令和元年元日に寄せて
日本人が天皇制に求めるものは、多様の対立をやわらかく・つつんで・平和に統合するための象徴であってもらいたいという事である。
それは、大変むつかしいことを要望しているのである。
対立する要因はさまざまにある。貧富の差・生まれついた環境の差・働いている環境の差・住んでいる環境の差・これらから派生するもろもろの差、などと多様である。
天皇の威光でそれらのことをなすことはできない。
日本人の一人一人の民度が創る偉功によって成立させているものなのだと思うのである。
天皇はそれを生み出すための舞台装置と演出効果を持たせる役割なのだと思うのである。
しかし、今回は「世界が求める天皇制の令和」をはじきだしたようだ。
世界の状況がそれを求めているようだし、それにこたえようとしたのだと思うのである。
「世界の天皇制」に期待する者がいるようなのである。
「世界の天皇制に世界の所有と分配」を任せようと考える者がいるのかもしれない。
そうだとするなら、なおさらに天皇制に背乗りした悪魔主義の天皇制は、もはや日本では成立しないことを銘記すべきである。
一万年以上の「森羅万象の精霊を敬い、生きとし生けるもの・死にとし死ねるものの全てを八百万の神々として尊崇する」生き方を形成してきた土台であり素地を形成している縄文文明に育まれていることを知るべきである。