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戦争終焉のマニュアルとしての戦略的災害対策


災害は、「超法規的」

 災害は、「自然災害」と「社会災害」に分けられる。
 「自然災害」は、「森羅万象の精霊」が司り、「社会災害」は、「八百万の神々」が司る。それらは、いわば「楕円態運動の二つ以上の焦点」に位置しているという事ができる。それは、奇妙な事であるが「認識する事が出来るものによって初めて表に取り上げられるようになった」。実態真実である全ての自然界であり、全宇宙の事物・事象もそれを認識し表現する事が出来るものが無ければそれは「有」であり「実態真実」であるのに「無」でしかない。
 人類が「実態真実」に働きかけて、「仮想真実」を形成し、「仮想真実領域」を拡大してきた。
 それは、奇妙な事であるが「認識する事が出来るものによってはじめて表に取り上げられる。」そこに、「未知との遭遇」という「森羅万象の精霊と八百万の神々」を配する「知恵」がある。
 日本人は、それを「敬い・尊崇」するけれども、決して「自立・自助」を放棄しない。そういう考えと覚悟を伝えている。それが伝統の民俗芸能の中に伝えられている。
 それが「俳句・短歌・連歌」の中に伝えられている。「もののあわれ」であり「風雅の誠」であると私は受け取っている。
 だから、「自然災害」と「社会災害」に対する「戦略的災害対策」というものは、
1)、みんなが賢くなるようにする事。
2)、みんなが賢くなる為に、必要な事を統べてやる事。
これだけである。あとはこれの後についてくるからである。
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戦争終焉のマニュアルとしての戦略的災害対策
 さて、”災害は、「超法規的」”と題する上記の文章は以前書いたものである。これから書く事の前文として再録した。
 わたしは、犯罪の全ては災害であると考えている。したがってその中に含まれる”戦争”も「災害」の中に含まれるものとして位置づけている。そこから考えた対策は究極的には前文に書いたものになると考えている。
 しかし、それだけではどうやら理解されにくいもののようである事に気づかされた。災害対策を考える時に「想定」される災害を考えそれに対して災害対策を構築するという手法のようである。
 それで、いつも気に食わないのだけれど「東南海地震ではどこそこの地域では死者が何万人」などというのを聞くと腹が立ってくるのである。
 死者を出さない対策を作るのが当たり前ではないか。だから、どういう事をしなかったらどういう被害が出るよという想定をするべきなのである。どうも、わたしには「ロスチャイルド・イルミナティの人口削減計画」に沿って災害対策を考えているのかと疑ってしまうのである。
 官僚の計画は「人の命を優先する計画」は絶対に作らない。と断言してしまう程なのである。何故かというと官僚は「法規内計画」だからである。もう少し辛辣にいうと「法治主義」だから「法律の規定内であればやるが、規定外であればやらなくてよい。」という考え方が基本にある。ところが、「災害のほとんどは超法規的なものなのである。」
 官僚が本当に「人の命を優先する災害対策計画を立てる」のであれば、人のものを奪い取る事をやめさせる計画を立てるであろうし、人の命を奪う戦争をなくす計画を立てるだろう。地球という地球上に生存するもの全てのものの共有するものを、掠奪するようなものがいる事を見て見ぬ振りは出来ないはずなのだ。
 もちろん、官僚だけに責任があるわけではないから、世界市民がみんなでつくりなおさなければならないのだ。時間のかかるものもあるが基本的にはその事を下敷きにして災害対策をすればいいと思っている。個人の責任にするやり方がこれから増えてくるだろう。そこには、市民が責任を官僚に押し付けている事からの反射もあるのも事実だ。しかし、市民が自立していない事に対する警告でもある。
全ては民間防衛でする事
 人任せにしていると、「無政府状態」で「ホロコースト」されるということを直視するべきだろう。その実例のひとつが「飛行機事故に見せられた事件」である。
P100システムで民間防衛
 ゼロメートル地帯で真剣に討議されている。「逃げ場がない」横に逃げ場を求めていて、法規的避難装置を考えているからである。災害は超法規的であるという事に、法規的対策は役に立たない。超法規的発想をすべきなのだ。それで考えたのが「P100システム」ピラミッド型の一辺100メートルの建物を鉄パイプやコンクリート製の電信柱を利用した構築物で作るのである。一辺を100メートルにすると高さは約70メートルとなり、一階を5メートルとすれば、14階層のフロアが出来る。
 1・2・3階は菜園・養魚・養豚・養鶏などで最上階14・13・12は採光・発電・浄水場・メンテナンスなどで、4階から11階迄を居住空間にするという具合に、このP100コミュニティで何でもそろえられるようにするのである。つまり避難永住型コミュニティというものである。ご一考を。

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