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少女のときは止まった (7) ( 事件構造 )

冤罪事件の「事件構造」は、「発端となる事件」がまず発生し、その真犯人を別の人物に置き換え転嫁するということで「冤罪事件」が発生するのである。
つまり、「冤罪事件」という枠組みの中に「発端となる事件」が内包される「二重構造」になっているということなのである。この「二重構造」にも事件によってはいくつかの種類がある。いずれにせよ、「捜査権力を左右できる者の犯罪」であることには間違いない。
しかし、この事件を例に見るように、それだけでは「冤罪事件」を作ることはできない。どういうことかというと、「権力構造」が、捜査機関の権力が世論や報道機関などを含めて圧倒的に強く、押さえ込む力を発動できる社会構造である場合ならいざ知らず、間接民主主義が積み重ねられた社会である。「代議制支配構造」と「政党政治」の「間接民主主義」による「パワーバランス」が推移している状況であるのでそれに見合った「責任構造」もあるということである。
「袴田事件が作られる全体像」の概略を見てみよう。
◎警察は、「袴田巌さんを犯人視する」「見込み」捜査で「自白強要」の「落とし込み」を行い、自白をでっち上げて「本人が自白したのだからもういいじゃないか」と、抵抗する「捜査員」や「解剖鑑定者を屈服させ」るなど「証拠の隠滅とねつ造を行って」「白絵」を描いて検察へ送る。
◎検察は、警察が描いた「白絵」に「クロ」の「塗込み」を行って「起訴」した。
◎報道関係は、はじめは、調査報道に努力していたが、ある時期から「警察の情報操作」と「スクープ合戦」に揺さぶられる形で一斉に「袴田犯人説」に傾斜し、新聞・ラジオ・テレビなどの報道の一般市民への「刷り込み」報道が積み重ねられた。
◎弁護人は、依頼人から依頼されて初めて事件に着手するので、それまでの報道に刷り込まれた先入観を排除することから始められる。検察から提出されている調書や証拠類は小出しにしてくるので、事件の全体像を把握することもなかなか困難な立場に立たされている。
◎一般市民は、「報道機関は独自の調査報道をしている」から「正しい報道をしている」ものと「思い込み」、一般市民の多くがその報道を「無批判に受け入れ」て「世論形成」が行われた。
◎裁判所は、左陪席の起案した「無罪判決」を「合議」では、その世論に屈した形で、「異例の捜査批判と事実認定の混乱など」ない交ぜながらも「死刑判決」が言い渡され、最高裁判決で「死刑確定」との「法(のり)込み」裁判が行われてしまった。
このような形で、「袴田事件」という「冤罪事件」が出来上がったのである。

つぎに、これらをよく見るとわかるように、全てにおいて「組織」や「集団」に「個人の責任」が「かくされている」のである。そして、その裏返しとして「真相解明」をさせないような「仕組み」が作られていることに気づく。
既にご承知のように、第一審静岡地裁判決を書いた「熊本典道」氏は、「自分としては無罪の心証を持って無罪判決を起案したが、合議で容れられず、忸怩たる思いで有罪判決を書いてしまった。袴田君には誠に申し訳ないことをしてしまった。」と「懺悔の謝罪を公開」している。
by kanakin_kimi | 2012-05-19 17:39 | 袴田事件


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