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戦略的災害対策 8

 我々が準備しておかなければならない事は、世界のみんなが賢くなるすべての事業であり、システムをできる限り速やかに進める事である。賢くなる事と学歴はまったく関係がない。学歴で評価するすべての基準を否定すれば大切な基準が現れてくるだろう。知識の量で人を評価してはならない。知識が多くても認識が高いとは限らないからである。
評価能力は知識の多さではなく認識の高さによって規定されている。高野の聖と市井の妙好人をみればいい。平仮名しか書けないお百姓さんの獲得している認識の高さや総合力がそれを証明している。
 いずれにしろ、「賢い」という意味は「権力」や「謀略」とは無縁である。「みんなに明らかにするためにいっさいの障害と闘う事であり、みんなが賢くなるために働く事である。」
 サリン事件の真実を、9・11の真実を隠そうとしているのは誰か、そこに真実が見えている。
by kanakin_kimi | 2011-11-20 15:54 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

戦略的災害対策 7

 戦略的災害対策の目標をどこに置くべきか、今まで先輩たちが提起してくれている。その当時には、技術や情報・データなどの不足から提起する方もそれを受け取る方も控えめであったり、時にはオカルト的であったり、小説や漫画・映画などであったり、架空の想像・空想物語としてどこかリアルとかけ離れたものとしていたきらいがあった。しかし、科学技術情報が豊富になるに従って、事態の深刻さ・時間のなさに思いをいたすようになった。それは、たとえ10万年後に地球上の生物が壊滅的な災害が生じるとしても、千年後にはその前兆現象だけで、事実上の破壊現象に振り回される事になるのである。今日の災害発生状況を見ればその事態を想像する事は難しくなくなっている。そればかりか、地球が壊滅的になる事態からの「避難方法」や「避難場所」それを可能にする「避難技術などの手段」を実現する事は、このままでは心もとない事この上もないのである。もちろん、私自身が避難対象にあると思っている訳ではない。我々の子孫が生き延びるためのいわば「ノアの方舟」を今から準備しておかなければ間に合わない事態を予想させるのである。そして、それは孫たちの将来の自然環境を保護しておく次元と同じものである。そこで、戦略的災害対策の目標を「地球上のすべての人の生命に関わる問題である事、地球上に避難場所を求める事ができない事態が想定される事、従って、地球外避難場所への星間移動ができる技術と手段をできるだけ早く実現しなければならない事」なのである。前兆現象が多くなり、大きくなっていけばその対策の実現に必要な環境が失われていくのである。
 人類の間でつまらないけんかしている状況ではないのである。人類のできるだけ多くの知恵を結集していかなければならないのである。贅沢や華美と貧困の差別のためのつまらない競争をしている事態ではない、お互いの能力を高めあうための競争にしなければならないのである。つまらない政党政治の党派争いや宗教組織間のつまらない争いに血道を上げている場合ではないのである。
 みんなが賢くなり、持てる能力を高め合い、結集していく事の中にこそ「避難技術と手段の実現」が可能になり、そこに至る過程において現在の災害に対する災害対策の実現も万全になるのである。
by kanakin_kimi | 2011-11-20 00:15 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

戦略的災害対策 6

海岸線からの撤退と地震などの自然の猛威に強い建物やライフラインを一定の単位で独立させる事を実現しなければならない。そして、復活力・回復力があるシステムにしなければならない。そのためには、そこに居住する人たちの力で回復させ得るシステムにする事である。それには、居住空間が基本的に安全な地域にある事とともに、復活力・回復力が活性を維持し得るシステムである事である。つまりシステムがフレキシブルである事なのである。自然の猛威にある振動・暴風力・暴水力の三大要素を克服できるシステムにすることなのである。それらを兼ね備えた構造体にする事を考えると、クランプ方式のピラミッド構造体がいいのではないかと思うのである。何所帯を住める大きさにする事が一番いいのかは、上水道・下水道・自家発電・食料の自給・自家回復の修理機能と居住空間の相関関係で決まる。
by kanakin_kimi | 2011-11-19 21:03 | 戦略的災害対策 | Comments(2)

ヒロイスティックシンドローム 1

歴史を考えるときに、特定の人物を登場させ、グループを代表させる事によって捨象している事が多い。これは、人間の認識構造上の問題なのである。それは、「すべてをリアルタイムに連続する」実態真実を語る事ができないし、また認識できないという「認識の構造」とそれが規定している仮想真実の「真実の構造」によるものである。しかし、人々はそれを捨象しているという事を忘れているようだ。推理小説などでも、一定の空間を区切り、一定の時間を区切り、一定の人物を登場させてストーリーを展開させる「シナリオの法則」に支配されざるを得ないのである。歴史をかたり、説明する際にもやはり「シナリオの法則」に規定される。そこで、わかりやすく、おもしろく伝える手法が「特定の人物を登場させてグループを代表させる事によって捨象する」のである。すなわちヒーローの登場なのである。そこに、誤謬に陥りやすい落とし穴が生じている。それが、「ヒロイスティックシンドローム」である。
by kanakin_kimi | 2011-11-16 00:16 | シンドローム | Comments(11)

戦略的災害対策 5

金融資本主義のもとで、支配的な力を発揮していた人々は、社会の全般における仕組みのすべてに自分たちの都合のいいシステムを作り上げてきた。それが、社会全体の0、1パーセントにも満たない人々なのである。99、9パーセントの人々は、そのシステムに参加させられ、自分の首を自分で絞めてきたことにやっと気がつき、そのシステムの解体を求め始めた。大きな自然災害が発生するとき、激的に気づかせられる。だから、「TPP」を国家間の貿易関係という閉鎖的な狭い範囲で考えていては大きな間違いをおかすことになる。「TPP」は、国家という鎧を脱ぐことを覚悟しなければならないのだ。なぜなら、世界的規模での「相互扶助」の基本的理念がなければならないからである。金融資本が資産隠しのために企業買収や不動産買収に血道を上げたところで、みんなが賢くなる速度は速いのだからすぐに気がつき没収されることになるだろう。「軟着陸策」は、それぞれの国の金融資本はその国に依拠していることから逃走してはならない事、今まで取得してきた資産をその国に返す事にある。いつまで田舎芝居をさせているのか、JAも本来の姿を取り戻すべきときだろう。
by kanakin_kimi | 2011-11-13 00:02 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

戦略的災害対策  4

未だに逆襲を試みようとしている動きがあるようだ。新しい時代における投資とは、相互扶助の投資にあり、みんなが賢くなるためのすべての投資にある。今までの利潤追求の投資という次元で考えている人々は、結局その「逆襲に加担している」ということを知るべきだろう。金融資本主義が崩壊しているのに仮想経済の延長上で「利潤追求」に踊らされているのだ。自分の投資原資を守りたければ、実体経済の「相互扶助投資」に腰を入れて辛抱強く育てていかなければならないのだ。「相互扶助投資」というのは、社会の相互扶助システムを育てる投資なのである。自分たちの時代が終焉したのに、昔の夢を求めて「逆襲」を試みている金融資本は今までの理不尽な蓄積資産を社会のために吐き出すことこそが、「軟着陸策」であることを覚悟すべき時代なのだ。たとえば、経団連が「速やかにTPPの交渉の場につくべきだ」といい、他方JAなどが「TPPの交渉の場につくことは絶対反対だ」といっている。TPPは「関税障壁をなくそう」とするものである。わたしは、「地球は一家、人類は皆兄弟」というフレーズは大好きである。おそらく世界中の人々は同じ思いを示すだろうと思う。1ドル360円の時代から75円の時代にある。そして、おかしなことに106兆円の借金を抱えている日本が基軸通貨のドルを支えてドル買いをしている。あなたの生活を実体経済で考えれば、住むところがあり、着るものがあり、食べるものに心配がないようにすればいいのであって、それ以外に何を思い煩うことがあるのでしょうか。日本の経済が今や世界の経済と切り離せない関係を作ってきたのであり、「関税障壁をなくす」というシステムを求めているのは殆どの後発諸国であることに刮目するべきでしょう。
つまり、「通貨の価値の格差」「労働の価値の格差」がどのような仕組みでできているのかが世界的規模で明らかになる時代にあるのだ。そして、TPPは「その価値の平準化」を世界的規模で進めることになるだろう。それこそ「世界は一家、人類は皆兄弟」なのである。
by kanakin_kimi | 2011-11-08 00:27 | 戦略的災害対策 | Comments(0)

ノスタルジーシンドローム 1

あした という日はない。そして、昨日という日もない。あるのは、今日という日だけだ。
誰から聞いた言葉だったか、もう忘れてしまっていた。目の前の現実に歓喜して忘れたり、あるいは辟易して逃避したりする。そしてまた、共通した境遇の中に生まれた共同幻想は懐かしくほろ苦いけれども、それを俳句や短歌に歌い込まれるとこれが実におもしろい。それぞれが全く異なる環境にありながら、一つの俳句、一つの短歌を共有することで美味しい酒を飲むことができるというのだ。
例えば、「幾山河 越え去りゆかば 寂しさの はてな無くにぞ 今日も旅ゆく」とか「五月雨を 集めてはやし 最上川」など今日まで牧水会や芭蕉会が行われているようだ。
これなどは、ノスタルジーの共有の場と言って過言ではない。いや、むしろ積極的にこの共同幻想を利用しているといえる。その目的がどこにあろうと共同幻想の条件をみたしておれば誰でも参加できるようにしているのである。現実からは時間的にも場所的にも遠く離れているけれども「避難所」を求めて、その方法や手段を営々と築いてきた軌跡もあるいはノスタルジーシンドロームではないか。
その遺跡を遺しているのが出雲大社や三内丸山遺跡であり、ピラミッドなのではないだろうか。地球上の巨大津波やハリケーン、太陽の老化に伴う地球の地軸変動と環境の人類が生存できないほどの悪化現象へと突き進む状況への対策をするという事はあまり表立ってはいえないだろうからである。
by kanakin_kimi | 2011-11-01 06:32 | シンドローム | Comments(0)

戦略的災害対策 3

エジプトのピラミッド遺跡発掘作業は今も続けられているのだろう。今だに、何のためにピラミッドが作られたのか明確な回答が得られたわけではないようだ。いろいろ考えられてきた。私のイメージでは、6000年以前から大洪水やハリケーンなどの災害に集落での共同生活を営んでいる人々ですら壊滅的な被害をうけ続けていていたようだ。だから、夫々の地政に応じて災害対策が行われてきたはずである。当時の知性では宗教的な、あるいは神がかり的な手段で多くの人々の力を結集していたのだろう。大木が切り出せるところでは出雲大社のような高床式共同住宅方式であり、三内丸山の高層建築物である。また、砂漠地帯の石材が使えるところではピラミッド方式がとられた。それらは、ノアの方舟伝説やモーゼの十戒伝説をイメージさせる「人類の記憶」のようなものである。
by kanakin_kimi | 2011-11-01 06:06 | 戦略的災害対策 | Comments(1)