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戦略的災害対策 ー 2

家康と秀忠の駿府と江戸という地域間の二つの権力構造による支配の仕組みを指して「二権力構造」とか「二権力体制」という表現規定がおこなわれている。しかし、これは明らかに間違いである。
日本における権力構造は、天皇制と幕府制度との二権力構造が基本にあったのであり、支配の仕組みとしての地域性が経済力とのバランスの絞られていく収斂要素として鎌倉幕府と京都御所、室町幕府と京都御所、江戸幕府と京都御所をバックにした伏見聚楽第そして江戸幕府と京都御所と推移していると考えた方が腑に落ちる。そうでなければ、尾張から出た織田信長と豊臣秀吉がそれぞれの権力の象徴たる居城を安土城にしろ大阪城にしろうつしていく意味が見出せない。経済的地政学的な必然性がそこにあったからであろう。そこで、武力的二権力構造は江戸城と大阪城で終焉する。
ただし、織田信長が安土に拠点をおいた意味は秀吉が大阪城に拠点をおいた意味とは別の戦略的な相違があるように思われる。それは、沢彦の思惑かそれとも土岐一族の見果てぬ夢にあったのか、渤海国にルーツのある人々の渤海国再建の夢が対岸の安土から眺めさせたのかもしれない。
脱北の人々がつい最近も日本海を渡ってきたルートは、渤海国から日本海を渡って能登半島や小浜へと大挙して亡命して来た時代があったことを思わずにはいられない。そして、その思いは満州国擁立やウラジオストクへのフェリー航路の開発と鉄道網開発の情熱にあるのかもしれない。歴史から抹殺された
様な「渤海国再建」の見果てぬ夢の情熱を思わされる。他方の秀吉による「大阪城」は武力的二権力体
制が「江戸城」との間で形成され、安定期にはいることで生じる武力集団の失業対策の必要性が朝鮮半島へと向かわせたことは明治の西郷隆盛らの征韓論にみられる。
このことは、現在のアメリカの国家破産状況に対する経済構造改革を進めるためには徹底した軍縮政策を取らなければならない。そうすると、軍の失業対策の必要性を具体化させなければならない。これは、徐々に減らすという様な時間はない。従って、そのための受け皿を準備して速やかにその受け皿に移行するという方策を取るべきだろう。その受け皿が「災害救助隊」なのである。即ち、アメリカ軍をアメリカ災害救助隊に移行するのである。しかし、それだけで経済構造改革ができるわけではない。徹底的な緊縮財政政策を取らなければならない。今までの、支配とタカリの構造を改めみんなが自立した生活環境をつくらなければならない。それは、最低限の食材を自給自足できる様な生活環境をつくることである。そこで、ソ連の「ダーチャ方式の家庭菜園」を採用すればいいのだ。しかも、今日の状況は一人アメリカだけの問題ではない。世界全体にアメリカと同じ構造を持っている国々ではアメリカと同じ構造の貧富の差の大きな差別構造にある。と同時に、それぞれ国防のための軍隊を持ち軍備を新兵器
を導入して対抗しあっている。つまり、中国の軍隊の失業対策、インドの軍隊の失業対策も又目前に迫っている現実なのである。したがって、ソ連がとっていた政策である「ダーチャ方式の家庭菜園」をアメリカや中国そしてインドなどに自立的に生活出来る最低条件を速やかにつくっておかなければならないと思うのである。
by kanakin_kimi | 2011-10-20 00:26 | 戦略的災害対策


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