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日本災害救助隊 4

日本災害救助隊の基本戦略は自分を知り相手を知れば百戦危うからずである。自分を知る事は、全ての自分と住んでいる環境ー住居であり、居住地域の地政学的情報の全てである。相手を知る事とは、全ての自然現象であり、社会的現象の情報である。そして、それらの情報の質は真実を極めなければならない。一つに決められない場合もあろう、両論併記でいいのだ。無理やり一つに絞り込む時真実から遠ざかる。復興の仕方も同じことである。高台への避難で助かった人々がいた。ところが、ほとぼりが覚めると危険地帯への進出が始まる。震災や津波被害の経験のないもの数が増えていくにしたがって、忘れ去られる。そして、欲に駆られて、危険地帯に定住が行われた。その確かな反省なしに復興する事の愚かさをまた重ねるのか。誠実に、堅実に高台への守りの大切さを教えてきた先輩たちの行動を、無視しせせら笑ってきたもの達の謙虚な反省が見られない。謙虚な反省があれば、その事実がもっと明らかにさせるはずだからである。9・11事件も同じである。真実をねじ曲げ、謙虚な反省をまだしない。
by kanakin_kimi | 2011-09-14 11:43 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

ロマンティックシンドローム 6

10年経った。多くの人々が、もはや真相を知っており、変革に対して平和的な進め方を希望している。だから冷静にし、我慢しているのに、なんという傲慢な人々であろうか。真実を明らかにする事こそが前進への区切りとなり、活力となるのだ。それなのに、見えすいたごまかしを強引に公のものにして固定しようとしている。月に足跡があったとか、オサマビンラディンを殺したとか、そんなことでグランドゼロの真実を隠せると思っているのだろうか。グランドゼロに残した真実は、中国新幹線の事故処理と同じで、最初から真実を隠蔽する工作をしているのだ。その反省もなく、白々しくも「テロリスト」をでっち上げ「戦争政策」を推し進めたのだ。あとに残ったものは何か、真相を見極められない人々には「釈然としない思い」を残し、そして、多くの人々には「アメリカの自浄能力のなさ」を痛感させている。これが「謀略のロマンティックシンドローム」なのだ。
by kanakin_kimi | 2011-09-12 09:29 | シンドローム | Comments(0)

日本災害救助隊 3

災害対策を被災後の救援や支援のレベルでとどめる事はできない。だが、それだけでも精一杯なのだ。
その上に何ができるか、と考えた時「戦略的災害対策」というのは、徹底した「様々な想定を事前に準備する」ということなのだと思う。「想定外」という問題は発生させないという準備なのだ。
後手に回るから、被災後の対処という「それだけでもう精一杯」という事になるわけですから、後手にならないという事が、早め早めの対処によって可能になるのだ。
そしてそれは、地球的規模での気象変動に対応するためには海岸線からの撤退をしていかなければ必ず災害が発生するわけですから、事前に撤退していくという戦略的災害対策をしなければなりません。さらに、それでも地震災害が家屋の倒壊を招く事のない対災害建築技術も併せて実施していく事です。
by kanakin_kimi | 2011-09-07 22:47 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

日本災害救助隊 2

災害を自然災害と社会災害に便宜的に分けると、地震・台風・津波などの自然現象による災害と火災・強盗・殺人などの社会的現象による災害があります。従来、犯罪と呼ばれていたものも社会的災害として対策をしていく考え方に立っています。日本災害救助隊に警察機能・消防機能などを統合する意味は、この考えに立っているからです。どんな問題でも、人間の社会で起きている現象は個人にのみ因果関係を閉じ込める事はできない。法治主義の法概念が犯罪という名で因果関係を個人に閉じ込めたのです。個人に閉じ込めている限り解決する事はできません。法治主義は、犯罪発生の因果関係を個人に閉じ込めて罰することで完結してしまいます。ですから、犯罪発生の因果関係の真相を最初から追求しようとはしていないのです。その法体系の矛盾があちこちで吹き出しているのです。その矛盾を隠そうとして糊塗するために別の法律を作り、混乱させているのです。法治主義は支配の仕組みを維持し、支配層の資産を守ろうとする意図から主張されているのです。偉そうに言っても、多寡がしれています。誰も、世の中の全てを知る事はできません。多くの人の知恵を集める事ができるから、多くの人の知恵を継承できるから、すごいものができていくのです。多くの人の知恵を集め継承している事を、捨象することで自分のものにする事ができているが、それは自分だけの力でできたものではない「捨象している事」を忘れてはならない。日本人の習慣の知恵は、その「多くの先達の知恵を継承していることを、捨象している事を、知っている事」を「謙虚」の中に包み込んでいる習慣なのだ。
by kanakin_kimi | 2011-09-06 21:18 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

日本災害救助隊 1

地球的規模で自然災害が大型化しています。その原因は、銀河系の規模・太陽系の規模・地球的規模・そして、人類の人為的規模によるものがあります。地球上の各地域で生活しているものが、その地域に限定した防災対策ではほとんど対処療法的であるように思います。しかし、地球的規模での災害対策を行う機関も組織もまだありません。したがって、地球的規模での災害が発生してもそれぞれの地域で被災した状況に対する対処療法的災害対策でしかありません。もはや、そのような災害対策では対応できないことはあきらかです。現状で、世界への提案を出来る国は日本であろうと思います。その日本が、率先してその実績を示す必要があります。それは、日本国憲法が示すように「戦争放棄」にみあった「実態」を世界に示す事です。それが、一つは「自衛隊」を「災害救助隊」に改変する事です。
東北大地震に対しても、はじめから「戦略的災害対策」がありません。災害が発生してから対処療法的に救助活動を行うという図式しかありません。「戦略的災害対策」を策定出来る機能を持っているのはおそらく自衛隊の機能であろうと思います。ただ、その機能を持っていても、戦争対策に視点があるだけではその機能を生かす事ができません。発想の一大転換をしなければなりません。その為に、「日本災害救助隊」に改変する事が必要となるのです。そして、そこに警察機能・消防機能を統合して全ての災害に対処する戦略的発想をもち、戦略的機能を持たせることです。
台風12号による大雨のような水害が今後も増えてくるのではないかと考えられます。そういう意味でも早急の検討を期待している。
by kanakin_kimi | 2011-09-06 19:42 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

患者学 ー 6

間接民主主義から直接民主主義へと転換している時代に私たちは生きている。先輩達の悪戦苦闘のお陰で、その時代がある。その歴史的産物の上に生きている私たちが何をしなければいけないかという事は、すでに明示されてもいるのだ。それは「みんなが賢くなるようにする」そのことなのである。それは、もちろん自分を賢くなるようにする事なのだ。郵政民営化という問題がある。昔は、税金でつくった事業を大金持がそれを横取りする時に、議員や国会を利用して民営化法案を決めさせて自分の資産に繰り入れさせてきたという歴史がある。一方で、国家の資産に温存させて置いて、官僚や族議員の喰い物にさせてきた歴史もあった。みんなが「無知」だったから、それを利用して、無知につけこんでおこなわれてきたのだ。みんなが賢くなれば、そんな事すぐにバレバレになり、直ちに追求される事になるから、できなくなってきたのだ。みんなが賢くなれば、民営化しても、それは相互扶助的な民営化であるから、地域格差がないようにするということが分からないはずはないではないか。そして、その費用を日本全体がプールし合った民営化でなければ意味がないではないか。その証拠に、困った人がいればボランティアがすぐに助けてくれる社会になってきたのだ。相互扶助的な民営化をすればいいのだ。金融資本が崩壊した今日、金融機関のあり方も改革される。相互扶助的な金融機関がそれだ。もう、無知につけ込ませない。それが出来る日本になれば、相互扶助の世界への指導的役割が果たせる日本になるだろう。もちろん、先輩達がこつこつといろんな分野で積み重ねてこられた実績が今日の日本を形作って
いるし、また世界に広げてこられてきた事を忘れてはならない。
患者学も同じ歴史があるだろう。指導的役割を果たしてきた医者たち。政治権力と癒着した医者たち。地域医療を目指した医者たち。離島の医療に貢献しようとしてきた医者たち。そして、国境なき医師団を目指した医者たち。医療技術の向上を目指した医者たち。患者の認識向上を目指した医者たち。それぞれの歴史が今日の下地にある。それはこれからも変形しながらも推移していくだろう。社会的な支配構造の歴史の流れの中で医療分野でも同じ構造を持っていた。政党政治が崩壊するという今日の状況が
政党の指導的役割を果たしてきた事の終わりを示している。この事が、医者達の指導的役割にどのような変化をもたらすかは明らかである。政党政治と関係してきた分野は終焉する。純粋に医療分野といえるところでの指導的役割はさらに増加するだろう。しかし、それは支配構造を持つものでは決してない。専門分野のそれぞれが持つ技術的社会的指導的役割なのである。患者が無知であった時代から、少しずつ賢くなり自立出来るようになってきた。そして、さらに賢くなっていく時代の患者自身の役割が負荷される事になってきたのだ。それは、みんなが賢くなるシステムの一つとして同時進行しているのだ。その規模は最も大きなものになる。
by kanakin_kimi | 2011-09-05 11:29 | 患者学 | Comments(1)

患者学 ー 5

時間を表示する為に「時刻」じこくという概念を使って時を刻んでいる。そして、それは同時に実態真実の連続の経緯を表示している。時間は時刻と時刻の間を表示するとともに、連続を表現している。時間は実態真実の流れとか、経緯、つながり、継続する様を表現したり仮想真実上の概念として書き留め、認識として再構成している。患者総体は連続しているが、個々の患者は自分の命が個立し血のつながりを生命のつながりという連続性を認識していない。無機物の連続性は認識しても、有機物の連続性は認識することができないようだ。それは、個体は誕生から死亡までを個体の一生と定義して、始まりから終わりで完結するという認識を持っているからである。そして、この狭間で宗教が発生している。しかし、個体自身の中で日常的に同じようなことが発生していることには無頓着なようだ。つまり、例えば皮膚の細胞は生まれては死に産まれては死んでいるのである。これを新陳代謝といって平気でいるのに、同じ原理で子供を産み死んでいく新陳代謝には特別の思いを重ねてきた。患者学は、これを同じ土俵に引きずり出して、新陳代謝を停滞させるのでなく、新陳代謝に必要な栄養であり、運動などをつみあげて、新陳代謝と一体にある自己治癒能力を活性化させ、医学的治療をより効果的に取り込んでいくというものである。
by kanakin_kimi | 2011-09-02 05:55 | 患者学 | Comments(0)