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特殊相対場論 12章

  私の宇宙観 12章 を再び送ります。

日本列島住民が、どうして自己確立に対する追求をやめてしまうのか、
その一端を前回、前々回に「政治文化の分水嶺」「対立の回避」「原理的
追求の放棄」などの言葉を使って述べたつもりです。
もちろん、その内容について、具体的な検証、実証を展開できていない
ので、観念的に流れていることは充分承知しているつもりです。
しかし、先を急ぎ、「原理的追求」を放棄してはいけないこと、「原理的
追求」をすれば必然的に対立が生じるものであり、その「対立を回避」
せず、それに立ち向かっていくことこそ「自己確立」そのものであるこ
と、そして、にもかかわらず、「個々人は、現実にその政治文化に慣れ、
あるいは、馴化した人々との関係として日常生活を共有している。」と
いう厳然たる事実の中で、どうすればいいのか方法論はさておき、「原
理的追求」の私自身が現在到達した結論を述べたいと思います。
それは、いわば「整理学」であり、宇宙の全ての根源に通貫する「原理
」として私には認識し得るが故に「私の宇宙観」とする所以のものです。
と、1984年2月29日に記し、当時、秋原さんが主催する「ケムンパス」に投稿した。その際に12章を添付した。
22年後の2006年2月7日より27日までにわたって、以下のように整理し直した。

その後「真実」とは何かを追求した結果、「真実には様々な構造があること」と、それは「人が認識するそのことの構造によるものであること」をみることができた。
そこから「実態真実」(Substantial truth)と「仮想真実」( virtual truth )に分けて考える必要があることが認識された。
我々は、往々にして「真実は一つ」とする考え方をとる傾向があるが、それでは、「真実以外は全て虚偽」という考え方に狭隘化するのである。その原因は、「実態真実」を人が「認識する時」に生じる「時間のずれとゆがみ」にあり、その反射として、「真実のシンプルさを求めて」「真実は一つ」というのであろう。
しかし、それは「ロマンティストの文学的表現」としては済まされても、「真相解明」にはむしろ弊害を生じるところとなっている。
たとえば、「虚構の中に在る真実を見抜けない」ということ。「認識すること」自体が【 「実体」を「サンプリング」して扱える大きさに調整し、様々な方法で分析して「データ」を集め、実体の真実をデータで再構成するのである。】それが「仮想真実」である。
「虚構」というのは、「真実のデータ」や「虚偽のデータ」を「綯い交ぜた構成態」で、これが「仮想真実」の「構造」なのである。
そこで、「実態真実」とは何か、「人が通常言う真実とは何か」を「的確に定義づける」必要がある。
「実態真実」 ( Substantial truth )とは、
『実態』-実際のありさま。実情。
『実体』-㈰正体。本体。主体。実質。内容。㈪〔哲〕(Substanzドイツ)根底にあるもの。恒常不変の本質的存在。種々の属性と変化とを自己に具有しつつ、それ自身は常住で不変な実在。世界乃至事物に実体は何かという問題は、古来哲学の重要問題とされ、殊に、ギリシャ哲学・スコラ哲学・デカルト及びスピノザにおいて中心的役割を演じた。
と 広辞苑(一版 岩波書店)に記されている。また、英語では
[Substance]-㈰〔哲〕実態《現象の基礎たる絶対的存在》「精神と物質との独立した実在性が撤去されて、両者は唯一無限の實體の属性とされている。㈪実質・事物の本質、実質。㈫物質・有形物を構成する実質。
と IWANAMI’S SIMPLIFIED ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY(新増訂版岩波書店)に記されている。
これらから、「実態」は客観的に側面から眺めているイメージがあり、「実体」は主体的実質をイメージさせる。日本語では「実体真実」とする方が正確ではないかと思われるが、英語の翻訳では「同義語」として扱われている。従って、できれば「実体真実」に書き換えたいところであるが、これの反語としては「空虚真実」となることを考えれば、「実態真実」を用いるほうがよいようである。
「仮想真実」 ( Virtual truth )とは、
「仮想」-仮に考えること。仮説。
「仮相」-実在でない物象。実在に遠い現象。
と 前記「広辞苑」に記されている。また、英語では
[Virtual]【形】《virtueから》、〔稀〕具有性によって効果を現す;本質又は効果から見てそう呼び得る。事実上の。
と IWANANI’S SIMPLIFIED ENGLISH-JAPANESE DICTIONARYに記されている。
ここでも、客観的に側面から眺めている「仮想」と、主体的な実質を対象にしている「仮相」とがあり、日本語としては「仮相真実」の方がいいのではと思う。しかし、「仮想真実」を用いることとする。
「真  実」 ( Truth )
念のために、「真実」についてどのように書かれているかを見ておきたい。
「真実」㈰いつわりでないこと。ほんとう。まこと。㈪〔仏〕かりでないこと。絶対の真理。真如。   と 前記「広辞苑」に記されている。また、英語では、
[Truth]  【名】㈰誠。誠実;忠誠。㈪真。真実;真正;標準;正確;正真正銘;実際:事実;真理;真相。
 と 前記DICTIONARYに記されている。
「虚  偽」( Untruth )
「虚偽」-㈰真実でないこと。うそ。いつわり。そらごと。㈪誤った知識、特に誤った思考。誤謬、論過。㈫現実でないことを現実のように見せかけること。
と 前記「広辞苑」に記されている。また、英語では、
[Untruth] 【名】不誠実;虚偽。
 と 前記DICTIONARYに記されている。

 特殊相対場論 12章  

1、 「くうかんに ひろがるしつの れんぞくか」
  すべては、「相対的」であり、「絶対的」なものは存在しない。例えば、光の
  速度は秒速30万キロメートル(299,792,458メートル毎秒)
  と言われる「相対的速度」であり、決して「絶対的速度」ではない。
光速よりももっと速い強力な磁力場には光も吸い寄せられてしまうことはよ く知られている。ブラックホールがそれである。
ところが、我々人類にとっては「光速度」が想像を絶する速さであるために
「一定不変」という烙印を押してしまい、終には「絶対的速度」として計算した結果「空間にゆがみが生じる」などと誤解をしてしまっている。
誤解というものは、何かを絶対化せずには成立しない。何かを絶対化した途端に誤謬に陥ることを免れることができないので、その結果「誤解」がはじまるのである。観念の世界ではこの問題を簡単に乗り越えてしまうことができるので、よくよく注意してかからなければならない。「実態真実」に働きかけ、それを模写して得たデータで再構成したものを「仮想真実」という。「実態真実」の定義は「空間に広がる質量の連続」ということにしている。単純にして明快に実態真実をいい得ていると思う。ここには、「空間」と「質量」と「時間」の関係を「広がり」と「連続」という言葉で言い尽くし得ていると思う。

2、 「ちさくても おおきくっても あるにあり」
  「素粒子の特殊性」「原子の特殊性」「分子の特殊性」そして、「物質個々の特   
  殊性」「一定集団の特殊性」「民族の特殊性」「人類の特殊性」「地球の特殊性
  」「惑星・恒星の特殊性」「太陽系の特殊性」「銀河系の特殊性」「超銀河系
  の特殊性」がある。「一般性」とは、あらゆる「特殊性」の総合で、その代名        
詞であると思えばよい。したがって、様々の「特殊性」を「ある特殊性」で代表させる時、多くの「捨象した特殊性」の存在があること、それと共に、代表にたてた「ある特殊性」それ自体も、一つの特殊性にすぎないのであることを忘れてはならない。
たとえば、地球は一日ほぼ24時間で一回転しているのであるが、赤道上では半径が6378,140kmであるから、その円周で計算すると、2πrで、40054,72kmですから、現在の地球の表面の回転速度は、時速1669キロメートルの速さである。また、一日24時間で一回転する仮想の球体表面が光速で回転すると考えると、表面までの半径をもとめると、光の速さは30万キロメートル毎秒ですから、時速では10億8000万キロメートルとなり、その速さで回転する場合の半径は1億7197万kmとなる。
太陽の赤道半径が696000kmですから、太陽の半径の247倍になります。これだと、光は、地表にへばりついてしまいますね。つまり、光を閉じ込めてしまう回転体です。


3、 「われおもう ゆえにわれあり そこにあり」
  存在の事物であれ、その反映としての認識であれ、全て特殊で相対的なので
  ある。
  
4、 「あることが いきることかな みなおなじ」
  「存在」とは、「運動そのものの総合的表現」である。つまり、それぞれが「在 
  る」、そのそれぞれの特殊の総合としての一般表現である。

5、 「いきるとは けんかをしても ともにあり」
  全ての「運動」は、「さまざまな対立物の対立の統一」を一括りに表現して
  おり、「対立の統一」という「基本原理」の一般表現といえる。
  
6、 「けがぬけて いつのまにやら はげになり」
  「対立の統一」は、「量から質、質から量への転換」という「基本法則」を
  有している。
  
7、 「たちかわり さんとあるかり ちゅうわかな」
    「たちかわり さんとあるかり えんづくり」
  「量質の転換」という「基本法則」は、「否定の否定」と「相互浸透」という 
  二大形態を表現している。
「否定の否定」は、「場そのものの質的変化」の「転換形態」を表現し、
「相互浸透」は、「場内部の量的変化」の「転換形態」を表現している。

9、  「ひろげれば ひろがるだけの そらがある」
  「場」とは、それを「構成する対立物」によって規定される、「特殊」で、「相
  対性」の「領域」あるいは「系」または「範囲」である。
  従って、「取り扱う対立物」によって「取り扱う場」が規定されるし、
  逆に「取り扱う場」によって「取り扱う対立物」も又、規定される。
  更に、「取り扱う対立物が大きくなればなるほど、それを取り扱う場は相
  対的に小さくなる。」し、「取り扱う対立物が小さくなればなるほど、それ
  を取り扱う場は相対的に大きくなる。」つまり「超銀河系を対立物として扱う
  場は、それにも関わらず相対的に小さくなる」し、「核融合の反応は、その取
  扱う対立物の小ささに応じて、取り扱う場の大型化が避けられない。」
  その「場」を、「特殊相対場」といっている。

10、 「それぞれの なかにひろがる しょううちゅう」
   これらを次のような「構造式」に表現できる。

        対立物 → 対立の統一 → 統一物
      ——————————————————————
            特 殊 相 対 場        

11、 「けがぬけて ひかりかがやく はげとなり」
  「存在」すなわち「運動」に矛盾はない。
  「矛盾」は、「概念上の何かを絶対化した場合に生じる概念上の産物」である。
  「実体上の全ての存在は、相対的であり、絶対的なものは何一つとしてな
  い。

12、 「でかるとも あのげーでるも みえていた」
   そして、全ての「運動」は、「対立物の対立の統一」という「基本原理」
  で動いており、それは「楕円運動」が基軸をなしている。     
  対立物が対立の統一という運動をして統一物を形成するというのが基本で、
  その運動の軌跡が「対立物・統一物・特殊相対場のそれぞれの条件によって
  様々に、平面的には楕円周を描くし、立体的には多くの回転面が絡み合い、
  様々の形の楕円複合体をなしているのである。
  「楕円運動」は、全ての「存在」の「基本原理」なのだ。だから、デカルト
  が「渦動理論」をいったのも、また、ゲーデルが「一つの石」に遠慮がちに
  「時間は空間と同じ様に振る舞う」といったのも、「特殊相対場論」ではそれ
  ほど難しく考える必要はなく、容易に理解できるはずのものである。
  「渦動理論」の原理は「楕円運動」なのであり「時間は空間と同じように振
  る舞う」というのも「空間(の三次元)に広がり連続する」ということなの
  である。
  つまり、三次元と別個に「時間」という「次元」がある訳ではないのである。
  「時間」は、「連続」を測る一つの単位総称なのである。
  「たて・よこ・たかさ」の三次元のそれぞれの距離をはかる単位の総称が「な
  がさ」であるのと同じである。「ながさ」は、次元ではなく、「連続」を測る
  一つの単位総称なのである。
by kanakin_kimi | 2010-08-15 22:57 | 特殊相対場論 | Comments(0)