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告発 3 袴田巌さんは無実・拘束されて46年目

死体は動かされた 2

前回は、「橋本扶示子さんの焼死体が発見された位置は、殺された位置ではなかった事、殺された位置は布団の上であり、頭部から出血している事を示している布団に浸潤した三つの固まりが焼け残っている。」事を立証した。この布団に浸潤した三つの固まりの血痕鑑定をしなかったのだろうか、検証調書にも記載されていない。


2、藤雄の場合

犯罪現場で鎮火した後、最後に藤雄さんが焼死体で発見されたのは午前7時過ぎの事であった。

下の図は、母屋の死体が発見された図と屋敷全体の図との上下二段になっている。その下段の図の左側の裏口近く土蔵の横の通路に図示されている人が藤雄の死体である。
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刑事第一審(住居侵入・強盗殺人・放火)事件記録、第11分冊(505~781丁)、昭和41年7月20日付、黒柳三郎・検証調書のうち昭和41年7月6日付、春田龍夫・実況見分調書(734~752丁)の中の(737~739丁)に次のように記されている。

【 土蔵東側通路の死体の状況 】

土蔵東側通路には見取図に示すように焼死体がある。この通路は裏出入り口に通ずるもので、屋根は全く焼失し、西側は土蔵の石が露出し、東側は板張りの部分が黒く焼け大部分焼失している。この部分も外は石の壁である。
通路は巾2、85メートルである。そして北側勝手場続きのところの通路東側に便所があり、この南側には 1.4m×1.2m の四角な囲いの部分がある。この囲いの西南隅の杭は地上から30センチの高さまでしかない。この辺は、屋根から落ちた瓦・粘土ようのものおよび炭化物がうづたかく積もっている。

前記杭の南側にほとんど接するように死体の右手と思われる、炭化して骨の露出した手と腕 が堆積物の中から突き出ている。その他の身体部分は全く埋まり、見えない。
この付近のトタン板・瓦・粘土・杉皮の小片などを上から取除くと、下に男性の死体があった。

死体は仰向けに右足を軽くのばし、左足を開いて直角に曲げ、右手は肘を強く曲げて横に突っ張り、左手は肘を上に強く曲げ、額は左側を斜め下にして上を向いている。
身体の表面は黒く炭化しており、上面には着衣などは認められない。頭頂よりつま先(右足)まで測定すると1.7メートルあった。全身埋もれていたので、泥などで汚れているが、特に腹部にはブリキ缶の蓋がかぶさっていたので泥などの付着はない。

左手には金色バンド付腕時計がはまっているが、焼燬しガラスはなく文字盤も汚れており時間は不明である。
死体の外周を掘ると、下はコンクリートの土間で、右手の埋もれていた部分は下から26センチの厚さであった。死体の下側には焼け残った着衣の一部と認められるものがあるが、これには汚れた血痕ようの付着物が認められた。
立会い人 水野庄次郎はこの死体について、専務(橋本藤雄)に間違いありません。と説明した。


以上のように、身体には腕時計以外には身にまとっていた衣類もほとんどなく、出血を示す状況もない。つまり、この場所で殺されたという証拠が全く見られない事である。
そこで、この死体の状況に合致する衣類がどこかにあるはずだと考えて探してみたところ、明らかに作為的な隠し方をしている所にあった。それは真実を書き残そうとする思いと、抹殺しようとする力との闘いの跡であろう、と判断できる所にそれを見つけた。以下のとおりである。

刑事第一審(住居侵入・強盗殺人・放火)事件記録、第10分冊(190~504丁)、昭和41年8月8日付、春田龍夫・検証調書の(325/364~375丁)に次のように記されている。

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【 10、表八畳間の状態 】(325丁)
【 (14) 床の間前の状況(364~368 )
床の間の前には枕の北に、蚊帳の裾部分と思われる空色の一部分が焼け残っており、蚊帳は、部屋北側より110センチ、床の間前より38センチの地点を中心にして、33センチ×20センチの範囲にかたまって、しわまみれになっており、血痕が付着していることが認められる。
この蚊帳の北側床の間寄りには、焼けた財布、その下にはベルトが通されたズボンとシャツの焼け残りがあり、その財布前記財布の中間にカメラの部品・ピドムケースが焼け残っている。
蚊帳をめくると、このピドムケースの下の部分にかけて下敷きとなっていた蚊帳の編み目を通し畳についた、血痕が蚊帳の編み目の形をなしている。この血痕の範囲は 22センチ×14センチ で上の蚊帳もこの範囲同じように血痕がついている。
畳についた血痕の位置は、その中心が、床の間前より23センチ ・北の敷居より 102センチ であった。血痕の北端は、それより北が畳が炭化しているので、畳が残っているところまでしかわからない。
蚊帳の量は両手掌でまとめることが出来るくらいである。写真146参照
この部位は、北の布団の枕元の位置にあたるところである。
本職はこの血痕付着の蚊帳の断片を、前記捜索差押許可状によりこれを差押えた。
前記血痕の北側、床の間の前に接して、焼けたズボンとその上に免許証入れをはさんだ、二つ折れ財布があり、ズボンの北寄りに、ズボンにからむように、鼠色開襟シャツの一部分が焼け残っている。
立会人水野庄次郎は、これらズボン・シャツ・財布を指示し、これは専務(橋本藤雄)のものと思われます。と説明した。
ズボンは電灯の光により、黒又は濃紺色ように見える。布地は化繊ようのものである。
ズボンは、焼けて両足の膝下および腰の前部付近が残っているだけである。
シャツは、化繊ようのもので、大部分焼失し、わずかに前部分が原形をとどめている。写真148参照
ズボンのベルトは、巾1.7センチで、裏が薄茶・表が茶色をしており、三つに焼け切れている。
向かって左のポケットには、やつ折の便箋で、11387K C53,- 603511,-
11387K 40,- 455480,- 
11387K 30,- 341610,- と記載したものと
折り畳んだ 500円紙幣 1枚、および キー 1個、ちり紙 若干、ハンカチ 1枚、古封筒に入った銀紙に包装されている 痔の座薬ようのもの2個があり、いづれもポケットの中へ巻き込まれるように入っていた。
立会人水野庄次郎は、銀色包装の座薬ようのものを示し、専務(橋本藤雄)は痔が悪かったから、痔の座薬と思います。と、説明した。
右のポケット内には、小さなかくしポケットがあり、この中に 5円硬貨 1個が入っていた。
本職は、このシャツ・ズボンを、立会人水野庄次郎より任意提出を求め、領置した。
(15) 二つ折財布の状況(368~371)
ズボンの上の前記二つ折財布は、表面が黒く炭化し、端の一部が焼失している。鹿皮ようのもので、土砂で全体が汚れ、水にぬれしめっている。二つ折の間に免許証入れがはさみ込んである。
そして、免許証入れに重なって、10000円紙幣 1枚、5000円紙幣 1枚 合計 15000円が重ねて四つ折りになり、公給領収書 2枚、昭和41年6月10日付
伊豆長岡温泉あづま発行で、34382円 1枚、 金額不明 1枚、とともに入っている。
財布の中には、名刺入れに 名刺 9枚 があり、被害者橋本藤雄のもの 5枚、および 中央相互銀行静岡支店 池谷楨男、 かねじゅう味噌取締役社長 稲森庄次郎、 本田技研、静岡スバル販売会社小原商会・小原正、清水運送株式会社取締役営業部長・小島元治、各一枚である。さらに、味噌単価カード
一枚、橋本の認印 一個および、紙に包んだ薬 二錠があった。
立会人水野庄次郎はこの薬につき、下痢の予防薬です。と説明した。
これ等と共に、1966年5月19日付の卓上日記の用紙の裏へ  エミ(0534) 2-3425 と鉛筆書きしてあるもの 一枚および、同じ12月13日付用紙の裏へ 明治32,2,25 と鉛筆で書いてあるもの 一枚があり、後者について、立会人水野庄次郎は、社長(橋本藤作)の生年月日です。と説明した。
免許証入れはビニールの青色のもので、中に自動車運転免許証が入っている。
免許証は、昭和39年1月29日交付 静岡県公安委員会・第59421号 橋本藤雄 大正13年8月30日生本籍 清水市横砂651-1 二輪免許 23,6,3  大型二種免許23,2,8  三輪二種免許23,6,3 と記載されており、免許証とともに血液検査証(橋本藤雄名儀)昭和41年1月29日 清水厚生病院発行 A型と記載あるものおよび、右同人名儀の 交通安全協会清水地区会員証が入っていた。写真149参照。
(16) 床の間の状況(371~375)
部屋の北西には40センチ西へ出張った、180センチ巾の床の間がある。
この床の間には(写真のとおりー省略)向かって左から、懐中電灯 1個があり、全面的に黒く表面が焼燬変色している。スイッチは断となっている。これは古いもので、点灯できなかった。
その右に、アロウ印8ミリフィルムの箱入りのもの2巻があり、他にもフィルムがあるが焼けてしまって形がくずれている。さらに丸い缶に入った8ミリフィルム1本があり水にひたっている。
この右には、ガーゼとはさみの入った、高さ17センチの角の缶が焼けて黒くなっている。中のガーゼの一部分も焼けて黒くなっている。
その後ろ側(西側)に掛け軸の軸だけが黒く表面炭化している。缶の向かって右に割れた化粧鏡の枠だけが床面に接してあり、さらにこの右には、うず高くパンヤの焦げて表面炭化したものが山形に積もっている。この下側を調べると、紺色ようの枕の布地が出てきた。
立会人水野庄次郎はこの枕について、専務の枕だと思います。と説明した。この枕の位置は北の敷居端から55センチ離れている。
枕の下には風呂敷に包んだ裁縫道具、針、糸などがあり、上面が炭化している。その奥側には箱に入ったこけし人形があるが、箱だけ焦げている。
裁縫道具の右には、朝日印懐中電灯一個がおかれてあり、すすの状態から、点灯してない状態で、つけると点灯できる。全面的に表面が黒く変色、水に濡れ、前面のガラスも薄黒く曇っている。
この右には木箱に入ったガーゼ、絆創膏、ペニシリン、目薬が入っており、薬箱と認められ、蓋の表面が黒く焼燬し、内部の物も黒く変色している。
この薬箱の後ろの側に、トリスウイスキーのポケット瓶一個があり、約八分目くらい残っている。この蓋は、上のカップが熔けて密着し開かない。
これらのさらに右には、ブリキの平たい裁縫箱があり、蓋は土砂をかぶり、赤く錆び、中も鋏・ミシン糸・針がみそり、中学用の釦などが黒く焼けて変色している。
箱の右、最も北隅には、焼けて残った洋傘の骨が立てかけてあり、その下に福井銀行と中央金庫の大型長方形マッチ箱があり、両方とも水をかぶってふやけている。中央金庫のものには、軸の頭薬が赤色で四分の一くらい入り、福井銀行のは黄色と緑の二色が別々に入っており、ともに約二分の一くらい入っていた。両方の軸木は普通より太いもので、水と熱で箱は変色している。頭薬は外側の箱の部分が焦げているところに接しているものは燃えているが、他はそのままある。
このマッチの上へかぶさるように、額縁の半分が焼け残ったごとく、40センチ×30センチにコの字型に木の枠が立てかけられている。
これらのすべてを取除くと、床の間は板張りで、東側の前面のみ炭化し、一部南側において奥の板が変色している。床の間の壁は全般的に表面が黒く焼燬している。コの床の間の状況は写真ー143・145・147参照。

by kanakin_kimi | 2012-12-11 10:31 | 告発・袴田事件


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