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アインシュタインシンドローム 14

どなただったか、名前を忘れてしまいましたが、ごめんなさい。
五分だったか十分だったか広い景色を見ていて、キヤンパスに細部にわたって描いていく能力をもっている人の事がテレビで流されていた。

江戸一目屏風絵図 を描いた鍬形慧斎もまたそれに似た才能の持ち主だったのかもしれない。

東洲斎写楽のあの一瞬を切り取った表情を描く能力もまたそれに似た才能の持ち主だったのかもしれない。

職人の仕事の瞬間を描く能力もまたそれに似た才能の持ち主だったのかもしれない。それが近世職人尽絵詞の流れる様な絵となっているのだろう。
わたしには、この作品を見てズーッとー 唸りっぱなしで、これはもうレオナルドダビンチを超えるものだと思うものなのだ。
by kanakin_kimi | 2010-09-27 22:31 | シンドローム | Comments(0)

アインシュタインシンドローム 14

社会主義を経験した国も資本主義を経験した国も、国家という枠組みを克服している経験をした国も笹川さんじゃないけれど「世界は一家、人類はみな兄弟」が現実のものになって来た時代に来ている事をまだ認識していない人達が半分の権力を握っています。

いや、あるいは認識しているからこそ逆行させようとしているのかもしれません。

それらの人々は、自分の考え方が「支配の論理」である事に気づいているでしょうか。

一部の特権階級のもの達が見せている「行動であり、パホーマンスであり、プロットである」とわたしは考えています。

もう、いまの時代にいたっては一党独裁の支配の論理も、国家独占金融資本の支配の論理も、一般市民にとっては何ら変わるところはないのです。
そのことにはやくきがつき、一般市民みんなが賢くなるシステムを作っていかなければ、権力の亡者として断罪される事になるだろう。
by kanakin_kimi | 2010-09-27 08:34 | シンドローム | Comments(0)

アインシュタインシンドローム 13

この中国問題は、アメリカと中国の間で「新たな冷戦構造」を作ろうとしている「プロット」ではないだろうか。もちろん、これは両国軍部と軍需産業との連携なしにはできないものなのではないだろうか。
そう考えれば、わたしは合点が行くのである。

ですから、わたしは是非冷静な対応こそが大切だと考えるのです。
刮目 刮目 ーーー さらに、刮目。

そして、彼等のプロットを、けっして成功させないように世界の人々が協力することだ。
by kanakin_kimi | 2010-09-25 20:08 | シンドローム | Comments(0)

アインシュタインシンドローム 12

今回の中国問題、いろいろな問題が見えた。
簡単にいえば、平和を考えるものと国家の権威を考えるものにわけられることだ。
それは、中国にも日本にもそれぞれある問題で、それぞれに考えさせられる面白い状況が見えた。
これをどう生かしていくかは、それぞれの国民の「認識の程度」を表現することになる。
もちろん、この問題が偶然に起きたとは思わない。様々な要因が考えられる。
しかし、それらの一つ一つをあげつらっても「平和的な解決」を見出すことはできないだろう。
権威主義を廃した対応こそ平和への大きな前進と考えるべきだろう。
そういう意味では、政府の対応はまさに的をいたものというべきだ。
by kanakin_kimi | 2010-09-24 22:55 | シンドローム | Comments(0)

アインシュタインシンドローム 10

「軟着陸策」を取る以外には「世界的な、平和的、次代への移行」を成し遂げることはできないからです。
1975年に「世界史は社会主義の時代に入った」。社会主義といっても、国家的に社会保障を完備しようとという方向が象徴的に現れたのです。
それから35年経過しました。
この間に、いろいろなことが起きました。
1961年に始まったベルリンの壁が、1989年11月に崩壊し、12月にゴルバチョフとブッシュの間で「冷戦終結」が確認されました。
そして、ソ連は「解体再編を果たし」、世界に展開していた軍事基地を撤退・撤収して経済改革に専念して来た。
それに対して、アメリカは「ソ連」以上の困難な問題をかかえています。改革をするために必要なことはまず重荷になっている問題から身軽にならなければならない。そして、その重荷こそ、「軍隊と世界に展開している軍事基地の撤退・撤収」であるのです。
確実に赤字を積み上げている部分を削減するのは当然のことである。しかし、それに伴う問題をどう解決するかという問題がある。
一つは、失業者の増大であり、軍需産業関係の問題であり、国際的なパワーバランスである。
これらの問題を一挙に解決する方法が有ります。
それが、世界の軍隊をを無くしてしまうことなのです。それを、率先してアメリカが「戦争放棄」をす
るのです。これを国連に提起して、アメリカの世界に展開している軍隊を「災害救援隊」にするので
す。そして、国内にある軍事基地はすべて災害救援機器産業として再編成するのです。
by kanakin_kimi | 2010-09-22 14:05 | シンドローム | Comments(0)

「二人の剽窃」と「栄之と歌麿・北斎の鎮魂」

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「葛飾北斎」と云ってもこの時は「勝川春朗」であるが、その春朗が「勝川派」を破門されるという事件がある。

その原因についていろいろ云われているが、最大の問題は「勝川派」の画風に見切りを付けたのか、他流派の画風を学んでいる事をとがめられていた事が云われている。
寛政五年末に勝川派を破門され、俵屋宗里の名で出すのが寛政七年と云われている。ちょうどこの間に「東州斎写楽」が出現しているのである。この事が、北斎と写楽が同一人物ではないかとの混乱を与えている。
しかし、わたしの中では北斎が写楽ではない事がはっきりとした今、春朗が勝川派をやめることになる原因は別にあると確信している。

それが東洲斎写楽の絵の出現と関係しているのではないかと思う。

勝川派の画風を踏襲している春朗もまた役者絵を描いていた。
寛政五年の中頃以降寛政六年の四月末までの間に北尾政美の描いた役者絵を見たのであろう。
春朗はその出来映えに驚愕して、ショックを受け、以来役者絵から撤退することになったのではないかと考えている。
そして、それ以来結果的に、北斎の作品のオリジナリティの前に常に政美がおり慧斎がいたことになったのであろう。
また、もう一人の剽窃の人は喜多川歌麿である。
それは、蔦屋重三郎に見出され、重三郎とともに蔦屋を発展させてきたという自負をもっている歌麿が蔦屋をやめることになった事件である。
「松葉楼装ひ 実を通す風情」の大判錦絵黒雲母刷りの豪華版がこの事件の発生を証明していると思うのである。
この作品についての謎を追求していく事でそれが明らかになるのではないかと考えている。
 今の段階で云える事は、これほどすばらしい作品であるのに、歌麿の代表的作品の中に何故これが含まれていないのかという事である。わたしが見る限り、歌麿の作品の中でも群を抜く程の出来映えだと思うのである。
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これはどういう事か、歌麿筆 となっている作品「松葉楼装ひ 実を通す風情」はわたしの見立てでは、これが「歌麿」の作品であれば、間違いなく『歌麿』の最高傑作と言っても過言ではない。
ところが専門家の評価は必ずしも同じではない。
もしも「最高傑作」との評価がされているならば「浮世絵大系 6 歌麿/栄之」(監修菊地貞夫、昭和50年11月30日集英社刊)「名宝日本の美術22  歌麿」(執筆狩野博幸、監修太田博太郎・山根有三・米沢嘉圃、昭和56年3月20日小学館第一刷)には掲載されていないはずがない。また、「太陽浮世絵シリーズ 歌麿」(監修渋井清一九七五年一月二十五日初版第一刷平凡社発行)にも掲載されていない。そしてまた、「浮世絵名品撰 歌麿」(福田和彦編著 KK ベストセラーズ発行)にも掲載されていなかった。さらに、「原色日本の美術17 浮世絵」(菊地貞夫 編著小学館発行)にも、歌麿の作品が掲載されているのにこの作品は取り上げられていない。
結局「写楽・歌麿・北斎・広重 四大浮世絵師展 中右コレクション」(監修中右瑛 神戸新聞社発行)に始めてみることができた。実のところは、この本からの逆行的構成を試みたのであるが。
「歌麿の代表作」なのであれば、これが採用されない筈がない。

ところが、これを「歌麿の代表作」として採用されないばかりか、この作品そのものをも採用されていない。
これは一体どういう事なのであろうか。どうやら、「作品そのものの評価以外の問題が内在している」と言う事を示しているようである。
それは何かというと、「歌麿の作品ではないのではないか」と言う疑いをもっていたからではないだろうか。たしかに、「歌麿筆」のサインは書かれている。そうであるからが故に発生した問題が由来しているように思えてならない。わたしの推理では次のように考えている。
その問題と言うのは、浮世絵の美人画の大家であると評されていた「鳥文斎栄之」と「喜多川歌麿」の間に生じた問題で、一説では「歌麿が栄之の作品を揶揄し中傷した」という事を発端にして、栄之の弟子である『鳥橋斎栄里』が自分の作品を歌麿の作品の中に紛れ込ませていた。歌麿がそれと知らずに「歌麿筆」のサインをしてしまって、後になってそれと気づいた時のショックが『蔦屋』にいられなくなってしまった原因になったのではないだろうか。
その『因縁』の絵が、「松葉楼装ひ 実を通す風情」だったのではないかと思うのである。そして、それを描いた「鳥橋斎栄里」は鍬形慧斎であり北尾正美であるとわたしは考えている。
by kanakin_kimi | 2010-09-20 18:44 | 鍬形恵斎鎮魂 | Comments(1)

アインシュタインシンドローム 11

静岡県のシラス漁や桜えび漁は、昭和45(1970)年から、お互いの漁獲量をプールしあうことで、魚場の保護と相互扶助を制度として確立しました。今年の猛暑で漁獲量が激減しましたが、その制度で生活をしのいでいると聞いています。
日本全体でもこの考えで相互にしのいで行くことを考えるべきだと思うのです。
一ドル七十円台になる時代はすぐ目の前です。円高になるといつも云われることに、輸出産業と輸入産業との間のギャップが取りざたされます。これを聞く度に「いつになったらプールしあうことを考える」のだろうと思うのです。
このことは、日本だけでなく世界のあらゆる問題にもあてはまるのです。
儲けることと貧することとは、プールでしのげないものなのだろうか。
災害にあう人々と、戦争を起こしている人々とは、プールでしのげないものなのであろうか。
それらに、いま一挙に解決させる必要性が生まれている。
それどころか,一挙に解決しなければならない状況に世界がみまわれている。
それが、世界の軍隊を「災害救助隊」に改編して,地球的規模の災害に対峙できるようにすることによってしか解決できないということなのです。
by kanakin_kimi | 2010-09-17 20:32 | シンドローム | Comments(0)

アインシュタインシンドローム 10

「軟着陸策」を取る以外には「世界的な、平和的、次代への移行」を成し遂げることはできないからです。
1975年に「世界史は社会主義の時代に入った」。社会主義といっても、国家的に社会保障を完備しようとという方向が象徴的に現れたのです。
それから35年経過しました。
この間に、いろいろなことが起きました。
1961年に始まったベルリンの壁が、1989年11月に崩壊し、12月にゴルバチョフとブッシュの間で「冷戦終結」が確認されました。
そして、ソ連は「解体再編を果たし」、世界に展開していた軍事基地を撤退・撤収して経済改革に専念して来た。
それに対して、アメリカは「ソ連」以上の困難な問題をかかえています。改革をするために必要なことはまず重荷になっている問題から身軽にならなければならない。そして、その重荷こそ、「軍隊と世界に展開している軍事基地の撤退・撤収」であるのです。
確実に赤字を積み上げている部分をどのように改革するか、単に縮小すれば済むという問題ではない。
まさに多様な問題を一挙に解決する知恵を出さなければなりません。

多様な問題というのは、「徹底した自由」「資本が支配」「貧富の差」「支配とたかり」「媚と布施」
「徹底した自由を許す絶対神の宗教」「支配のための演出技術」これだけではないけれど、これらを象徴的に表現している「アメリカンドリーム」という言葉が示している。
「騙したり騙されたりするのが常識と思い込んでいる」ことの「呪縛」からまず解放しなければなりません。しかし、誰もが心を一つにして立ち向かう「自然災害から身を守る」ということは「キーポイント」になります。ですから、「世界に展開している軍隊」を「災害救援隊」に衣替えすればいいのです。
そのためには、対立関係を解消して安心して「災害救援隊」に衣替えできるようにしなければなりません。それが、「戦争放棄」を世界憲法にすることなのです。
そういう意味では、この問題は「世界平和への大きな布石」になることは確実です。
by kanakin_kimi | 2010-09-16 07:02 | シンドローム | Comments(0)

アインシュタインシンドローム 9

「真実」は一つではありません。
しかし、「真実は一つ」と言いたい人がたくさんいます。「ロマンティシズム」がそこに介在しています。「ロマンティシズム」は「自己愛(ナルシズム)」の上に成立しています。
ですから、問題が複雑になると「逃避」する傾向が強いのです。
知識を積み上げ、認識を高めていく努力無しには「真実」にたどり着くことができません。
あきらめた時に「ロマンティシズムへの逃避行」が始まります。
そして、「アインシュタインシンドローム」への追随が始まります。
今、また「ダークマター」を使った「アインシュタインシンドロームの再編成」を「プロパガンダしている傾向」が見られます。
しかし、それは真摯に研究される人々によって「克服」されていくでしょう。
「アインシュタインシンドロームの再編成」という「混沌の再生産」をプロジェクトしている人々は誰か、刮目しておく事です。
自分の身の回りを見渡すだけでも類推できる事実はたくさんあります。
それは、人間の目で見えるものを「基本」に「基準」をつくっています。したがって、それは「光学的視力」です。人の目の視力には見えなくても「光学機器」の力を借りて「大きくしたり、小さくした
り」して人の目に見えるようにしています。また、光学機器では把捉できないものは電磁気機器を加えた方法で人の目に見えるものにしています。
目に見えないものは「存在しないもの」と断定せずに目に見えないという欠陥の可能性を考慮して追究して行くことが新たな発見をしています。
無限の宇宙全体が質量で満たされているわけではない。空間の中で質量相互間に及ぼしあっているエネルギーがあるのでしょう。そのエネルギーのありようのことが「ダークマター」といわれているのであろう。
それは、例えば「地球」が「太陽」の周りを24時間で回っていますが、その周回軌道は「円」ではありません。二ツ以上の「焦点」をもっている「楕円軌道」です。第一の「焦点」は「太陽」であることは誰もが認めるところでしょう。
では、もう一つ以上の第二・第三の焦点は何処にあるのでしょうか。
わたしは、太陽系内の力のバランスだけでなく銀河系・その他の銀河・超銀河系をも含む力のバランスの上に成り立っているものと思っています。
したがって、エネルギーのもたらす「力」の相互作用や結節点は「オーラライン」や「オーラポイント」であり、それらが「見えないエネルギー帯」を形成しているのではないかとおもっています。
by kanakin_kimi | 2010-09-14 14:52 | シンドローム | Comments(0)

アインシュタインシンドローム 8

わたしのライフワークである、「特殊相対場論」では、「物事を絶対化すると矛盾が発生して、つじつまが合わなくなる」と考えています。
従って、「絶対的な神」は存在しないし、「絶対的な真」もまた存在しないと考えるのです。ですから、「絶対神を信仰している宗教は基本的に矛盾を内包している」と考えています。
そう考えてみると、改めて発見する事がある。
「絶対神を信仰している国家」はどういうわけか、その国の多くは「土地が砂漠化している」のです。
これはどうしてだろうかと考えてみますと、「絶対化」というのは「人工」つまり「人がつくっているもの」だからではないかという結論にいたったのです。
「人工神」を信仰しているから、「ご都合主義」(オポチュミズム)に落ち入ります。そして、それぞれ勝手に自分のやりたい事をやってそれを正当化するという落とし穴にはまり、どこまでいっても収まりがつきません。
すなわち、「絶対神信仰」は「自己愛」なのです。
それに対して、「多神教」である「精霊信仰」「八百万の神々を祭る」ひとたちは、他の存在を認めあう「他己愛」ですから、ありのままを受けとめる考えが基本なのです。
人類の歴史では、「多神教」の文化が発展すると「優しい社会」ですから「絶対神教」の文化「武装社会」の侵略を受けてきました。しかし、結局「平和な世界」をつくるのは、これらの歴史から学んで、みんなが賢くなる事によってしかつくれないようです。
by kanakin_kimi | 2010-09-11 11:16 | シンドローム | Comments(0)