「真実」を受け入れない「壁」がある

その「壁」は、何だろうか。
それは、その「真実」を受け入れたくないという意志と、その「真実」を社会に拡げさせないための力を持っているものが、その力を発動しているということである。
たとえば、その一つを例に挙げると、
「袴田事件」と呼ばれる冤罪事件の「発端となる事件」で、第一審静岡地方裁判所の死刑判決を書いた裁判官が、40年を経て、自分の書いた判決は間違っていた、わたしは無罪の心証だったので「無罪判決」を書いた。しかし、合議で裁判長を説得しきれず、「有罪判決」を書くはめになってしまった。袴田さんには申し訳ないことをしてしまった。と、記者会見で「懺悔」した。
いままで、永い間弁護団が展開してきた、袴田巌が無罪であるとの証明でも充分であるが、それでも「再審開始」を認めてこなかった、司法当局は、この「懺悔」をどのように受け止めるのであろうか。
いまのところ「無視」を決め込んでいるようだが。
# by kanakin_kimi | 2007-03-25 23:30 | 袴田事件 | Comments(0)

ありがとう熊本典道さん

深夜の電話があった。君子さんが明るい声で応対しているのが隣の布団の中で聞こえた。
しばらくその明るい声の会話を聞いていた。昼に電話があった福山のいずみさんからだと思っていた。すると、かなざわ藤木さんからよと受話器をよこした。
興奮した、藤木さんの声が響いてきた。金澤さん、すごいことが起きたよ。
いまテレビで、判決を出した裁判官が袴田さんにすまない、もうしわけないと涙ながらに語っていたよ。
わたしは、一瞬なんのことかわからない、その一瞬の永さを感じながら、ど!,何処のテレビよ!
と云っていた。
10っチャンネルだよ。
秋山さんががんばったな!とわたしがいったら、これはもう!平野さんだね。平野さんが袴田さんに自分の命を替わりにやったんだね。と、藤木さんが叫んでいた。
1966年6月30日未明に静岡県清水市横砂の味噌屋橋本藤作商店専務の家から出火、焼け跡から4人の焼死体が発見された。その味噌屋で働いていた元プロボクサーの袴田巌さんが犯人にされ
一審静岡地裁で「死刑」の判決が出された。その「判決」を書いたのが熊本典道さんだ。
その「判決」を書いたあと、熊本典道さんは裁判官をやめ弁護士になったと聞いていた。
藤木さんからの電話が「夢」ではないことを祈りながら、きょうはもう眠れない、と思いこれを書くことにした。
1999年7月1日付け「清水・袴田通信」に次のような文章を書いていた。
袴田さん! お元気ですか!!
巌さん、あなたが『無実」であるのに、理不尽にも、警察・検察そして裁判所の、むりやりゆがめた「事実認定」によって、永いあいだ自由を奪われておられることに、心から御見舞い申し上げます。
わたしは、巌さんの『えん罪」は捜査当局の強引な証拠のねつ造によって、つくり出されたものであることを知っています。なかでも「5点の衣類」が中心証拠とされ、「有罪」の「決定的証拠」とされています。
この「5点の衣類」は、捜査当局と一部の元従業員の連携プレーでねつ造されたものです。
わたしは、あなたの『えん罪』は「捜査当局によってねつ造された証拠」が「有罪の決め手」とされている「えん罪事件」ですから、これほど長期になっているのだと思っています。
一方、わたしは「人間の良識」について悲観していません。
警察という組織でも、検察という組織でも、とりわけ、裁判所の組織でも「良識ある人間」がいることを確信しています。
「良識ある人間」が排除されるような「組織」は、かならず崩壊してしまいます。
また、「良識ある人間』がそれぞれの「組織』にいるなら「袴田巌』さんが「無実の罪』で放置されていることをだまって見ていられるだろうかとも思います。
[Dansk rets historie]という本をデンマークで買ってきました。
『ダンスク レッツ ヒストリエ』と私には読めますが、「日本の法制史』にあたるもので「デンマーク法律史」といっていいのでしょう。
しかし、文化の奥深さが違うように思うのです。[rets]は、『正義・公正・特権・法律・法廷・まっすぐに正しく』などと意味しているのです。
わたしには、『正義の歴史』と読め、感動しました。
『日本の法制史』は、どうも、わたしには『支配者がつくる制度の歴史』によめるのです。
2007年2月27日午前1時16分、これを読み返して、わたしはただ「熊本典道」さんに感謝するだけです。
# by kanakin_kimi | 2007-02-27 01:22 | 袴田事件 | Comments(0)

教育現場で起きている問題の元凶

生徒がいじめ問題で自殺をしたり,先生が親から追求を請けて自殺したり,教育現場に様々な混乱が起きています。
ところが、その一方で政府と自民党は、「教育基本法改定」に血道を上げ、全てがそれで解決するかのように思っているらしい。
しかも、「教育現場」そのものに於いても、本当の原因を見つけ出そうとする真剣さ、真摯な態度が少なくとも一般の私たちには見いだすことができない。
そして、まじめな一般の先生達は、ますます「ストレスに苛まれ」「おろおろするばかり」のようにみうけられる。
圏外のわたしには、はっきりとその原因が見えている。あの、教育現場の人減らしを進める為に「日本生産性本部」を導入して「生産性運動」をすすめ、教育現場に「効率』を持ち込み「人員削減」を進めてしまった。この時から、教育現場が今日の状態になる原因が導入されたのではなかったのか。教育現場のみんなが、それを知らないはずはない。だから、そこに「原因」があると言えないものだから、政府と文部省を始め教育委員会、教育現場のトップ、日教組が三すくみの状態で身動きとれない状態なのだ。教育現場の信頼関係はズタズタにされてしまったのではなかったか。
それをどのように修復しようとしてきたのか、目先の方法論にばかり手をつけていて、本当の信頼関係が構築されるのであろうか。
そういう状態を、子供達が知らないと思っているのだろうか。子供達こそその状態を見抜いているのではないのか。
そうではないと言うなら、はっきり原因を示してみたらどうか。
学問こそ、「真実」が何かを見いだす力を身につけるものではないのか。
# by kanakin_kimi | 2007-02-01 22:15 | なにかがわかる | Comments(0)

「美しい国」に大衆が住めるようにしよう

全国の地方自治体の首長、都道府県の知事がますます、内務官僚(自治省・厚生労働省・警察庁などの旧内務省官僚で、現在は旧内務省のかわりに総務省・内閣府となっている)を起用してきている状況がでている。道府県の警察本部長も「公安」人事で占められてきている。
これは、事実上「内務省」を復活させていると言え、特定のところに「秘密」が生じはじめている。「小さな政府」の効率的な再編は、必然的に帰着するところなのかもしれない。しかし、そこに「国家主義的支配」の論理が働かないであろうか、「人」によっては必ずしもその枠組みに入らない者もあるだろうが、事は組織的なのです。「人」の思いや信念は常に大きな組織に押しつぶされてきました。
それは、いつでも必ず一つの「美しさ」をささやきながら、一つの「真実」を掲げて行われる。それは「国を守る為に」ということなのだ。
しかし、そこにあったはずの「人」が次第に失(う)せていくのです。
このことの意味、意図を見据え、暴走しないようにシビリアンコントロールしておかなければ危ない。その為には、大衆が主人公であることを常に教えてやらなければならない。そのためには、大衆が賢くならなければならない。
つまりは、大衆の一員である指導者が「指導者原理」で「支配の道具」に使わせないことであり、秘密はつくらせないことであり、すべてを大衆に公開させることなのではないかと思うのです。
(『指導者原理』とは、一つの組織を支配の枠組みに取り込む為に、その組織の指導者を取り込むことによって、その目的を達成すると言う政治手法。道州制を進める中で、地方自治体を独立させながら、実質的にその地方自治体の首長を内務省から送り込んだ人物を起用させることによって、その地方自治体の支配権を握ろうとするものです。)
# by kanakin_kimi | 2007-01-07 09:26 | なにかがわかる | Comments(0)

ブッシュの混乱の意味するもの

010911が発生した時、その直後に日本で報道されたテレビ映像では、「チェイニーとラムズフェルドが、うしろめたい表情をのぞかせていた」のを私は見逃さなかった。その時大統領である「ブッシュJr」は横に置かれていた、と私には見えた。
いつだったか、大統領ブッシュJrが顔に怪我をしている映像が流れた。あの時、ああ、弟ブッシュJrに殴られたな。と私は見ていた。
ブッシュパパは、弟ブッシュJrを大統領候補にはしなかった。何故か、弟ブッシュJrは性格が乱暴で激し易い人物だから、だろうし、大統領ブッシュJrほど優しくなく、人望もない人物なのだろう。
だから、ブッシュパパは大統領ブッシュJrに「911計画」に加えなかったのだ。と、私は思った。
大統領ブッシュJrに、ずっと「大統領」を演じさせてきたのだろう。
やっと、大統領ブッシュJrは、腹に据えかねてきたのだ。
ラムズフェルドの更迭と、イラクからの撤退を決断した。
弟ブッシュJrらは、「撤退の時期が早すぎる」とねじ込んだ。
彼等の感覚は、「謀略」に関わったものの感覚だ。
騙されたものの感覚ではないし、911にWTCにいて殺された人々や、それを機にアフガニスタンとイラクに侵略した戦争で大きな被害をこうむったものの感覚とは、はるかに遠くかけ離れている。
彼等には、自らが、死ぬほどの思いをしなければわからないのかもしれない。
いや、それでもわからないのだろう。
最早、同じアナの狢の連中も含めて、彼等を相手にすることはない。
「直接民主主義」の国を作ることだ。
それは、日本でも同じことだ。
# by kanakin_kimi | 2006-12-07 23:04 | 911 | Comments(0)

グリーンランドの氷が解け、バルトの海底が隆起

地球の温暖化現象がさらに進んでいる。温度差が大きくなるから上昇・下降気流が激しくなる。そうすると、台風の規模が大きくなり、竜巻が増える。
私は、以前からアメリカのハリケーンの被害状況をテレビで見ていて、建物の構造を変えるべきだと思っていた。
わたしは、土地の広さを確保でき、金があれば、鉄骨ピラミッド構造、3センチ厚アクリル樹脂透明板でそれを覆うという5階建ての建造物にして、一階を菜園・養鶏・養魚・養豚場にして、2階・3階を居住区、4階・5階にサンルーム室を中心とした・クリーニング・菜園空間というイメージのものにしたいと思っていた。
このようなピラミッドの形だと、ハリケーンにも耐えられるのではないかと思っている。
しかし、これを一世帯で実現することは出来そうにない。これを実現するためには、こういうアパートメントにして、100メートル四方単位の区画ごとに、底辺100メートル高さ100メートルのピラミッドを作れば、それを100世帯を1コミューンとして、節約型で、太陽光発電・風力発電を取り入れ、雨水は地下の貯水槽に収容し、浄水装置を設け、ごみ・糞尿の再利用処理装置も設備したコンパクトな防衛方法になるのではないかと思う。是非アメリカで実現してほしい。
温暖化は、北極と南極の氷を解かしており、各地の氷河を小さくしている。この進行に歯止めが利くのかどうか危惧される時、これは役立つはずだ。
さて、温暖化は、グリーンランドの大きな高さ2000メートル級の氷の塊も容赦なく解かしている。この氷の重さで中央部が200メートル以上も沈んでいるというから、氷が解けるに従って、沈み込みが反転していくことになる。
また、バルト海もその大昔、グリーンランドと同じように大きな高い氷の塊があって沈み込んでいた所だそうだから、今は氷が解けてしまって、反転して海底が隆起している状態である。解けた水が水位を上昇させ、バルト海周辺の低地を浸水し始めているのではと心配している。
# by kanakin_kimi | 2006-12-03 21:30 | p100システム・地域の避難装置 | Comments(0)

平和に、平和に、移行せよ!!

今、もはや右と左の闘いではない。ましてや、社会主義と資本主義の闘いでもな
い。
世界史は、「直接民主主義の時代」にはいっている。
社会主義陣営を凝しているものも、資本主義陣営を凝しているものも、それぞれ
に利権と権力を手放したくない者が、真実を隠蔽するものが「一般大衆の敵」に
なっている。
「一般大衆」には、「真相を解明する者こそが味方」なのである。
「真相を隠そうとする者」と「真相を解明する者」が「あらゆる分野」で「対
峙」しているのだ。
アメリカで、「真相を解明する者が血を吐きながらもがんばっている。」そし
て、日本でも、日本でも、「真相を解明する者が立ち上がってくれ」とさけんで
いる。
自分の足元を見るがいい、自分の立つところはどこか、父は、母は、兄弟姉妹
は、みんな一般大衆ではないのか。
「一般大衆」の敵は、全ての「真相を隠そうとする者」である。「アメリカの一
般大衆の声」はそういっている。
# by kanakin_kimi | 2006-12-03 06:29 | 世界革命 | Comments(0)

視点

人の見る目は、その存在の空間と時間に規定されている。それが一人の視点である。

しかし、人が増えれば、その存在が広がる。

そして、人は一人の中に閉じ込めなければ、空間と時間をつなげられる。

また、人はつなげる意思を持つことができる動物である。

つなげる意思を持つものによって、「空間と時間」を克服した。
# by kanakin_kimi | 2006-12-02 16:29 | 特殊相対場論 | Comments(0)

みんなが、賢くなるように、すればいい?

いろんなことがいわれる。

それは、いろいろな立場から見た意見が、その立場から言われているからです。

それは、いろいろな温度差があるように、そのいろいろな温度から云われているからです。

そして、それは誰のためでもない、自分のために言えば一番説得力があるのです。

そして、それが一番自分を賢くすることになるのです。

そうして、みんなが賢くなれば、いろんな問題が・問題と思われていることが、解決していく。

だから、みんなが、賢くなるように、すればいいと思うのです。

さて、ここまでは誰でもわかることです。では、「みんなが賢くなるように、どうすればいいのか」

と考えてしまうが、実はそれをやめることである。

自分が賢くなるように、自分のために言えばいいのです。これは誰にでもできることだからです

。こう云っているのは、自分のために云っているのです。
# by kanakin_kimi | 2006-11-27 09:45 | 世界革命 | Comments(0)

世界史は-直接民主主義の時代-にはいった

民主主義が人を成長させるといいます。一人一人が賢くなれば、指導役を果たしていた「党」や「議員」がいらなくなります。
「政党政治」は、草の根民主主義の発展と共に「直接民主主義政治」となりますし、議員による「代議員政治」も一人一人の意思表明が集約される「直接民主主義政治」となります。それが、「コミューン」という枠組みなのだろうと思う。
いまでも、町内会の活動がされていて、ごみの分別収集などで役割分担をしてボランティア活動が行われていますから誰もが身近に知っています。
その活動が、議会がやっている活動にまで役割分担した形だと考えればわかるでしょう。
「国」「県」「市・町・村」という枠組みが変わっていく時代に来ているようです。「道州制」といわれたり、「市町村合併」による「広域行政単位」の着地にあおられているようだが、何のために、誰のためにという肝心のところが「主権者である市民にわかる形で進んでいるとはいえない」ましてや「市民の主体的な選択」とは程遠いようだ。
それは、旧内務官僚たちが「実権を握ろうとして進めている計画」の道筋に誘導しようとしているからである。
「直接民主主義政治」にはいる前に、その枠組みを作ってしまいたいのだろう。しかし、それは最早成功しないだろう。
何故なら、旧内務官僚たちのやろうとする理念は、「支配の論理」だからである。ボーダーレスがいわれ、国家の枠組みを超えていこうとする「EU」が示している時代に、「国家」を再構築しようとしているのだ。
そのような考え方で、「アジアの平和」を「アジアの人々と共有」することが出来るであろうか。
# by kanakin_kimi | 2006-11-25 00:22 | 世界革命 | Comments(0)