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告発  4  つづき

(11)北側の戸の状況
 八畳間と北側板廊下の境戸は四枚のガラス戸がはまるようになっており、ガラス戸はわづかに、東端の一本の戸の、東の縦材と下から三本の横財のみ残り、これは東の柱に一杯に寄せ付けられた状態で存在し、しかも、柱および鴨居の北の溝の変色状態が他の炭化している部位との比較で確認した。戸のはまっていたと認められるところは炭化せず、変色度も弱く、木肌が残っているので明らかである。
戸の巾は90センチである。前記の比較状況により、鴨居の溝を調べると、内側(南)の溝においては、西端から90センチの部位より東へ180センチにもわたり、外側の(北)溝においては、西端から148センチのところより東へ90センチにもわたり、さらに前記のとおり、東端から西へ90センチにもわたり、戸がはまっていた為に,炭化せず、黒い変色度も他より弱く、そして木肌が残っている。そして、板廊下の西端には夜具入れが南を向いて置かれている。写真 9,120,122,123,134参照

(12)和だんすの状況
 見取図 10、および写真 136 のとおり、部屋の西南隅の和だんすの前には土砂にまじって、ハンドバッグ・紫色風呂敷・便箋・八ミリ現像済フィルム 3本、がたんすの焼崩れた上置きから焼落ちたたように重なっている。ハンドバッグは写真 138 のとおり薄あずき色皮製で金色口金付き口金はしめられ中には、領収書類・写真・チュウインガム・PTA関係書類・果物ナイフ 2・櫛・靴べら・新品ブローチ、および、小切手 1枚(金額 1000円・支払人 静岡銀行江尻支店・振出人 中村 正・振出月日 昭和36年以下不明)・紺色蝦蟇口 1個(在中現金、10円硬貨 1個・5円硬貨 1個・1円硬貨 2個、計 17円)および、ばらの現金 10円硬貨 2個・5円硬貨 2個、計 30円、が入っており、全般的に水にぬれている。
ハンドバッグの表面は泥で汚れているが、焼けてはいなかった。たんすは、上置きが焼崩れ、下の引き出し部分も表面が黒く炭化し、引き出しは上に小引き出しが 3個、下へ 五段の大引き出しがある。そのうち、小引き出しの右と中央・大引き出しの上から一・二番目の 4個が鍵がかかっている。
水を受け、施錠してない引き出しも、強い力を加えても引き出せず、表面の板が取れてしまう。
五段の引き出しを写真 137 のとおり取ると、全て自然に衣類が詰め込まれており,特に荒らされた状態は引き出しの側断面からは見られない。
引出しを下から順次中を検する。

上から五番目の引出しは、女物衣類がぎっしりつまっており、すべてきちんとたたまれ、水をかぶってしみが出来ているものが多い。中には樟脳が多数入れられ,その臭いが強い。

上から四番目の引出しは、女物下着類がぎっしりつめられている。

上から三番目の引出しは、最上部にブリーツスカートが整然と入っており、下にきちんと畳まれた女物下着・エプロン・スカート・スーツ・帶じめ・和服などが整然と入っている。最下部には婦人服が一杯に敷かれている。

上から二番目の引出しは、最上部に紙に包んだ和服・帶・羽織・などが引出し一杯につまる。下の方には、スプリングスーツが整然と入っている。

最上段の引出しは、きちんと畳まれた着物が整然と入っている。そして着物の間に箱に入った、真珠のネックレス 1個、黒い石のネックレス 1個、金色のネックレス 1個、さらにプリンスと記名のある箱入りの、真珠のネックレス 1個、小型のボール箱入りの、金色ネックレス 2個、オパールようの金色指輪 1個、ひすいようの金色指輪 1個、ルビーようの金色指輪 1個、真珠金色指輪 1個、めのうよう銀色指輪 1個、蒲鉾型金色指輪 1個、と裸のままの、金色ネックレス 1個、グリン色皮蝦蟇口 1個(在中 100円硬貨 3個・50円硬貨 3個・5円硬貨 1個・1円硬貨・10個 合計294円)、紙に包んだ真珠玉 1個、ばらの現金50円硬貨 1個・10円硬貨 7個 合計 120円、および空の時計箱、指輪ケース 2、と学校の成績表などが入っている。これらは写真 139 のとおりである。
引出し内には、さらにレースのショール・毛のショール・着物・スーツ類があり、最も奥に、茶色風呂敷包み 1個があり、四隅を縛ってあり、解くと中はカーキ色の木綿袋で 28センチ×23センチ で,口は紐で蝶結びにゆわえられている。内容品は、水を受けてしめっている。中には預金証書類が分厚く入っている。これを検すると、スター定期預金証書 6通、第一銀行清水支店のもの、(佐藤とみ子名儀 金額 236800円、橋本雅一郎名儀 金額 126562円、橋本扶示子名儀 金額 126030円、橋本佳世子名儀 金額 126660円、佐藤昌江名儀 金額 236800円、佐藤咲子名義 金額 236800円)、袖師農協支店の定期預金証書 3通.(橋本雅一郎名義 金額 100000円、橋本扶示子名義 金額 100000円、橋本佳世子名義 金額 100000円)、三菱銀行静岡支店の定期預金証書 2通,(佐藤咲子名義 金額 150000円、佐藤昌江名義 金額 200000円)、東海銀行清水支店の定期預金証書 1通、(橋本佳世子名義 金額 317300円)
東京銀行清水支店のオリンピック定期預金証書 1通 無記名 金額 191000円、静岡銀行リレー定期預金証書 1通 橋本扶示子名義 金額 70000円、三菱銀行静岡支店の定期預金証書 1通 佐藤とみ子名義 金額 356000円(自動継続)、第一銀行清水支店の定期預金証書 2通 橋本洋子名義 金額 266900円・橋本登美子名義 金額 266900円と橋本の認印、投資信託払込証拠金領収書 2通 大和証券静岡支社 橋本扶示子名義 金額 70000円、ヒノマル投資信託 橋本扶示子名義 金額 50000円、現金 10000円紙幣 2枚・100円紙幣 2枚 合計20200円、その他利息計算書など14点が入っている。

立会人水野庄次郎は、橋本家の家族意外の名前の預金証書について、税金のがれのため架空の名前で預金したのでせう。と説明した。

これらの物は、写真 14 のとおり、和だんすの上の小引き出しは向かって右と中央が施錠してある。
右の引出しを力を加えて開けると、中は避妊具が一杯につまっており,サンシーと記名のあるゼリーコンドーム・注入器らが箱とともに乱雑に入れられ、コンドームは、袋入りの未使用のものにまじって、使用され形のくずれているものが多数見られた。これら避妊具は、数えなかったが、小引き出しにほぼ一杯つまっている。
中央の小引き出しは、領収書・古い封書・写真・証券会社からの通知書類・賞与の空袋・安全かみそりの刃・ボールペン・未使用の手帳・鉛筆・果物ナイフ 四・扇子・目ぐすり・などに混じって次のものが入っていた。紙袋(清水銀行と印刷)の中に、(1000円紙幣 6枚・500円紙幣 1枚・100円紙幣 12枚 合計 7700円)、緑色チャック付財布のチャックを開くと(10000円紙幣 1枚・1000円紙幣 1枚・100円紙幣 1枚 合計 11100円)、緑色小型蝦蟇口に(10円硬貨 6個・5円硬貨 1個・1円硬貨 7個 合計 72円)、と、ばらの現金(オリンピック記念の1000円硬貨 1枚・同じく100円硬貨 1個・および 100円硬貨 1枚・50円硬貨 8枚・10円硬貨 17枚・5円硬貨 4枚・1円硬貨 3枚 合計 1793円)、認印 6個(橋本 2・川本 1・水野 1・佐藤 1・赤堀 1)、箱入りの(金色ネックレス 1個・べっこうようのネックレス 1個)、ケース入りの(オパールようの金指輪 1個・紫色石の金指輪 1個・婦人用金色時計 2個・金色時計バンド 1個・ステンレス時計の側 1個・歯用の金冠 7個・ブローチ 2個)、駿河銀行普通預金通帳 3通(橋本扶示子名義 金額 611円・橋本昌子名義 金額 1000円・橋本雅一郎名義 金額 7860円)、袖師農協普通預金通帳 2通(橋本雅一郎名義 金額 93円・橋本扶示子名義 金額 67円)、この状況は写真141のとおりである。
左の小引き出しは、鍵がかけてない。中は、筆・ノート(昭和34年記載のもの)・アルバム・学校成績表
・古い封書・未使用の封筒・果物ナイフ 2本・靴下・ハンカチ・安全かみそり・皮蝦蟇口(在中品なし)などが雑然と入っており、この中に、祝儀袋(佐藤はつと記名)の中に旧千円紙幣 1枚、おなじく(清水市下野 高村富貴造と記名)の中に旧千円紙幣 1枚、が入っており、さらにばらの現金(100円紙幣 10枚・10円硬貨 13個・5円硬貨 2個・1円硬貨 4個 合計 1144円)、茶色皮蝦蟇口の中に1円硬貨 2個、丸型金色側男腕時計 1個(8時20分を示し止まっている)、ブローチ 1個、真珠ネクタイ止(ケース入) 1個、がある。これらは写真142のとおりである。
たんすの上置きは、焼け崩れて土砂がたまっており原形はない。土砂に埋もれて、黒皮ハンドバック 1個があり,在中は(50円硬貨 2個・10円硬貨 3個 合計 130円)、白ビニールハンドバック 1個 片面が焼失し中には(予定表・授業料納金袋)が入っている。
この二個のハンドバックは、それぞれ口金がしめられており、その傍らに・折り畳んだゆかた・古新聞・靴下・ショール・風呂敷・折り畳み洋傘・ノートなど、が炭化物と共に焼燬して積み重なっている。これらを取除くと、さらに口金のしまった空色ビニールハンドバックがあるが在中品はない。
上置きの堆積物を取除くと、下の板が焼けずに残っていた。取除いた堆積物に混って、箱入りの焼けた
小切手 1枚(支払人 静岡銀行江尻支店 振出月日 昭和36年以下不明 金額 1000円)があった。

ここの (12)における通帳・証書の合計金額は         であり、現金合計額は     である。
(13)和だんすの北側の状況
 和だんすの北側に、ブリキ缶が 1個土砂に埋まっている。その上には、男物カーデガン・女物セーター・スカート、が焼けてのっており、蓋をあけると風呂敷包みが南寄りにあり、上がこげている。中には新品の男女下着・靴下が包み込んである。北寄りに表面が焼燬した紙袋に、新品の下着・靴下が入っている。そのほか衣類が入れてある。
 缶の西側には、赤色セーター・雑誌 4冊・白下着とその下側に懐中電灯が1個あり、ナショナル で点灯できた。これは雑誌などの下敷きとなっていたのでしめっているだけで、異常は認められず、まだ新しいものであった。
 さらに缶の北側は焼けた蛍光灯のケース・その下に赤色地に白いリボン模様で白木綿カバー付枕が 1個ある。枕は、47センチ×30センチで、これは上面が焼け、炭化し、中のパンヤがところどころ見える、裏返すと、裏は焼けていない。この位置は、西中央の柱より北東13センチ離れたところへ、西南と東北方に長く存在する。枕の下部には、婦人紺色スカートおよび白色の前掛け、および、エンジ・グリーン・紫のまだら模様のブラウスようのものの焼け残りがあり、スカートの上には蚊帳の裾の部分がかぶさっている。(写真 143)
立会人橋本昌子は、この婦人服と前掛けを指示して、母のきていたものです。と説明した。
写真( 不明 )のとおり、白前掛けの向って右上部は焼失している。この前掛けのあった位置は、中央に敷いてあった布団の枕元の部位である。前掛けには左右二つのポケットがついており、向って左のポケットには、10円硬貨 1個・1円硬貨 5個 合計 15円、小さな合鍵 1個(旅行鞄用の鍵と認められる)、見舞ののし袋(滝きよ・小川よねの記名あり)、そして、昭和41年6月23日付 袖師中学校PTA会長名・袖師中学校長名、の「教育講演会並に学校保健研究発表について」と書いた藁半紙半分大の書面 1枚、が入っていた。左のポケットには何も入っていない。部屋の北西寄りの床の間の前に、床の間と平行して、額の枠と認められる、焼けた 107センチ×44センチの枠がある。

by kanakin_kimi | 2012-12-31 23:00 | 告発・袴田事件 | Comments(2)

告発 補促 使用した資料 1

資料の主なものは、「検証調書」(第10分冊・第11分冊・第12分冊)と、「死体鑑定書」・「検死資料」・「捜査報告書」・「供述調書」(第12分冊)である。その三分冊について、目次・索引をここで紹介します。

第10分冊

検証調書(員春田龍夫41・8・8)以上            190丁
【索引】
一、現場の位置                    1 これより 192丁
二、現場付近の模様                  2
三、現場の模様                    5
(一)、家屋北、表側およびその付近の模様        7
1、北側の模様                    7
2、東隣の状況                    7
3、西隣の状況                    8
4、家屋の焼燬状況                  9
(二)、家屋北面の模様                10   
1、西側格子戸の状態                10
 2、東側シャッターの状態              11
 3 、シャッターの内部ガラス戸の状態         17

(三)、屋内の模様                   19
  1、表土間の状態                  19
(1)、出入口付近の状態               19  
(2)、表側のテーブルおよびその付近         22 
(3)、奥側の事務机などの状態            23
  (4)、机の奥の勝手戸棚               27
 2、勝手場の状態(表側) 30
  (1)、境の戸付近の状況               30
  (2)、戸棚の前の状況                31
  (3)、左側の戸棚の状況               33
  (4)、中央の戸棚の状況               36
  (5)、右側の戸棚の状況               38   これより193丁 
  3、勝手場の状態(奥側) 39
  (1)、土間の状況とかまどなど             40
  (2)、調理台など                   42
  (3)、冷蔵庫の付近                  44
  (4)、冷蔵庫の奥側の戸棚               46
  4、表応接間の状態                  48
  (1)、部屋の四囲の状況                49 
  (2)、戸の開閉状態                  52
  (3)、上部の状況                   53
  (4)、床面の状況                   54
  (5)、テーブルの状況                 54
  (6)、カウンターの状況                56
  5、奥応接間の状態                  57
  (1)、四囲の状況                    57
  (2)、上部の状況                    60
  (3)、部屋の内部状況                  62
  6、食堂の間の状態                   67
  (1)、四囲の状況                    67
  (2)、内部の状況                    69
  (3)、下駄箱の状況                   73
  7、勉強部屋の状態                   75               
  (1)、四囲および焼燬状況                 75
  (2)、部屋内の状況                    79                 (3)、洋服だんすの状況                  81  これより194丁
  (4)、洋服だんす南の机                  84                 (5)、スチールデスク付近                 86
  (6)、本棚の状況                     89
  8、ピアノの部屋の状態                  91
  (1)、部屋全体の状況                   91
 (2)、家屋の断面について                 92
  (3)、部屋内の模様                    93
  (4)、机の内容物                     95
  (5)、死体の下敷きとなった板額の状況           96
  (6)、ピアノの状況                   100
  (7)、布団の状況                    100
  (8)、血痕付着の布団の状況               103
  (9)、枕・敷布団などの状況               104
 (10)、黒手提げ鞄の状況                 106
 (11)、床の間の状況                   107
  9、仏壇の間の状況                   112
  (1)、四囲および内部の状態                112
  (2)、上部および押入付近                 114
  (3)、部屋の堆積物など                  115
  (4)、くり小刀付近の状況                 118
  (5)、仏壇の状況                     121
  (6)、押入れ内部の状況                  126
  (7)、据付けたんすの状況                 128
 10、表八畳間の状態                    129  これより195丁
  (1)、四囲の状態                      129
  (2)、布団について                     131
  (3)、洋服だんすの付近                   132
  (4)、布団の下のマットレスの位置確認            134
  (5)、南側の寝具の状況                   135
  (6)、中央寝具の状況                    136
  (7)、北側の寝具の状況                   139
  (8)、洋服だんすの内部                   143
  (9)、ブリキ缶の状況                    144
 (10)、廊下の鏡台の状況                   148
 (11)、北側の戸の状態                    149
 (12)、和だんすの状況                    150
 (13)、和だんす北側の状況                  164
 (14)、床の間前の状況                    168
 (15)、二つ折財布の状況                   172
 (16)、床の間の状況                     175
 11、表八畳間北の夜具入れの状態               179
  (1)、全般的状況と上段内部                  179
  (2)、甚吉袋の状態                      183
  (3)、手提かごなどの状況                   192
  (4)、夜具入れ下段の状況                   199
 12、家屋の炭化深度について                 204
 13、焼燬状況と出火点について                205
 14、外部の照明状況                     206  これより196丁
四、証拠資料                          207
五、天候                            210
六、補助者                           211
七、図面および写真                       212

by kanakin_kimi | 2012-12-31 15:28 | 告発・袴田事件 | Comments(1)

告発  4

死体は動かされた 3

前回の藤雄の場合の中で、ちえ子と雅一郎の場合の死体の動かされた状況の概要は述べている。けれども、誰しもが思うであろう疑問が残されたままである。例えば、何故藤雄が二人を殺すことになるのか、何故二人が一体なのか、何故八畳間の布団は三組敷かれていたことになっているのか、などであるが、これらは事実を証明する証拠とは関係のないもので、藤雄が行った行為の動機に当たるものだから、私が敢えて明らかにしなくてもいいものだと考えていたのである。
しかし、その事が冤罪の立証と告発の価値を低めるものになっているのであれば、私自身躊躇せざるを得ない。それで、その事実を明らかにする決断が出来なかったので「ちえ子と雅一郎の死体は動かされた」ことを明らかにする事を後回しにしたのである。
これは、「真実は一つではない」という真実が、ロマンティストのいう「真実は一つ」の裏返しになる「真相解明のリスク」の一つでもある。
だから、ご本人に警察へ出頭して真実を述べていただきたかったのである。
私としては、昌子さんにチャンスと時間を十分提供したつもりである。
姉が妹を殺し、父が妻と息子を殺すという事実の異常さを、情と思いの喜怒哀楽で補足説明する事には躊躇するが、犯罪現場の物証によってその「情と思いの喜怒哀楽」を推理推測している事を前置きに云っておきたい。

3、ちえ子と雅一郎の場合

刑事第一審(住居侵入・強盗殺人・放火)事件記録、第10分冊(190~504丁)、昭和41年8月8日付、春田龍夫・検証調書に次のように記されている。
【 10、表八畳間の状態 】の内の(325 ~ 327丁)
(1)四囲の状況
 表応接間の西、仏壇の間の北には表八畳間がある。ここも全般的に焼燬が甚だしい。部屋の東側は、四本の板戸で仕切られ、前記表応接間の検証結果で明らかなように、焼失部が多く見られる。そして、残ったところも表面が炭化している。
北側は、90センチの板廊下をへだてて道路に面する。この面の境には表側の検証により明らかなように何もはまっていない。しかし、本検証に際しては境にシートを張り外部と遮断してこれを行ったものである。
廊下の西寄りには夜具入れ二個が積まれている。
部屋の西側、北半分は40センチが西へ出張り床の間となっている。その南には和ダンス一竿がある。この和ダンスの向かい側、部屋の東南隅には西を向いて洋服ダンス一竿、その北側にはブリキ缶六個がある。(写真 9,39,120,122,126 参照)
上を見ると、天井は全て焼失し、屋根も部屋の南半分が焼落ち、梁および残った屋根裏は表面炭化している。特にこの部屋の屋根裏、梁の炭化は甚だしく、ところどころに白く灰化した部分が見られる。
仏壇の(部屋)との境の鴨居上の壁は、中央部分がほとんど焼け崩れ、中の竹・泥が露出している。残ったところも黒く変色している。(写真 印 121 参照)

(2)布団について
この部屋の南半分くらいは上から焼落ちた瓦・炭化物・などが積もり、北半分は寝具などの表面が炭化して雑然と存在する。
立会人橋本昌子はこのへやについて、ここへは三人寝ます。西枕で北から父・母・弟の順に寝るのです。と説明した。

この部屋は、6月30日、本職が実況見分の際は二組の布団などの夜具が確認されたが、ここにおいて、炭化物などを取除くと南側にさらに一組の布団を発見した。

本職は前記見分の際の焼死体、橋本ちえ子・橋本雅一郎の頭部の位置について、前者を2 後者を3と表示して写真撮影した。(写真 122,123,124,125)
この部屋にはこの表示地点を頭にして二死体が中央の布団に斜めに横たわっていたことは前記見分のとおりである。


ここで、この【前記見分】について記載されている調書は、第11分冊に収録されており、この分冊を取りまとめたとの体裁の役割に従事している黒柳三郎警部補は「防犯」の担当で、応援にきている一人である。したがって、最初から基礎捜査のとりまとめをしている春田警部補の仕事を分担とみせての、黒柳三郎警部補に振り替えること自体異常なことなのである。春田警部補は、基礎捜査のセオリーを厳守しており、如何に真相を書き残すかの工夫を随所に示してくれて、捜査本部の幹部である高松敬治県警本部長や池谷真二捜査一課長などからの基礎捜査の結果に反する、よこしまな指示に抵抗している様子が、これら調書の複雑さに隠されているのである。その文章は、この事件記録の全般にあるが、それをここにも挿入する。分かりにくくしているところに真実の隠蔽と、その真実を取り戻す工夫をもぐりこませる闘いの跡がここにある。そして、この調書を見るものに真実を把握しにくくしている、捜査本部の幹部と検察官の手練手管をみるのである。

刑事第一審(住居侵入・強盗殺人・放火)事件記録、第11分冊(505~781丁)、昭和41年7月20日付、黒柳三郎・検証調書のうち昭和41年7月5日付、春田龍夫・実況見分調書(718~733丁)に次のように記されている。

【 実況見分調書 】

[実況見分の日時] 昭和41年6月30日午前5時20分から午前7時20分まで

[実況見分の場所・身体または物] 清水市横砂651番地の1 合資会社「こがねみそ」社長橋本藤作方居宅および同居宅内の 橋本ちえ子 39歳 橋本雅一郎 14歳 の焼死体。

[実況見分の目的] 焼死体の状況を明らかにするとともに、その身許を確認し、証拠を保全するため。

[実況見分の立会人] (1)清水市有東坂171番地の1 合資会社「こがねみそ」従業員 水野庄次郎 41歳
(前記橋本藤作の義弟・死者橋本ちえ子の従兄妹)(2)清水市美濃輪812番地 履物商 橋本義雄 55歳(前記橋本藤作の弟)

実況見分の経過 
一、現場の位置 現場は、清水市横砂651番地の1 橋本藤作 方居宅である。

二、現場の模様 現場家屋は北向きに道路に面して建てられた木造家屋で、表側は平屋建、瓦葺きで奥には中庭を隔てて二階建の土蔵、および裏へ抜けるトタン屋根の勝手場ならびに土間通路がある。
家屋は全般的に焼燬し、消火作業による水がしたたっている。内部は見取図1のとおりの間取りで、屋根は焼失箇所が多く、落下した瓦・土砂・炭化物などが泥水によごれ、一面に堆積しており、さらに、柱・梁・壁・鴨居・散乱した家具類・建具類が全般的に炭化もしくは変色して黒くなってる。

(1)焼死体の状況
屋内には、見取図一 に示す位置に焼死体が三体ある。即ち、焼けたピアノの西側に一体、表側八畳間に二体がある。
1、表八畳間の死体の状況
 表八畳間には見取図二 に示すように、部屋のほぼ中央に頭部を東南に向け、二体が抱き合っている。(写真 1,2,3,4,5,6,7,8)
両体は、腹を合わせるように両手を互いに相手の身体に巻き、足をからませており、表面は黒く炭化し、体の下側四分の一くらいは炭化物などで埋まっており、見えない。死体の下には表面炭化した布団などが敷かれており、さらにその北側にも一組の布団が敷かれてあると認められた。(見取図 二)(写真 9,10)、死体の東側には、焼けた洋服たんす・ブリキ缶などがある。(写真 1,2,3)

(1)南側の死体
 南側の死体は女性で、表皮は黒く炭化し、特に左臀部は写真 五・六のとおり「ざくろの実」のようにはぜている。頭部・顔面も黒く炭化し、人相などはわからない。
頭頂部より左爪先まで 1.6メートルあった。
立会人水野庄次郎は、女だから専務の奥さんの「ちえ子さん」か娘の「扶示子」のどちらかだが、体格から見て「ちえ子さん」と思う。と説明した。
 この死体は、右を下にして、左腕を北側の死体の首へ巻き、右腕はその死体の腹部の下側へ廻している。写真七・八 のように両肘を曲げ、指を握りしめ、両足は膝を前に出して曲げており、少し開いている。抱きついてはいるが、いわゆるボクサー型をしている。
 胸部には、乳房をおおうように、白メリヤスの下着が焼け残っており、これには暗赤色の血液用の物がしみ込んでいる。腹部および腰部には着衣が焼け残っており、表皮が炭化していない。(写真 1,2,5,6)左手には、焼けた金色バンド付きの腕時計をはめており、焼け残った針を見ると、2時12分ごろを指していた。時計のガラスはない。左手中指には黒く変色した石附指輪がはまっている。

(2)北側の死体
 北側の死体は左側を下にしており、陰茎があり男性と確認した。
頭頂部から左爪先部まで 1.7メートルあった。
立会人水野庄次郎は、この死体につき体格から見て専務(橋本藤雄)ではないから雅一郎だと思います。と説明した。
 表面はことごとく炭化し、わづかに燃え残った着衣の一部が腰のあたりに付着しており、白と空色の縦縞のパンツ・白メリヤスシャツ・白ワイシャツとわかる。白ワイシャツには左胸のポケットにシャープペンシル一本が入れられている。
 これも両肘を曲げ、指を握りしめ、両足を少し開いて、膝を前に出して曲げており、抱きついているがボクサー型をしている。
両死体とも体の下側部分は、炭化物などに埋まっているので明らかに出来ない。

2、検視の状況
 前記南側の橋本ちえ子の死体を検視するため、両死体をはづしたが、関節部の硬直が強く困難であった。橋本ちえ子の死体は見取図一 に示す土蔵の北側に運んだが、死体を取除いた下に、白い蚊帳が焼け残っている。
検視の状況は、別紙検視聴書のとおりである。

3、ガソリンようの臭気について
 検視の結果、死体の胸部および背部に計九個の刺創があることが明らかになり、かつ死体の頭部よりガソリンようの強い臭気を感じた。よって、前記表八畳間にいたり、橋本ちえ子の死体のあった位置を見分する。
 橋本ちえ子の死体の下敷きになって焼け残った白い蚊帳の下には、水にぬれた毛布二枚がしわになって焼け残った部分我あり、これに鼻を近づけると、焼死体の肉の焦げるようなにおいとは別に、ガソリンようの臭気がする。
立会人水野庄次郎にこの臭気の確認を求めたところ、私は蓄膿症ですからにおいはわかりません。と説明した。そこで、さらに立会人橋本義雄に確認させたところ、前記二枚の毛布について、確かにガソリン臭いと説明した。
 この毛布は、(A)単色地に橙色の模様で一部焼失しているもの  1枚 (B)赤色模様で一部焼失しているもの  1枚 である。
本職は、この毛布2枚について、立会人水野庄次郎より任意提出を求め領置した。
これまでにて本実況見分を終了する。

三、証拠資料
 本見分中押収した証拠資料はつぎのとおりである。1、毛布(ガソリン臭のするもの) 2枚 内訳、草色地に橙色模様のもの 1枚 赤色模様のもの 1枚
四、天候   曇天であった。
五、補助者  清水警察署司法警察員巡査部長 青木孝雄(全般)  司法巡査 原科勲(写真) 近藤安一(図面) 入山高弘(資料)
六、図面および写真  本見分の結果を明確にするため図面 2葉、写真 10葉を作成、本調書の末尾に添付する。



ここで、元の【 10、表八畳間の状態 】の内の(325 ~ 327丁)の後に続く。

【 10、表八畳間の状態 】の内の( 327丁 ~)

(3)洋服だんすの付近
 部屋の南東隅には巾123センチ、高さ178センチ、奥行58センチ、の洋服だんす一さおがあり、下の引き出し部を除いて上は枠だけ残り、周囲の板はほとんど焼失、内容物が下へ崩れ落ち、その上へ上から落下した炭化物、瓦などが40センチぐらいに積もっている。
前には、内部から焼落ちたと認められる 紙の燃え残ったもの、8ミリ撮影機 1個(ケース入りでケースはほとんど焼失)、ヤシカ44カメラ 1個(ケースなし)、が焼けて、土砂に埋まっていた。
さらにこれらの下には焼けた白ビニール製ハンドバッグ 1個(在中金品なし)、女物オーバー 1着(左ポケットに 百円紙幣 2枚、50円硬貨 2個、10円硬貨 3個、5円硬貨 一個、計335円が入っている)、および、男オーバー 1着、男背広(橋本のネーム入り) 1着、袖なしツーピース 1着、衣紋掛けにかかった状態の黒ダブル背広(橋本ネーム) 1着、エンジ色女コート 1着、濃グリーン女コート 1着が焼けて一部分炭化し水にひたって積み重なっており、この下に最も南側の夜具のマットレスがしいてある。洋服だんすの前北寄りには、白い衣類 2、タオル 1、化粧水の入った箱 1、が落ちていた。(写真 123参照)

(4)布団の下のマットレスの位置確認
 見取図 10および、写真 123のとおり、南側のマットレスは、草色地に青い花模様で、部屋の東南角の柱より91センチのところの敷居中央部にマットレスの東南端があり、やや斜めに敷かれている . 大きさは、長さ2メートル、巾97センチ、厚さ(印でみえない)で、西南隅は敷居端より26センチ離れている。そして、和だんすから30センチ離れた位置である。東南端は洋服だんすの前(西)側の線より35センチあった。

中央のマットレスは、長さ195センチ、巾95センチ、厚さ10センチで前記南側のマットレスとは、東側で26センチ、西側で17センチ離れた状態で、その東南端は、敷居の端から1.2メートル、西端は西側中央の柱から60センチの位置である。中央マットレスに接着するように、その

北側にもう一枚のマットレスが敷かれている。大きさは、長さ2メートル、巾1メートル、厚さ10センチで、これは部屋の床の間の前端より60センチ離れて敷かれており、その北西端は部屋の北敷居の内側より20センチ離れる。

このマットレス三枚は上に敷き布団などがのせられているが、位置測定は最下部のマットレスで行った。(見取図 10参照)

(5)南側の寝具の状況
 南側のマットレスの上部には、表面が黒く炭化し、綿の部分が出て水を吸っている。厚さ2センチぐらいの敷布団が敷かれている。裏返すと絣模様で、その上へ白木綿カバーがかかっている。
敷き布団の周囲はほとんど焼失し、西の端は毛布の端でおおわれた状態になり、毛布もわづかに50センチ×16センチの部分だけ残り、この上にタオルにおおわれた枕(ピアノの部屋の枕と同種類)が焼け崩れて、内容物のパンヤが露出している。
敷き布団の下は三折れ式のマットレスである。
敷き布団には白木綿カバーがあり、マットレスにも同様カバーがかかっている。そして重なった二枚の木綿カバーは薄茶色で、そのほぼ中央あたりに多く薄黒いしみが出来ている。このしみについて鑑定すべく、立会人水野庄次郎の任意提出を求め、本職がこの二枚のカバーを領置した。
マットレスを取除くと、下には水を吸った畳が残っている。(写真 123,128,参照)

(6)中央寝具の状況
 中央のマットレスの上には、敷き布団、同白カバーの一部が西側の部分に露出、この東には
カーキ色化繊の掛布団と毛布の一部が焼け残っている。この毛布は、草色地に橙・黒・朱の模様入りで鼻を近づけると、ガソリンようの臭いがする。この付近は焼死体二体があったところで、焼死体特有の肉のこげたような臭いがする中に、特に毛布の部分に、前記ガソリンようの臭いが感ぜられた。
毛布の大きさは、32センチ×40センチ、の不整形である。これは敷き布団の西南角に近いところにあり、これと同種の毛布の一部が、さらに布団の東北角に焼け残って見える。この毛布の上部を見ると、前記 2 と表示した、橋本ちえ子の焼死体を取除いた部分に、白と水色の蚊帳の焼け残りがあった。
蚊帳は焼け方が強く、ところどころぼろぼろになっているものである。広げて見ると、全体の四分の一くらいのものと認められ、焼死体の臭いが強くしみ込んでおり、端の白いところに30センチぐらいづつ不整形に二カ所長い形の血痕が見られた。
この時本職は、前記捜索差押許可状によりこの蚊帳の焼残りを差し押さえた。

蚊帳をさらに検すると、吊り手の部分が二カ所残っており、一本の吊り紐は黒く変色し、末端は炭化焼失している。もう一本は、吊り紐は残り、これよりさらに木綿の細い紐がつないであり、その末端は焼失している。
蚊帳については油類の臭いはしない。蚊帳と焦げた毛布を取除くと、下に敷布団があり、マットレスより少し北へずれている。敷布団は、格子柄(橙と鼠色)模様のもので、白木綿カバー付きである。
この敷布団と下のマットレスの東南角には、東西 35センチ・南北 25センチ、の範囲にわたり多量の血痕がしみ込んでいる。血は敷布団のカバーの下の綿までしみ渡っており、さらに下のマットレスも同様である。(写真 122,123,124,125,129,130)
マットレスは、薄茶色地にエンジ・茶などの木の葉とダリヤの花・木の枝などの模様入で、かすかにガソリン様の臭いが感ぜられた。
そして、上の敷布団の部位同じ部分に、中のスポンジの部位まで血痕がしみ込んでいる。スポンジは三枚合わせで、上から三枚目の上面まで血痕がしみ込んでいた。

本職はこの敷布団、マットレスをともに前記捜索差押許可状により差し押さえた。
マットレスは三折れ式のものであり、これを取除くと、写真121のとおり畳が焼けずに残っていた。
立会人橋本昌子は、このマットレスの模様を見て、確かに母が使っていたものです。と説明した。

(7)北側の寝具の状況
 最も北の布団の状況は、マットレスの上に敷布団があり、この上に白カバーのかかったエンジ色の掛布団があり、敷布団の西南寄りに丸められたようにあり、ところどころ焼け焦げ中の綿が出ている。
掛布団は汚れて丸められたようであるので、これを広げて衿布のかかった部位を西枕に合わせた状態で検すると、
 (A)北西角から南へ20センチのところに径約9センチの血痕が布団の端に見られ、
 (B)北西角から東へ30センチのところに、20センチ×10センチの範囲で血痕があり、これより先は一  部焼失している。
 (C)さらに、(B)と北西角の間に長さ10センチ 巾 2センチ の横に長い血痕、
 (D)そして、北西端より東68センチ部位を中心に横(布団の長い向き)に長く 40センチにわたって、
  卵大 1、母指大 1、大豆大 5 の血痕が点々とついている。
これらはいづれもカバーの上から下へしみ込んでいるものである。
布団をのばして見ると、中の綿は各部にわたって焼失、約半分くらいになっている。そして水を吸い 固くなっている。(写真 132,133)
本職は、この布団はカバーと共に、前記捜索差押許可状によりこれを差し押さえた。

布団の東にはブリキ缶が倒れている。その下には、表面が炭化し西側から上面を中に、二つ折りにしたように掛布団が存在する。これは、二つに折った両端が東側へ重なっており、反対の曲がった部分が焼燬甚だしい。この布団は、エンジ地に花模様のもので、
立会人橋本昌子はこの布団を示し、これは父がいつも使うのです。と説明した。

布団をのばして見ると、中央部が径60センチくらい焼失して穴があいている。検するも血痕などの付着は認められない。
この下には草色地に花模様の毛布一枚が敷かれているが、東側四分の一位を残して他は焼失している。さらにこの毛布の北には、丸められ、焼け残った、カーキ色地に花模様の毛布一枚が無雑作におかれている。敷布団の中央には他の炭化物に混じって、蚊帳の吊り手 1本、が焼け残り、これにはわづかに蚊帳の布地がついている。紐の先端は黒く炭化し焼失している。敷布団の表面は東側四分の一を残し、表面が炭化している。これをまくると、下は三つ折れのマットレスで、白カバー付きで、中央には薄黒いしみが出ている。
マットレスは、薄茶色地にエンジ・茶・薄茶・黒色の木の葉模様で、東西の両端は焼け崩れている。
マットレスの下の畳は焼けていない。(写真 134)

(8)洋服だんすの内部
 洋服だんすの内部には積み重なった土砂を取除くと、洋服掛けの鉄パイプが焼落ち、そして、衣類が衣紋掛けにかかった状態で焼け積み重なっている。
上から順次これを取除きつつ検すると、男もの洋服 8着、女物洋服 8着、ネクタイ 10本、その下には、セーター・スカート・ジャンパー・下着類など、がそれぞれ畳まれてビニール袋に入れられている。内部の南隅に、桐箱入りのビニールベルトなどがあり、パラゾール(殺虫剤)の臭いが強い。
下の引出しは、二段で、上段は、施錠してなく、下着類が平均に、きちんと無理なく入れられ、下段も同様施錠されず、女洋服・下着類が無理なく、平均に整然と入れられており、ともに上面煙をかぶって薄黒く変色しているが、特に荒らされた形跡は認められない。
この洋服だんすの中の衣類の在中金品は総合すると、500円紙幣 1枚、100円紙幣 3枚、50円硬貨 1個、10円硬貨 18個、5円硬貨 5個、1円硬貨 1個、 計 1036円。 ブローチ 1個
である。(写真 126,127 参照)

(9)ブリキ缶の状況
 部屋の東、布団の裾の部、そして焼死体の頭部に近い地点に洋服だんすとならんで、ブリキ缶が六個乱雑に置かれている。大きさは、南の二つと北の二つが、73×40センチ、高さ22センチ、中央の二つは、60×40センチ、高さ22センチ、でいづれも青く塗ったものであるが、全般的に焼燬し黒く変色し、泥酔をかぶって錆びている。このブリキ缶を南から一個づつ検する。

(A)南の缶の上には、焼けた衣類数点がのっており、蓋がへこんでいる。蓋を取ると、表面炭化した綿花とその下に下着類がきちんと畳まれて入っている。その下は女性セーター・スラックスなどである。(図に(A)と示す)

(B)南より二番目の缶と前記(A)の缶との間には隙間があり、婦人白メリヤスズロース・男背広、が焼け残り、二番目の缶の上には、男背広上下および上衣一着、があり打ち一枚のポケットには、手帳一冊が入っており、中を見ると 二ページにわたって、ものの価格・数量と認められる数字の記載があった。
背広のポケットを探ると、天文ー清水港のマッチ 1個があった。この背広は背抜きの濃い青色系上下で、ズボンにはビニール鰐皮形のベルトが通され、右後ろポケットには、石川県那谷寺の観光案内 1枚、現金 10円硬貨 3個、5円硬貨 1個、計 35円、が入っていた。
もう一枚の上衣だけのものは、背抜きで、濃いグリーン色であり、橋本のネーム入りである。
立会人水野庄次郎はこれらの背広について、専務(橋本藤雄)のものです。と説明した。
 南から二番目の缶をあけると、婦人服・ゆかた・男背広上下などの衣類がきちんとたたまれて入っている。この缶は見取図に(B)と示す。缶の東側に、茶色スラックスが一部焼失し、残っている。

(C)見取図に(C)と表示した南から三番目の上の缶は、たたまれた白布地・女着物・洋服がきちんと一杯につまっている。

(D)三番目の下の缶(D)は、上の土砂などの重みで下が押しつぶされふたをあけると、女物洋服類がきちんとたたまれて入っている。

(E)四番目の缶は、見取図に(E)と表示した缶で、部屋の外廊下に斜めに転がり、蓋はいづれかへ飛んでしまって、近くに見えない。内容は、書籍・アルバム・小さな缶入りの写真、などが積み重なり表面が黒く炭化している。

(F)五番目の、見取図(F)の缶は、(E)の西側廊下にあり、押しつぶされたようになり蓋はちかくにはづれている。中は、男背広四点と・その下はシャツ類で、全てクリーニング店の包装紙でおおわれている。
これらの缶の中は、いづれも上面が黒く炭化し、湿気を帯びている。

(10)廊下の鏡台の状況
 写真135のとおり部屋の北廊下の東側に西を向いて、小型の鏡が焼け崩れている。台の部分は、巾50センチ、高さ19センチ、奥行き25センチで、鏡台の全型はなく、台の部が原形ををとどめている。鏡は楕円形で、縦37センチ、横28センチのもので、枠は焼燬して黒く変色し表面に亀裂が生じて、台の後方へ落ちている。台の前には、化粧水の瓶などが入った、化粧道具入れの木箱が二つあり、表面が焼けて、内容品が焼け残った布片などとともに散乱している。この箱の付近に,蝦蟇口式の化粧バック 1個がある。9センチ×15センチの大きさで、口金付ビニール製(表面が透明、内側が白地に紫・空・緑のばらの花模様入)で口金が開いており,表面に三カ所焼失部がある。内容は、口紅 3・パフ大 1・パフ小 1
・小瓶 3・櫛 1、で櫛は一部焼きーいづれも泥水をかぶり汚れている。

 告発 4 つづき へ
by kanakin_kimi | 2012-12-27 10:29 | 告発・袴田事件 | Comments(0)

世界のHAARP 1 ーIN DEEP よりコピーしたものです

アメリカのアラスカやカナダの大規模なHAARP の施設を紹介しているブログから311の地震発生や気象コントロールが行われていることを知りました。それらの仕組みについて勉強させていただいていますが、HAARP から強力な電磁波が放射された場合、反射板はどのように機能するのか、どのような反射板が使われているのか、放射角度・反射板の高度・電磁波出力と発電装置の能力との関係など、単なる研究用のものと気象操作を実際にしているところとの違いを明確にしてもらいたいものです。
世界に災害を実際に起こしているところとそうでないところを混同しないためにもそれぞれの装置の内容を公開してもらいたい。 ーーーーーーーーーーーーーー 金澤忻二  以下は  IN DEEP のブログ からコピーさせてもらいました。

世界に広がるHAARP施設(高周波活性オーロラ調査プログラム)


(追記) 記事をアップした後、読まれた方から、京都大学の HAARP 施設の写真だというのを送っていただきました。私には何の説明もできないですが、規模や詳細などが多少はっきりとするような気がいたしましたので、記事の一番下に掲載させていただきます。(01.13 PM08:00)
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(訳者注) 私的な日記の「ペアである自分」というコラムの途中でわかりにくいですが、気になるニュースや資料を見つけましたら、普通に記事として更新します。今回は資料記事です。

米国のサイトに、高層大気研究プロジェクトの HAARP の最新の設備基地の場所が、 Google Map の座標と共に紹介されていました。 HAARP は秘密施設ではないので、公開されていること自体は普通のことでも、施設の拡大ぶりに驚きましたので、掲載しておきます。

現在、全世界二十数カ所に HAARP の施設が確認できます。



Google Map

もちろん、これは Google Map で確認できるものだけの数ということになります。



▲ これは本部といえるアラスカの HAARP 施設 (座標 62°23'32.36"N 145° 8'31.81"W )。施設の半分からは、ぼかしがあって見えません。


それぞれ Google Map に座標を入れれば、ご自分で見られます。 Google Map 上の「地図を検索」のところに座標をコピーペーストで入れて、ボタンを押すだけです。右上のボタンで「航空写真」を選ぶと写真表示になります。

私は HAARP の効果については懐疑的ですが、しかし、これだけ設置の規模と地域を拡大しているということは、少なくとも「研究は停止しておらず、現在でも HAARP の研究と施設は拡大している」ということは言えそうです。

なんかこう・・・上の地設置地図を見ますと、HAARP が設置してあるところは、天候と災害でずっと大荒れなような気もしないでもないですが。



▲ こちらは現在、歴史的な洪水に見舞われているオーストラリアのクィーンズランド州にある HAARP 施設。 Google Map では、クイーンズランド州近辺に3カ所の HAARP 施設があることがわかります。ここなどは今頃は水没しているのでは。

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(参考) 現在の世界の災害状況 ハンガリーの災害リアルタイム情報サイト RSOE EDIS より 2011年11月12日分。



▲縮小していて見づらいですので、詳細はリンクから実物地図をご覧下さい。いろいろな災害の数日内の災害が掲載されていますが、現在注目すべきは、アイコンの



この3種類で、基本的にこれらはすべて洪水の被害を受けている場所です。


それでは、ここから Google Map にある世界各国の HAARP 施設の場所です。

下は記事にある地名の国名と大体の地域を日本語で併記しました。
また、座標に Google Map へのリンクも貼りました。
座標をクリックするだけで見られます。

実際に地図を見ても周囲に施設のようなものを探しにくい座標もあります。
その場合、拡大縮小などで周囲を探してみて下さい。


HAARP Facilities Worldwide
Before It's News 2011.01.13

世界に拡大する HAARP 施設

HAARP 関係施設

HAARP/Alaska HAARP アラスカ
62°23'29.66''N, 145°06'58.47''W


Millstone Hill Radio Observatory
米国マサチューセッツ州ウェストフォード
+42° 37' 09.25", -71° 29' 28.49"


Platteville Atmospheric Observatory
米国コロラド州
+40° 10' 54", -104° 43' 30"


NERC/MST, UK
英国ウェールズ
52°25'28"N 4°0'18"W


Sura Facility
ロシアの2カ所
・56°7'9.70''N, 46°2'3.66''E
・56°08'N, 46°06'E


National MST Radar Facility (NMRF)
インド アンドラ・プラデシュ州
13°27'26.68''N, 79°10'30.74''E


Jicamarca Radio Observatory
ペルー・リマ
11°57'6''S, 76°52'27''W


Jindalee Operational Radar Network (JORN)
オーストラリアのクイーンズランド州中心の5カ所

・23°24'S, 143°48'E
・28°19'02.5608''S, 122°50'36.4416''E
・28°19'36.29''S, 122°0'18.84''E
・23°39'28.9692''S, 144°08'43.5552''E
・22°58'03.2196''S, 134°26'52.5732''E


Arecibo
プエルトリコ
18°20'39''N, 66°45'10''W


EISCAT
ノルウェー
69°35'10.67''N, 19°13'28.62''E


HiScat/Teracom
スウェーデン
55°49N, 13°44E


China Research Institute of Radiowave Propagation
中国 新疆ウイグル自治区
40°24'15.91"N, 93°38'09.74"E


--
補足資料

HAARP SURA EISCAT GOOGLE EARTH TOP SECRET PLACES(Google Earth にある HAARP の機密場所)

というサイトには、他に以下のような座標も記されていますが、すべては確認していません。というより、これらが HAARP の施設かどうかは表記がないのでわかりません。

この先のは Google Earth での座標ですので、Google Map では違う場所が出るように思います。

なお、ここには日本の座標もあり、日本の宇治市にある京都大学の施設だという座標
34°51'15.66"N 136° 6'24.49"E
も掲載されています。
Google Earth で見ると、このような施設が写っていました。



この画像取得日は 2005年02月21日です。

くどいようですが、この京都の施設を含めて、ここから下の座標のもの Google Map のように「 HAARP 施設」という表記はないですので、何の施設かは私にはわかりません。

ここから下は国名だけ日本語で併記します。
また、Google Map ではないですので、座標にリンクは貼ってありません。


HAARP
High Frequency Active Auroral Research Program
米国アラスカ
62°23'32.36"N 145° 8'31.81"W

HIPAS
High Power Auroral Stimulation Observatory
米国アラスカ
64° 52' 19" N 146° 50' 33" W

Poker Flat Research Range
米国アラスカ
65° 7'37.10"N 147°29'37.61"W
65° 7'48.34"N 147°28'14.05"W
+65° 7' 55.61", -147° 27' 14.98"

Chatanika Incoherent Scatter Facility
米国アラスカ
65° 7'2.84"N 147°27'33.62"W

VOA
Voice of America
米国カリフォルニア
35°45'12.04"N 119°16'48.75"W

Sura
ロシア ニジニ・ノヴゴロド州
+56° 7' 9.70", +46° 2' 3.66"

Institute of Solar-Terrestrial Physics
ロシア・イルクーツク
51°45'35.99"N 102° 6'34.86"E

SAO RAS
Special Astrophysical Observatory of the Russian Academy of Science
ロシア
43°49'44.07"N 41°35'3.90"E

VNITS VEI
ロシア
55°55'26.25"N 36°49'8.46"E

SIBNIIE
ロシア・ノヴォシビルスク州
55° 0'26.41"N 83° 1'50.42"E

VOLNA GP-120
ロシア・ナホトカ近郊
42°51'42.69"N 132°36'50.04"E

PRAO
Pushchino Radio Astronomy Observatory
ロシア
54°49'29.02"N 37°37'59.06"E

UTR-2 URAN (VLBI)
IRA Institute of Radio Astronomy NAS Ukraine
ウクライナ
49°38'5.53"N 36°56'8.11"E (UTR-2)
49°40'27.47"N 36°17'32.24"E (URAN-1)
49°37'51.17"N 34°49'29.80"E (URAN-2)
51°28'20.66"N 23°49'36.92"E (URAN-3)
46°23'46.11"N 30°16'22.52"E (URAN-4)

ALWIN MST Radar
ノルウェー
+69° 17' 54.41", +16° 2' 31.48"

ALOMAR Observatory
ノルウェー
+69° 16' 42.38", +16° 00' 33.36"

IAP
Leibniz Institute of Atmospheric Physics
ドイツ・キュールングスボルン
54° 7'6.03"N 11°46'11.88"E

TIRA
FGAN-FHR Fraunhofer
ドイツ・ヴァッハトベルク
50°37'1.59"N 7° 7'46.87"E

NMRF
Nerc MST Radar Facility
Capel Dewi, Carmarthenshire, Wales, United Kingdom
英国ウェールズ
+52° 25' 28.26", -4° 00' 19.59"

São Luiz Space Observatory / ブラジル
-2° 35' 40.47", -44° 12' 35.90"

Ionosphere Observation Network
Chung Li National Central University Taiwan
台湾桃園県

24°58'3.73"N 121°11'10.59"E

MU Shigaraki Observatory / 京都大学 RISH日本宇治市
34°51'15.66"N 136° 6'24.49"E

by kanakin_kimi | 2012-12-21 09:14 | HAARPの地震気象変動軍事 | Comments(1)

患者学のエアーポケット

それは死


人は「死」を特別な位置においている。それは何故だろう
か、崇高なものをそこに見ているようでもあり、それで終わりだと宣言しているようでもある。人の一生を眺めやることが出来たものは、どれほどいるだろうか。生まれたとたんに死んでしまったものには、生自体もわからない。
長く生きてきた人でも、そんなこと考えるゆとりのないものも、かなりいたのではないだろうか。
そういう人たちにとっての「死」は「恐怖」や「人生の終わり」「世界の終末」になる。
しかし、現実にはそうではなくて、世界も続いている。
人はその永遠を見ていたいのに「死」はそれを奪い去っていく。この「死」の見方次第で、人は自分の生き方次第を作っているようだ。そうだとすれば、「死」の見方は重要である。
私はやっとそのことがわかるようになった。ひと独りの「死」は、その人の「細胞」と同じなのだ。
だけれども、ひと独りの命はそのひとの細胞の命とどこかが違う。その人の思考力と、獲得した認識という財産がその人の死で終わりとなることを認められないという人の場合は少し様子が違ってくる。
その人の場合はどうすればいいのだろうか。簡単なことだ、長生きすればいいのだ。
云うのは簡単だけれど、今70歳のひとがこれまでに獲得してきた思考力や獲得した認識をこれから使いたい、やっとこれから見えるようになった世界に挑戦したいという思いでいっぱいだ。
そこで、考えさせられることがたくさん出てきました。それはどうやら自分自身が賢くなることを追求し続けることにあるということに気がつきました。自分以外の他のひとに求めるのではなく、まさに自分自身に求めるというスタンスをとり続けることだというのです。そのことがどういう意味を持つかは考えなくてもよいというのです。ただひたすらに自分自身が賢くなるようにすることだと云うのです。
そして、大切なことはそれを独り占めするのではなく公開することだと云うのです。
それで、自分自身が賢くなることが、みんなが賢くなることにつながるのだということのようです。自分のために賢くなるための十か条を作ってみました。

賢くなるための十ヶ条

【第一条】 自分の無知をさらけ出せ。実際70歳になっても、知らないことだらけなのですから。

【第二条】 自分の身体を知ることから始めます。膝が痛いとか、時々内蔵がない右の肋骨最下部の下辺りが急に痛くなるのは何故か。今通っている小川眼科で二年になる白内障の手術を左右の目を行い、右目の加齢黄斑変成の網膜しわや血管異常にアパスチンなどの眼球注射をしている。これらの患者経験から気づかされて、お医者さんが看護師さんがいくら献身的に対処していただいても、自分自身が不健康なことをしていたら、直るものもなおらない。それで、ラジオ体操を毎日妻としています。その後雨でなければ出来るだけ無理のない範囲で、町内を一周走ります。そして、自分の身体にあった、腕の上げ下ろし筋力強化策に竹刀を振る剣道の稽古の基本ですが、素振りを二百回しています。

【第三条】 粗食を楽しく腹八分目。ずーっと粗食ですが、より考えた粗食です。菜食主義ではありませんが野菜がほとんどです。貧乏人が豊かに暮らすためには、野菜を自給できるようにする工夫をすることだと気づかされました。社会的に工夫すればソ連のダーチャ方式があるそうです。

【第四条】 妻が云うのは、徹底的にひとに迷惑にならないケチを追及することだそうです。

【第五条】 身体の健康を維持するためには、自己治癒能力を活性化させることだそうです。そのためには常に新陳代謝を行うことです。自分の身体の性は、男は男の女は女の機能から発生する分泌するホルモンと精神的機能との連動がありますから、それを大切にすることが最も簡単に新陳代謝を促進します。それを使わない手はありません。そしてそれを辛抱することが極意のようです。

【第六条】 精神の健康を維持することなくしては長続きしません。第一条が素直に打ち出すことが出来れば、およそ精神の健康は維持できるといいます。何も知らないものが、ひとに偉そうなことを言うはずもありませんし、知りたいと思うことばかりですから、人様に教えを乞うことに壁はありません。これがなかなか維持できないものだそうです。ちょっと知るとひとさまに教えを垂れるそうで、妻からすぐに云われます。あんたは貧乏人ね、金持ちはひとにいわない。というのです。

【第七条】 自分の目標を近くにおき、目的をずっと遠くにおくことだそうです。私の目的は、宇宙のすべてを認識することで、目標は、自分と自分の周りのことを認識することです。

【第八条】 横八の字ムゲン印を描いている30センチ先の鉛筆の先を両目玉で追っていくのです。そうすると眼球の筋力増進にいいようです。遠くを見たり近くを見たりと遠近トレーニングも眼球筋力を増進します。そうすると視力もよくなってくるようです。これは、どうやら目の問題だけではなく、賢くなる重要な意味合いがあるようです。

【第九条】 宇宙のすべてを認識するということは、無限を認識することでもあります。宇宙の全ての事象の情報を認識するということは、リアルタイムに認識するということと同じです。周期性のある事象であれば、その既知の情報と概念である程度補足できます。しかし、リアルタイムに認識することと、宇宙のすべてを認識することは不可能とされています。現在は、それを既知の階層構造の情報を連結させて再構成可視化させる方法をとっている。ところが、無限の概念に拘るものにはなかなか理解されないようです。これはたんなる無理虫というものでしょう。

【第十条】 さて、とうとうここまで強引に引っ張ってきたのですが、せっかく獲得した認識を自己中に閉じ込めてしまうのはもったいない。ひと独りの命を、そこに閉じ込めておかないで、解放形にすることが獲得した認識の生き残り策であることです。
そこで、誰もが閉じ込めるであろう原因は何かを追求してみました。それは、先ず第一条の問題でつまづいている場合があります。つぎに、無知をさらけ出す相手を「神様や仏様」に下駄をあずけている場合です。つまり、追求することをあきらめてしまっているわけです。その一つを代表として取り上げると「無限」の概念に決着を付けていないことです。私の決着の付け方は次のようなものです。

【「無限」の概念と「真実」の概念は同じである。】というものです。

「真実」は、「実態真実」と「仮想真実」に大別される。
「実態真実」は、実際にある全ての実態であり、「仮想真実」は、実態真実を観察し、味わい、分類し、定義付け、分析して構造を特定し、データーを蓄積し、情報として再構成し、それを実態真実により近づける作業を人類は行ってきた。だから、今日積み重ねられた仮想真実の量は、実態真実を「バーチャル映像」で可視化してくれるほどになっています。
さて、このように究極に向かって「仮想真実」を積み重ね・積み上げていっても仮想真実はあくまでも仮想真実であって、実態真実と同じというわけにはいきません。「実態真実」はリアルタイムに変化しているのです。そこで私は、「実態真実」を「空間に広がる質量の連続」と定義しています。
まさに、捕まえきれない「無限」と同じである。
「無限」を「真実」と同じだ云うのは、それぞれ概念を表現している「言葉」だからです。したがって、この場合も「実態無限」と「仮想無限」を想定することが出来るのです。現在の「仮想無限」のデーターが天文台で計測されたり、衛星による観測データーなどがどんどん蓄積されています。そのデーターはすべて「仮想真実」のデーターと重なるわけです。ですから、同じだと云うのです。
ロマンチストが「真実は一つだ」といって、思考停止しているのと同じあやまちを繰り返しをしてはいけない。これと似た問題に「宇宙」があります。これも「実態宇宙」と「仮想宇宙」とに分け「仮想宇宙のデータ」が積み重ねられていると考えれば、誤ったデータを「真実」だと強弁する愚かさにも笑えるでしょう。「宇宙は一つ」ではないのです。ですから「宇宙創成のビッグバン」はありません。それでなくても、あっちこっちで「大きな星々の爆発」と云うのは観測されています。
これらでわかることは、「実態は全て相対的で絶対化できない」のですが「仮想の概念上では絶対化出来る」ので言葉上・観念上で描けるということなのです。

by kanakin_kimi | 2012-12-16 16:32 | 患者学 | Comments(0)

告発 3 つづき

(16) 床の間の状況(371~375)
部屋の北西には40センチ西へ出張った、180センチ巾の床の間がある。
この床の間には(写真のとおりー省略)向かって左から、懐中電灯 1個があり、全面的に黒く表面が焼燬変色している。スイッチは断となっている。これは古いもので、点灯できなかった。
その右に、アロウ印8ミリフィルムの箱入りのもの2巻があり、他にもフィルムがあるが焼けてしまって形がくずれている。さらに丸い缶に入った8ミリフィルム1本があり水にひたっている。
この右には、ガーゼとはさみの入った、高さ17センチの角の缶が焼けて黒くなっている。中のガーゼの一部分も焼けて黒くなっている。
その後ろ側(西側)に掛け軸の軸だけが黒く表面炭化している。缶の向かって右に割れた化粧鏡の枠だけが床面に接してあり、さらにこの右には、うず高くパンヤの焦げて表面炭化したものが山形に積もっている。この下側を調べると、紺色ようの枕の布地が出てきた。
立会人水野庄次郎はこの枕について、専務の枕だと思います。と説明した。この枕の位置は北の敷居端から55センチ離れている。
枕の下には風呂敷に包んだ裁縫道具、針、糸などがあり、上面が炭化している。その奥側には箱に入ったこけし人形があるが、箱だけ焦げている。
裁縫道具の右には、朝日印懐中電灯一個がおかれてあり、すすの状態から、点灯してない状態で、つけると点灯できる。全面的に表面が黒く変色、水に濡れ、前面のガラスも薄黒く曇っている。
この右には木箱に入ったガーゼ、絆創膏、ペニシリン、目薬が入っており、薬箱と認められ、蓋の表面が黒く焼燬し、内部の物も黒く変色している。
この薬箱の後ろの側に、トリスウイスキーのポケット瓶一個があり、約八分目くらい残っている。この蓋は、上のカップが熔けて密着し開かない。
これらのさらに右には、ブリキの平たい裁縫箱があり、蓋は土砂をかぶり、赤く錆び、中も鋏・ミシン糸・針・かみそり、中学用の釦などが黒く焼けて変色している。
箱の右、最も北隅には、焼けて残った洋傘の骨が立てかけてあり、その下に福井銀行と中央金庫の大型長方形マッチ箱があり、両方とも水をかぶってふやけている。中央金庫のものには、軸の頭薬が赤色で四分の一くらい入り、福井銀行のは黄色と緑の二色が別々に入っており、ともに約二分の一くらい入っていた。両方の軸木は普通より太いもので、水と熱で箱は変色している。頭薬は外側の箱の部分が焦げているところに接しているものは燃えているが、他はそのままある。
このマッチの上へかぶさるように、額縁の半分が焼け残ったごとく、40センチ×30センチにコの字型に木の枠が立てかけられている。
これらのすべてを取除くと、床の間は板張りで、東側の前面のみ炭化し、一部南側において奥の板が変色している。床の間の壁は全般的に表面が黒く焼燬している。この床の間の状況は写真ー143・145・147・1(不明)0 参照。


となっている。この不明となっている写真も含めて、各番号に訂正印が押されている。そして、この写真【1(不明)0】は添付されていない、添付しておいたがいつの間にか抜き取られたという状況が読み取れる。つまり重要な「真相が映し出されている」写真なのだろう。
さて、これまでの記述でも既に明らかなように、藤雄の死体も「発見された場所」で死んでいたのではないことが明らかになった。そして、藤雄の眉間から吹き出した血液が床の間前に血だまりを示す蚊帳や布団の焼け残りに示されていた。しかも、藤雄のズボンやそれに入っていた財布(15000円=今の金では約15万円)があり、オープン(開襟)シャツがそれぞれ背中の部分が焼かれて、前の部分が残っていたのである。ここで少し横道に入るが、犯行着衣とされている「五点の衣類」のズボンと開襟シャツはどういうわけかこの「藤雄のズボンとオープン(開襟)シャツ」にそっくりなのである。事件発生が1966年6月29-30日で、起訴が9月9日、捜査本部解散が10月31日、翌年1967年8月31日味噌工場1号タンクから「5点の衣類」が出現、起訴から一年経って犯行着衣を「パジャマ」から「五点の衣類」に変更、これを強引に「袴田巌のもの」にするために、年老いた母一人がいるところを見計らったように、浜北の実家に家宅捜査を行い、タンスの引き出しから「あった!」と「ズボンの共布」を捜査員が手にあげた。
袴田巌の犯行だとする「唯一の証拠」がこの「ズボンの共布」なのである。
袴田巌が無実であることを示す大量の事実には「無視」を決め込み、強引に作り出した証拠「五点の衣類とズボンの共布」を決定的な証拠としているのである。
この「犯行着衣としている五点の衣類」の「濃紺色のズボンと鼠色のオープン(開襟)シャツ」は、「藤雄が着ていたオープン(開襟)シャツとズボン」にそっくりなのだ。
この事実を十分考えるべきだろう。つまり、藤雄が土蔵二階でちえ子と雅一郎を殺し、井上・市川らに全ては自分がしたことであるから後のことを頼むと遺言して床の間で自殺したのである。
このことを知っているものが、「五点の衣類を準備する時」に「犯人像」として「藤雄が着ていた衣類」の「イメージ」から逃れられなかったということなのである。

では、何故藤雄の死体は裏口通路で発見されたのであろうか。床の間とその前付近に藤雄が死んでいた事実と結びつく証拠群が示されていた。ということは、「床の間前にうつぶせに倒れ込んだ藤雄の死体」が裏口通路へ運ばれたことを示す何らかの証拠がその間にあるはずである。
そこで、床の間から表八畳間・表応接間・表口通路・裏口通路を検証している「検証調書」を調べると、この同じ第10分冊の325丁【 10、表八畳間の状態】 の中の 335丁以降の【 (7)北側の寝具の状況 】にそれはあった。以下のものである。

【(7)北側の寝具の状況】
 最も北の布団の状況は、マットレスの上に敷布団があり、この上に白カバーのかかったエンジ色の掛 布団があり、敷布団の西南寄りに丸められたようにあり、ところどころ焼け焦げ中の綿が出ている。
 掛布団は汚れて丸められたようであるので、これを広げて衿布のかかった部位を西枕に合わせた状態 で検すると、
 (A)北西角から南へ20センチのところに径約9センチの血痕が布団の端に見られ、
 (B)北西角から東へ30センチのところに、20センチ×10センチの範囲で血痕があり、これより先は一  部焼失している。
 (C)さらに、(B)と北西角の間に長さ10センチ 巾 2センチ の横に長い血痕、
 (D)そして、北西端より東68センチ部位を中心に横(布団の長い向き)に長く 40センチにわたって、
  卵大 1、母指大 1、大豆大 5 の血痕が点々とついている。
 これらはいづれもカバーの上から下へしみ込んでいるものである。
 布団をのばして見ると、中の綿は各部にわたって焼失、約半分くらいになっている。そして水を吸い 固くなっている。(写真 132,133)
本職は、この布団はカバーと共に、前記捜索差押許可状によりこれを差し押さえた。


以上の(7)の前(1)から(6)と(8)い後の文章は省略した。これによって見事に床の間前の藤雄の死体を移動した事を示してくれている。この事実を次のように云うことが出来る。
「床の間前に倒れ込んでいる藤雄の死体を4人ほどの男が、両手両足を持って、運んでいる。その際、眉間から出血しているその残りの血液がこの北側に敷かれていた敷布団・掛布団の北側端を出血している部位が通っていった。」のであろう。したがって、これ以降の点滴する血液は、藤雄の死体が発見された裏口通路まで点々と残されていたはずである。沢口さんの科捜研ならルミノール反応液を噴霧しながら追跡したであろうが、と残念には思うが、しかしこれでも十分証明されていると思う。
では何故、この掛布団は丸められていたのか、また、藤雄の濃紺色のズボンと鼠色のオープン(開襟)シャツは、前の部分しかなかったのか。そして、前の部分は何故残っていたのか。
また、ズボンのポケットにあった二つ折れ財布前記財布と記載されていながらこの「前記財布」は掻き消えてしまっているのは何故か。

それは、昌子をよろしく頼むとお父さんから依頼された人々が、お父さんが自殺した後「ストーリーを昌子と切り離す」という事が中心課題であるからである。

【発端となる事件】は、「藤雄の自殺」で終わる。したがって、その時点での「死体の位置」は、つぎのようになっていたはずである。
【1階母屋】「表8畳間の寝室」は布団が2組敷かれている。
「ピアノの間」には、1組の布団が敷かれてある。その掛布団の上に仰向けになってあごをあげ加減で左額の銃創らしい穴から血が噴き出し、両眼窩に溜まりあふれて2条の筋と左額の銃創付近の1条の筋の3ヶ所から頭の位置の掛け布団に血が滴り落ちている。一発目は布団又は畳に銃の穴があるはずである。撃つつもりではなかった二発目が衝撃の反動で撃発し、額の穴を創傷したものと思われる。
【土蔵2階】の「弟の部屋」。藤雄が銃を持って階段を上がっていった。斜めに敷かれた布団の左又は右方向に、雅一郎の背後からちえ子が被さるようなかばったかっこうの、ちえ子の右あごが左鎖骨あたりにくっついている(後ろを振り向き様、やめてー!という声が聞こえてくるような)状況の丸めた背中に2発の銃弾が撃ち込まれた。弾丸が突き進む方向に銃創ができている。それをつなげると、【ちえ子の】背中の傷ー左鎖骨の中から突き出したと思われる2連の穴ー右あごと右頬の2条の引き裂いた傷ー【雅一郎の】後頭下部からー鼻柱と右目の間を突き抜けた傷(解剖を担当した医師は添付しているはずだという雅一郎の顔の正面写真が意図的に抜き取られているのか存在しないので、全身写真の顔の部分を拡大した写真で確認。) そして、藤雄は銃を持ったまま、土蔵の二階から母屋の表八畳間の寝室に戻り、床の間に枕をおき、それに座ってポケット瓶のウィスキーを一口二口あおった後、銃口を眉間に当て、足の指で引き金を引いたのである。「一発目の衝撃で頭がはじかれ、その瞬間に2発目が撃発して左口角を抉った」藤雄は崩れるように前に倒れる。その時巻き込むように蚊帳を引き落とし、その端に頭からうつ伏せに倒れた。

【第一段階のシナリオ】
 藤雄からの依頼に従って作った最初のシナリオは、【内部犯行】の[藤雄が犯人]として作られていた。従って、ここでは死体を動かしてはいなかった。
ただ死体には一度目の焼却が施されたと考えられる。

【第二段階のシナリオ】これから冤罪事件へとはじまる。この時点では犯人を誰にするかという目星をつけていたわけではないようだ。
 藤雄の自殺を否定して、【外部犯行】に変更する。従って、自殺を示す事実を隠滅し外部犯行を示す状況をねつ造する。そこでまず、藤雄の死体を裏木戸通路へ移動する。(その時、その部屋には二組の布団が敷かれており、掛け布団は敷き布団の上に、通常通り広げて敷かれていた。死体を移動した際その掛け布団の縁を通る形になったのだろう。掛け布団の縁に点々と血痕が落ちている事実がそれを示している。)

【第三段階のシナリオ】
 第二段階のシナリオに変更する事に伴い、扶示子・ちえ子・雅一郎の三人の死体も第二のシナリオに合わせて移動する事になり「すべてを外部犯行に合理性を持たせる証拠作りを行う」

 第一段階のシナリオを実施した後、様々な問題が発生した。そこで、(市川晃・水野K ・MA 等)に相談して市警察の 富安要氏、県警察の池谷真二氏に相談してはどうかという事になり、その結果第二・第三段階のシナリオになった。そう考えると[初動捜査の段階から見込捜査をする捜査員を優遇し、基礎捜査に徹している捜査員の排除や捜査資料の改ざん・隠滅・ねつ造が行なわれた]ものと思われる。
by kanakin_kimi | 2012-12-11 10:36 | 告発・袴田事件 | Comments(2)

告発 3 袴田巌さんは無実・拘束されて46年目

死体は動かされた 2

前回は、「橋本扶示子さんの焼死体が発見された位置は、殺された位置ではなかった事、殺された位置は布団の上であり、頭部から出血している事を示している布団に浸潤した三つの固まりが焼け残っている。」事を立証した。この布団に浸潤した三つの固まりの血痕鑑定をしなかったのだろうか、検証調書にも記載されていない。


2、藤雄の場合

犯罪現場で鎮火した後、最後に藤雄さんが焼死体で発見されたのは午前7時過ぎの事であった。

下の図は、母屋の死体が発見された図と屋敷全体の図との上下二段になっている。その下段の図の左側の裏口近く土蔵の横の通路に図示されている人が藤雄の死体である。
e0011938_20412840.jpg


刑事第一審(住居侵入・強盗殺人・放火)事件記録、第11分冊(505~781丁)、昭和41年7月20日付、黒柳三郎・検証調書のうち昭和41年7月6日付、春田龍夫・実況見分調書(734~752丁)の中の(737~739丁)に次のように記されている。

【 土蔵東側通路の死体の状況 】

土蔵東側通路には見取図に示すように焼死体がある。この通路は裏出入り口に通ずるもので、屋根は全く焼失し、西側は土蔵の石が露出し、東側は板張りの部分が黒く焼け大部分焼失している。この部分も外は石の壁である。
通路は巾2、85メートルである。そして北側勝手場続きのところの通路東側に便所があり、この南側には 1.4m×1.2m の四角な囲いの部分がある。この囲いの西南隅の杭は地上から30センチの高さまでしかない。この辺は、屋根から落ちた瓦・粘土ようのものおよび炭化物がうづたかく積もっている。

前記杭の南側にほとんど接するように死体の右手と思われる、炭化して骨の露出した手と腕 が堆積物の中から突き出ている。その他の身体部分は全く埋まり、見えない。
この付近のトタン板・瓦・粘土・杉皮の小片などを上から取除くと、下に男性の死体があった。

死体は仰向けに右足を軽くのばし、左足を開いて直角に曲げ、右手は肘を強く曲げて横に突っ張り、左手は肘を上に強く曲げ、額は左側を斜め下にして上を向いている。
身体の表面は黒く炭化しており、上面には着衣などは認められない。頭頂よりつま先(右足)まで測定すると1.7メートルあった。全身埋もれていたので、泥などで汚れているが、特に腹部にはブリキ缶の蓋がかぶさっていたので泥などの付着はない。

左手には金色バンド付腕時計がはまっているが、焼燬しガラスはなく文字盤も汚れており時間は不明である。
死体の外周を掘ると、下はコンクリートの土間で、右手の埋もれていた部分は下から26センチの厚さであった。死体の下側には焼け残った着衣の一部と認められるものがあるが、これには汚れた血痕ようの付着物が認められた。
立会い人 水野庄次郎はこの死体について、専務(橋本藤雄)に間違いありません。と説明した。


以上のように、身体には腕時計以外には身にまとっていた衣類もほとんどなく、出血を示す状況もない。つまり、この場所で殺されたという証拠が全く見られない事である。
そこで、この死体の状況に合致する衣類がどこかにあるはずだと考えて探してみたところ、明らかに作為的な隠し方をしている所にあった。それは真実を書き残そうとする思いと、抹殺しようとする力との闘いの跡であろう、と判断できる所にそれを見つけた。以下のとおりである。

刑事第一審(住居侵入・強盗殺人・放火)事件記録、第10分冊(190~504丁)、昭和41年8月8日付、春田龍夫・検証調書の(325/364~375丁)に次のように記されている。

e0011938_10205034.jpg



【 10、表八畳間の状態 】(325丁)
【 (14) 床の間前の状況(364~368 )
床の間の前には枕の北に、蚊帳の裾部分と思われる空色の一部分が焼け残っており、蚊帳は、部屋北側より110センチ、床の間前より38センチの地点を中心にして、33センチ×20センチの範囲にかたまって、しわまみれになっており、血痕が付着していることが認められる。
この蚊帳の北側床の間寄りには、焼けた財布、その下にはベルトが通されたズボンとシャツの焼け残りがあり、その財布前記財布の中間にカメラの部品・ピドムケースが焼け残っている。
蚊帳をめくると、このピドムケースの下の部分にかけて下敷きとなっていた蚊帳の編み目を通し畳についた、血痕が蚊帳の編み目の形をなしている。この血痕の範囲は 22センチ×14センチ で上の蚊帳もこの範囲同じように血痕がついている。
畳についた血痕の位置は、その中心が、床の間前より23センチ ・北の敷居より 102センチ であった。血痕の北端は、それより北が畳が炭化しているので、畳が残っているところまでしかわからない。
蚊帳の量は両手掌でまとめることが出来るくらいである。写真146参照
この部位は、北の布団の枕元の位置にあたるところである。
本職はこの血痕付着の蚊帳の断片を、前記捜索差押許可状によりこれを差押えた。
前記血痕の北側、床の間の前に接して、焼けたズボンとその上に免許証入れをはさんだ、二つ折れ財布があり、ズボンの北寄りに、ズボンにからむように、鼠色開襟シャツの一部分が焼け残っている。
立会人水野庄次郎は、これらズボン・シャツ・財布を指示し、これは専務(橋本藤雄)のものと思われます。と説明した。
ズボンは電灯の光により、黒又は濃紺色ように見える。布地は化繊ようのものである。
ズボンは、焼けて両足の膝下および腰の前部付近が残っているだけである。
シャツは、化繊ようのもので、大部分焼失し、わずかに前部分が原形をとどめている。写真148参照
ズボンのベルトは、巾1.7センチで、裏が薄茶・表が茶色をしており、三つに焼け切れている。
向かって左のポケットには、やつ折の便箋で、11387K C53,- 603511,-
11387K 40,- 455480,- 
11387K 30,- 341610,- と記載したものと
折り畳んだ 500円紙幣 1枚、および キー 1個、ちり紙 若干、ハンカチ 1枚、古封筒に入った銀紙に包装されている 痔の座薬ようのもの2個があり、いづれもポケットの中へ巻き込まれるように入っていた。
立会人水野庄次郎は、銀色包装の座薬ようのものを示し、専務(橋本藤雄)は痔が悪かったから、痔の座薬と思います。と、説明した。
右のポケット内には、小さなかくしポケットがあり、この中に 5円硬貨 1個が入っていた。
本職は、このシャツ・ズボンを、立会人水野庄次郎より任意提出を求め、領置した。
(15) 二つ折財布の状況(368~371)
ズボンの上の前記二つ折財布は、表面が黒く炭化し、端の一部が焼失している。鹿皮ようのもので、土砂で全体が汚れ、水にぬれしめっている。二つ折の間に免許証入れがはさみ込んである。
そして、免許証入れに重なって、10000円紙幣 1枚、5000円紙幣 1枚 合計 15000円が重ねて四つ折りになり、公給領収書 2枚、昭和41年6月10日付
伊豆長岡温泉あづま発行で、34382円 1枚、 金額不明 1枚、とともに入っている。
財布の中には、名刺入れに 名刺 9枚 があり、被害者橋本藤雄のもの 5枚、および 中央相互銀行静岡支店 池谷楨男、 かねじゅう味噌取締役社長 稲森庄次郎、 本田技研、静岡スバル販売会社小原商会・小原正、清水運送株式会社取締役営業部長・小島元治、各一枚である。さらに、味噌単価カード
一枚、橋本の認印 一個および、紙に包んだ薬 二錠があった。
立会人水野庄次郎はこの薬につき、下痢の予防薬です。と説明した。
これ等と共に、1966年5月19日付の卓上日記の用紙の裏へ  エミ(0534) 2-3425 と鉛筆書きしてあるもの 一枚および、同じ12月13日付用紙の裏へ 明治32,2,25 と鉛筆で書いてあるもの 一枚があり、後者について、立会人水野庄次郎は、社長(橋本藤作)の生年月日です。と説明した。
免許証入れはビニールの青色のもので、中に自動車運転免許証が入っている。
免許証は、昭和39年1月29日交付 静岡県公安委員会・第59421号 橋本藤雄 大正13年8月30日生本籍 清水市横砂651-1 二輪免許 23,6,3  大型二種免許23,2,8  三輪二種免許23,6,3 と記載されており、免許証とともに血液検査証(橋本藤雄名儀)昭和41年1月29日 清水厚生病院発行 A型と記載あるものおよび、右同人名儀の 交通安全協会清水地区会員証が入っていた。写真149参照。
(16) 床の間の状況(371~375)
部屋の北西には40センチ西へ出張った、180センチ巾の床の間がある。
この床の間には(写真のとおりー省略)向かって左から、懐中電灯 1個があり、全面的に黒く表面が焼燬変色している。スイッチは断となっている。これは古いもので、点灯できなかった。
その右に、アロウ印8ミリフィルムの箱入りのもの2巻があり、他にもフィルムがあるが焼けてしまって形がくずれている。さらに丸い缶に入った8ミリフィルム1本があり水にひたっている。
この右には、ガーゼとはさみの入った、高さ17センチの角の缶が焼けて黒くなっている。中のガーゼの一部分も焼けて黒くなっている。
その後ろ側(西側)に掛け軸の軸だけが黒く表面炭化している。缶の向かって右に割れた化粧鏡の枠だけが床面に接してあり、さらにこの右には、うず高くパンヤの焦げて表面炭化したものが山形に積もっている。この下側を調べると、紺色ようの枕の布地が出てきた。
立会人水野庄次郎はこの枕について、専務の枕だと思います。と説明した。この枕の位置は北の敷居端から55センチ離れている。
枕の下には風呂敷に包んだ裁縫道具、針、糸などがあり、上面が炭化している。その奥側には箱に入ったこけし人形があるが、箱だけ焦げている。
裁縫道具の右には、朝日印懐中電灯一個がおかれてあり、すすの状態から、点灯してない状態で、つけると点灯できる。全面的に表面が黒く変色、水に濡れ、前面のガラスも薄黒く曇っている。
この右には木箱に入ったガーゼ、絆創膏、ペニシリン、目薬が入っており、薬箱と認められ、蓋の表面が黒く焼燬し、内部の物も黒く変色している。
この薬箱の後ろの側に、トリスウイスキーのポケット瓶一個があり、約八分目くらい残っている。この蓋は、上のカップが熔けて密着し開かない。
これらのさらに右には、ブリキの平たい裁縫箱があり、蓋は土砂をかぶり、赤く錆び、中も鋏・ミシン糸・針がみそり、中学用の釦などが黒く焼けて変色している。
箱の右、最も北隅には、焼けて残った洋傘の骨が立てかけてあり、その下に福井銀行と中央金庫の大型長方形マッチ箱があり、両方とも水をかぶってふやけている。中央金庫のものには、軸の頭薬が赤色で四分の一くらい入り、福井銀行のは黄色と緑の二色が別々に入っており、ともに約二分の一くらい入っていた。両方の軸木は普通より太いもので、水と熱で箱は変色している。頭薬は外側の箱の部分が焦げているところに接しているものは燃えているが、他はそのままある。
このマッチの上へかぶさるように、額縁の半分が焼け残ったごとく、40センチ×30センチにコの字型に木の枠が立てかけられている。
これらのすべてを取除くと、床の間は板張りで、東側の前面のみ炭化し、一部南側において奥の板が変色している。床の間の壁は全般的に表面が黒く焼燬している。コの床の間の状況は写真ー143・145・147参照。

by kanakin_kimi | 2012-12-11 10:31 | 告発・袴田事件 | Comments(1)