政党政治の終焉と直接民主主義議会への道筋 2

質問の中で、「••••••への切り替えは早すぎた」というものだったかがある。それは、菅内閣の形成を意味していたように思う。この片山虎之介の発言は、自らの位置を政党政治の政権のコントローラーを自負してでもいたのか。
政権のコントローラーを歴史的に見れば、吉野作造と矢次一夫の労資協調会から国策研究会などもそのひとつであろうし、矢次自身の著作「昭和動乱秘史」だとかに書かれていたように思う。その後田中角栄を中心とするキングメーカーというのもあった。そのなかに小沢や片山がいたのであろう。しかし事はもっと大きい動きとしてあったのである。
1961年に東西冷戦構造を象徴する東西ドイツのベルリンの壁が始まったとき、日本では第一次臨調がはじまった。
1975年にアメリカが ILOからの脱退を通告したとき、日本で、太田薫が「春闘の終焉」を書いている。これらは、世界史が「社会主義の時代」を象徴する出来事の一端を示していた。そして、それに向かう準備としての「軟着陸策」が労戦統一を連動させながら第二次臨調を発進した。
1981年にポーランド動乱が始まった。
1989年ソ連の解体再編につながるベルリンの壁が崩壊する。
by kanakin_kimi | 2011-05-22 11:16 | 311はアメリカの人工地震説 | Comments(0)


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