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日本の直接民主主義議会をつくる 3

日本では「歴史学」は、「国文学科」の中に押し込められている。どうしてそうなっているのだろうか。「なんで、そうなるの!」
これは、日本だけのことなのだろうか。
博士号をインターネットで調べた限りでは世界的にも「歴史学博士」というのは見当たらない。
そうだとすると、まだ世界的にも「歴史学」は独立しておらず「歴史」に対する認識は少なくとも「学会」という世界では「支配の論理」の下に抑え込まれているという事なのだろうか。
そして、その事が全ての「真相解明」といういわば「学問」そのものに対しても影響する抑圧のシステムとして、いまだにその力が働いている事を明瞭に物語るものだというのだろうか。
わたしが本屋さんで本を探していると、どういうわけか「小松茂美」の本がわたしの眼に飛び込んでくる事が度々あった。たいていは「小松茂美」の本は高価で、古文書の中でも金泥書などをイメージする貴族趣味で胡散臭いものという印象がありましたからズーッと敬遠していました。2010年5月に亡くなったことを知った。彼が広島で被爆した一人で、父親が国鉄に勤め駅長をしていて、その関係からか国鉄に勤めながら古筆に思い入れがあり、厳島神社の「平家納経」の研究をやり遂げ、前人未到の古筆学を創立したということを「満身これ学究」という本で始めて知りました。迂闊といえばそうですが、そのとき以来わたしから小松茂美の本が離れて行った。そして今度は、わたしが追いかけている。
「満身これ学究」を読むと、彼が何を求めて古筆学を創始することになったのかが見える思いがする。
何故、あれ程の熱情を古筆学大成という一点に注ぎ込んで来たのか。
彼の背景にあるのは「天皇制」ではないだろうか。もちろん、彼のそれは皇国史観とかそういう取り巻きがつくるものではなく、自分自身のルーツにある、天智ー藤原系統からはずされた末孫ではないだろうか。
だから、「古筆学を創始した意味がブーメラン現象を自分自身につきつけたのではないか。」
従来「書誌学」の範疇にあった「古筆」が独立する意味は、「古筆のたどった分散に対する強烈な収集
と再構成」にあったのだろうか。
「古筆学」は、「書誌学」の範疇にあった「古筆」から独立して何が生まれているのだろうか。
そもそも、「書誌学」は今日の「歴史学」の中でどの様な存在なのだろうか。
わたしなどの気楽な立場からいえば、図書分類法で示されている「歴史」でいいではないかと思うのだが、そこに「権力や権威(ステータス)」それから「支配と集り(たかり)」が形成している「あだ花」のように思われてならない。
しかし、それだけだろうか小松茂美が精魂を傾けた「古筆学大成」は分散の死に目にあった「古筆切れ」を強烈な収集と再構成によって「歴史学」の貴重な資料として蘇らせたことにあるのではないだろ
うか。そうだとすれば、高価な本という状態に置いておく意味はなんだろうか。
そこに「歴史学」が学問として独立していない問題が見えてくる。そして、その点にこそ古筆学創立の
狙いがあったのではないかと思うのである。
このことは、直接民主主義議会をつくる上で一つの材料を提供してくれる。
by kanakin_kimi | 2011-03-04 10:36 | 直接民主主義


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