなかったはずである。
太田薫は「春闘の終焉」で何がいいたかったのか。
「春闘創設」から20年、この間の出来事を整理してみる必要があるようだ。
当時の誰もが、今日に至るまでその脈絡を整理されていないまま今日にまで、持ち越してい
るように思われる。
高木郁朗氏の「春闘論」は、1976年5月1日発行という時点の著述であるからその限界
もあるが、当時としては結構整理されていると思われた。
しかし、米国のILO脱退が意味するものと重ね合わせて考える余裕はなかったのであろう。
当時には見えなかったものが、今は見えてくるというものがたくさんあるはずである。
たとえば、「世界史は社会主義の時代になった。」ということが言われるが、それはいつの
時点からいえるのであろうかということが、知りたくなるのである。
都知事選挙のとき太田薫に何故春闘の終焉がいえるのかと聞いたそれと同じなのである。
インターネットの静岡県藤枝市の市政モニターを1年やり、続けて静岡県の県政モニター
を1年やって、こんどは国政モニターに応募するように新聞の切れ端を持って妻が「これ
どう?」と、もってきた。
断る理由もないから「応募」した。
「太田薫の遺言」みたいなものがあってもいいなと思って、資料を集めていたら「ILO条約
の批准」の時系列や「日本労働年鑑」を見ていてひらめいた。
ILOが社会保障制度を積み重ねていくことに対する防衛線を張った恫喝が米国の「ILO
脱退通告」だったのであろうし、大幅賃上げを積み重ねて日本の労働条件も国際水準に
到達して、資本側が危機感を持って対策を考え始めたのである。
そう考えると、「世界史は社会主義の時代」の転回点を示す時期は「1975年」だったの
かと思われるのである。太田薫はそれを知っていたから「春闘の終焉」を書いたのだろう。
by kanakin_kimi | 2010-02-27 19:19 | 世界革命 | Comments(0)

平成の「天武」

わたしは「大海人皇子」は、水軍のリーダーだったのではないかと思っている。約2万7千人
の兵を乗せた船が白村江に押し寄せたという。
人数もすごいものだと思うが、これが本当だとすると船は何艘作ったのだろうかと考えてしま
う。仮に、1艘当り100人乗っていたとしても、270艘の船が必要になる。
1艘当り50人だとすると540艘である。
いずれにせよ、造船技術にしても、操船技術にしても、さらには経済力にしても大変なもの
なのであるが、この半数にあたる兵を、駿河国方面で調達しているのである。 
そして、この船団のリーダーが「いほ原の君臣」だというのである。
これが書かれた時代は、「駿河国」となっていたかもしれないが、「白村江の変」のときは
「いほ原の国」だったはずである。
このとき、駿河国は富士川以東でありその東部であった地域がいまも「駿東郡」の名を残
している。
この船団のリーダー「いほ原の君臣」と水軍のリーダーを思わせる「大海人の皇子」とが
重なり、「清見寺に天武天皇の位牌がある」こととが重なってくるのである。
天智・藤原皇統譜から天武系統が横に置かれていることとも関係しているのではないだ
ろうか。
しかし、さすがに藤原の孫でもあり天武の孫でもある「聖武天皇」をはずすことが出来な
いのであろう。
聖武が行った東方行脚は、藤原へのアンチテーゼを示して見せたのではないだろうか。
それは、大海人(天武)が天智のもとから離れ出家するとして東方行脚するその行程を
なぞっているのではないかという。
誰だったか忘れたが、天智の元から去った大海人(天武)のことを「虎に翼をつけたも同
然だ」といったとか。
「朝青龍」を相撲界から放逐するやり方も、どこか似ているように見えて、逆に当時の事
情を推理させてくれて面白い。
というのは、本能寺の変で織田信長が消失する時、「徳川家康の伊賀越え」が行われる
のだが、これはまさに「大海人、聖武天皇の東方行脚と似た道筋」なのではないかと思っ
てしまう。天下の趨勢を握るための地域勢力へのアピールなのだろうか。
by kanakin_kimi | 2010-02-25 10:59 | 世界革命 | Comments(0)

鍬形蕙斎の工房 1

寛政6年、いわゆる,「写楽」が舞台に上がる年である。10ヶ月で書かれた絵の枚数
の多さだけでなくて、それらの絵の内容にも一人でかかれたものとは思われない質
の違いを感じられるものがある。
このことは多くの方々の指摘にもあるようだ。
その理由は何だろうか、と。
一人ではなく複数の人々がかいていると考えると、北尾派の「工房」があり、ここで
作っていたのではないか、ということが閃いた。
しかし、そこにいたるためには、それ相応の人的なつながりや実績、有力なスポン
サーがなければならない。
赤羽三二郎が北尾派の創始者北尾重政に15歳で入門して北尾政美となり、黄表
紙などの挿絵という、絵を写し取るだけでなく、話の内容を切り取り表現するという
高度な能力を磨いていった。
三二郎の父は、駿河の国興津の田中某の縁籍で江戸に出て畳屋に養子入りした。
この興津宿は清見寺の寺町といっていい知る人ぞ知るという由緒ある地域である。
清見寺には天武天皇の位牌があり、近辺には「清見長者」のいわれが伝わるなか
なか謎を秘めたところがある。
寛政6年(1794)ちょうど写楽が出現した年に、美作の国津山藩(松平)のお抱え
絵師になり、寛政7年名を改め鍬形蕙斎となる。鍬形は母方の名だといわれる。
松平定信は寛政5年には老中を辞めているが、その後も寛政の改革は進んでいる。
by kanakin_kimi | 2010-02-22 20:42 | 鍬形恵斎鎮魂 | Comments(0)

直接民主主義の時代 2 「政党政治の終焉」

長崎市議、県議を経て、1995年の長崎市長選挙で自民党の推薦を受け、新人ながらも前職の本
島等を破り、長崎市長に初当選。2003年の長崎市長選では各業界や自民党・公明党からの支
援を受けつつも無所属で出馬し、自由党支持や共産党推薦の新人4人を大差で破り、3選を果た
した。
2007年4月15日、任期満了に伴う市長選挙(統一地方選挙、4月15日告示。同月22日投開票)
に4選を目指す現職の伊藤と新人3人のあわせて4人が出馬した。自民党・公明党・民主党・連合
(今回初めて推薦)や各種産業団体などの支援を受けて無所属での出馬を表明した。
4月17日午後7時51分、選挙運動の遊説をしていた伊藤が自身の選挙事務所前に到着した。
待ち構えていた記者たちと会見を開く予定だった。事務所スタッフが記者らに市長が帰ったと告げ
た直後の午後7時51分45秒ごろ、男に銃撃された。
使用された拳銃は5連発式の回転式拳銃で、暴力団幹部の男は伊藤の背後から2発を発射し2発
とも伊藤の背中に命中した。
男は直ちに通行人に取り押さえられ、駆けつけた警察に連行され殺人未遂で現行犯逮捕された(後
に容疑を殺人切り替え)(2008年5月26日長崎地裁において死刑判決)。伊藤は救急車で市内の
長崎大学医学部・歯学部附属病院に搬送されたが、心臓と肺が裂けて既に心肺停止状態に陥って
いた。心臓血管外科江石清行教授を中心とした医療チームが人工心肺を用いて懸命に治療したが
、翌4月18日午前2時28分、大量出血のために死亡した。

市長選出馬前は「防衛、外交は国の専管事項」として平和問題、核問題には言及しない姿勢を示
していた。
市長就任後は一転して平和推進路線に転換。被爆地の市長として核兵器の撤廃運動を積極的に
行なった。また、しばしば核兵器の使用、及び核保有国であるアメリカ合衆国への批判をした。
1995年11月に国際司法裁判所で核兵器の使用は明らかに国際法違反と、涙を浮かべながら訴
えた。
2002年の原爆の日には同時多発テロ以後の米国の核政策を批判した。2005年5月の核不拡散
条約再検討会議では「核兵器と人類は共存できない」と主張。
2006年には米国と北朝鮮の核実験を批判し、2007年3月の米軍イージス艦の長崎港入港を「残
念」とした態度を表明していた。

伊藤一長は、何を示していたのか「自分の命をかけて政党からの圧力に屈しなかった」ということで
あり、「政党政治の終焉」を身をもって示したということではないだろうか。

「天草の乱」という一大歴史的経験そして「1990年11月17日の噴火以来1996年まで続いた雲仙
普賢岳噴火」の災害経験を持っている「長崎県民」には「上から見た言辞」に対するアンチテーゼを
示す常識があり、県知事選挙における「民主党の応援演説」はまさにその琴線に触れたのである。
これもまた、「政党政治の終焉」を忘れるなという、教示なのだろう。
by kanakin_kimi | 2010-02-22 16:22 | 政党政治の終焉 | Comments(0)

直接民主主義の時代

今日の世界は、もはや右と左の闘いではない。ましてや、社会主義と資本主義
の闘いでもない。
世界史は、「間接民主主義の時代」から「直接民主主義の時代」にはいってい
る。社会主義陣営を凝しているものも、資本主義陣営を凝しているものも、そ
れぞれに利権と権力を手放したくない者が、真実を隠蔽するものが「一般大衆
の敵」になっている。
「一般大衆」には、「真相を解明する者こそが味方」なのである。
「真相を隠そうとする者」と「真相を解明する者」が「あらゆる分野」で「対
峙」しているのだ。
アメリカで、「真相を解明する者が血を吐きながらもがんばっている。」そし
て、日本でも、日本でも、「真相を解明する者が立ち上がってくれ」とさけんで
いる。
自分の足元を見るがいい、自分の立つところはどこか、父は、母は、兄弟姉妹
は、みんな一般大衆ではないのか。
「一般大衆」の敵は、全ての「真相を隠そうとする者」である。「アメリカの一
般大衆の声」はそういっている。
by kanakin_kimi | 2010-02-19 14:09 | 政党政治の終焉 | Comments(1)

世界観の転機 ー メビュウスの輪 9

「実態真実」には嘘はないが「仮想真実」には嘘がある。
人がその持てる認識の力量で「実体真実」を写し取ったものが「仮想真実」である。
したがって、「仮想真実に含まれる嘘」は人の「認識の力量と作用」によって発生している。それ故に「仮想真実に含まれる嘘」には「不可抗力の嘘」と「故意の嘘」「無意識の嘘」が含まれる。
「故意の嘘」は、「悪意のある嘘」と「悪意のない嘘」に見いだすことができる。
「悪意のある嘘」とは、例えば、2001年9月11日にアメリカの世界貿易センタービルに飛行機を突き込ませた事件があった。
それは、周到に準備していた爆破倒壊作業とほぼ同時に連動するように仕組まれていた。
巨大な鉄骨柱の要所要所の箇所を内側に滑るように斜めに切断し、ほぼ同時に爆破倒壊する「ビル爆破作業」をセットにしたものである。
それを、「テロリストの仕業」に凝して、それを理由に国内には「戦争するための国民合意」を強引に「仕立て」そして、国外にはアフガニスタンやイラクへの侵攻を「正当化」して、国連決議・国際世論の批判を無視して強引に進めたのである。
これらの一連の嘘は、「悪意のある嘘」である。
by kanakin_kimi | 2010-02-16 09:09 | 世界革命 | Comments(0)

世界観の転機 ー メビュウスの輪 8

これからの食料戦略を資本の論理で進めているところでは、破綻しかないだろう。
なぜなら、「リスク」は、自らの食料を得ようとする論理がどこにあるかという事につきるからである。
「資本の論理」は、「支配の論理」と「たかりの論理」を克服することができない。
現在アフリカやアジア・東欧に進んでいる「ランドラッシュ」は、「資本の論理」以外の何者でもなく、中国や韓国、石油資本、それにインド資本が先を争っているようであるが、インドや中国は自らの国の国土開発に農業用土地整備がなされるべきであり、自らの国の人民の能力形成にこそ力を注がなければならないはずである。
日本は、決して資本の論理でする「食料戦略」にはしってはならない。
土地を提供する地元の人々が、自らの食料を自給できた上で余剰の土地を提供するという状況であるのかどうかという事につきる。
by kanakin_kimi | 2010-02-11 23:24 | 世界革命 | Comments(1)

世界観の転機 ー メビュウスの輪 7

「倒産しない国」といわれていたイタリア、ギリシャに異変が起きている。
「政党政治の終焉」という事態を認識し得ない「自民党」は、長い間一党支配の権力にあぐらをかいてきた。これと似たところがあるのではないか。
イタリアやギリシャが何にあぐらをかいていたのだろうか。
「観光立国」といわれてきた両国の観光資源は凄まじい程のものである。
それゆえに「観光収益」が国家予算に占める比重は大きかったのではないかと想像できる。
「世界恐慌」といわれる、経済状況が「航空産業」にも及んでいる事が示しているのは観光人口の激減ではないだろうか。これは、今後にも広がっていくように思える。
今後は、観光にではなく災害救助・国際的相互扶助という分野での救援交流・支援交流が目指されるとき、浮き足立つ事なく、食料の自給を確立していけば何の心配もないのではないでしょうか。
その基本方針は、ソ連時代に「ダーチャ方式」での家庭菜園を各家庭ごとにつくらせていた事は貴重な経験ではないかと思うのです。
by kanakin_kimi | 2010-02-11 21:50 | 世界革命 | Comments(0)

世界観の転機 ー メビュウスの輪 6

ついでに、いまアメリカの国家的倒産状態をアメリカの国民自身が一体どうしようとしているのか、しっかり考えてもらいたいものだと思い再度表示したい。
【オバマ大統領を選んだアメリカ国民は、アメリ合衆国の国家的倒産状況に対する国家的な規模での構造改革と経済改革を求められていることをしっかりと自覚するべきである。
だからこそ、金融危機といわれてきたものが金融資本の崩壊という時代に則して、金融資本の責任とそれゆえの資産の返還を求めているのである。
そして、世界に展開してきた軍隊を縮小して撤退し、財政構造の中にしめる軍事予算構造を徹底的に縮小しなければ、構造改革と経済改革をすすめることはできないのである。
したがって、アメリカ国内への軍隊の撤収が失業者の増大にならないようにしながらこれを進める方法をとらなければならないから、軍隊というものの役割を転換することである。それが「災害救援隊」への転換である。
軍隊では、世界の人々に信頼されないが、「災害救援隊」なら信頼され世界で費用を負担しあえるはずだ。
それをアメリカだけでなく、世界のすべての軍隊を「災害救援隊」に転換することとして国連管理下におくようにすることである。そのてはじめに、今日の状況の中で率先してアメリカが行うことの意味は大きいだろう。
そして、それはアメリカだけでは実現できない。だから、世界に展開している中でも最大基地である「沖縄」からの撤収は極めて大きな意味と意義を持っており、「災害救援隊」への転換であれば、その存在のあり方や機能の仕方、軍事物資や武器が救助物資と救助用具機器となるのである。それに日本が協力するのであるから、さらにその意義は大きいはずだ。沖縄の人々の希望の実現とアメリカの構造改革の着手が同時に行われることになるのだ。
その政治的意義はきわめて大きいといえるし、そのことがわからないはずはなかろう。】
 
by kanakin_kimi | 2010-02-11 20:53 | 世界革命 | Comments(0)

世界観の転機 ー メビュウスの輪 5

1984年から1995年にかけて米国大和銀行ニューヨーク支店が行った米国債売却をめぐって重大事件として扱われた事件があった。
 表面上は不正取引事件という扱いだが、その実「規制していた米国債売却」を大和銀行が行ったということのようであった。何故、米国債売却が悪いのか、問題にされなければならないのか。 このことは、「アメリカという国の資本主義が崩壊し、既に国家倒産している」という事だったのだ。それを表面化させたくない金融資本のおもわくがあの形で表面化したのであった。
 米国債の売り急ぎが頻出する事による世界恐慌の勃発を恐れての事で、まだ対策の準備ができていないという事をしめしていたということなのだろう。
 
 そして、他方では「1989年11月ベルリンの壁崩壊」と云う世界にセンセーションをもって迎えられた事件が発生し、それが、「1991年12月ソビエトの連邦制解体再編」につながる、大激動の時代へと入っていった。
 しかも、1990年11月17日以来1996年にかけての雲仙普賢岳噴火、1993年7月12日の有珠山噴火・北海道南西沖地震、1995年1月17日阪神淡路大地震に見舞われる中で、世の中の大きな変化を気づかされる事になる。
 そういう状況の中で、私は自分のライフワークに集中する為に退職した。1996年6月30日である。そして翌年1997年5月24〜27日に「A少年事件」の発端となる事件が発生した。
 震災後の神戸では「革命的な相互救助意識」が芽生えていた。それを消し去ろうとする意図が動き「猟奇的な事件」に置き変えられていった。 
 私の調査では「発端事件」は家庭内で起きた事故であり、「A少年は無実」である。無実のA少年をスケープゴートに利用した組織は「公安調査庁」であるとわたしは判断している。
 どこの国でも、謀略組織は自らの存在価値を維持する為に「謀略事件」をつくるのである。
 これらの激動は、アメリカが最後のあがきをするかのように「2001年9月11日に世界貿易センタービルの二本のタワーに飛行機を突き込ませた。」
「タワーの大きな鉄骨を要所要所で斜め内側に滑るように切断させ、ほぼ同時に爆破寸断して自然落下で崩れるように爆破倒壊が工作されていた結果だ。」「飛行機の突き込まれない7号棟など他四つのビルディングも同様にして爆破倒壊させた。」
 謀略工作であることが、これだけでも、証明されるだろう。
 この時、私は藤枝市の葉梨中学の前の中之郷で条理遺構遺跡発掘のアルバイトをしていた。
休憩時間にこの問題が話題になった。わたしは「アメリカ支配層の自作自演の謀略だ。」と言った。
また「テレビ報道のチェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官の隠しようのない謀略の後ろめたさの表情」を見逃さなかった。
 そして、あの「謀略を成功させる」ために、すぐさま戒厳令下の状況をつくり、世界に「邪魔する奴は承知しないぞ」という「なんでもありの雰囲気と恫喝の 恐怖」を世界に植え付け」、アフガニスタンやイラクへの一方的侵攻を強行した。このときのアメリカ支配層の思惑は、世界恐慌の勃発を押しとどめようと「戦争経済」を繰り返して乗り切ろうとした対策だったのだろう。

 しかし、謀略を成功させ続ける事はできない。
みんなが賢くなっていけば、謀略は未然に防ぐことができるはずである。
by kanakin_kimi | 2010-02-10 10:55 | 世界革命 | Comments(1)