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ありがとう熊本典道さん

深夜の電話があった。君子さんが明るい声で応対しているのが隣の布団の中で聞こえた。
しばらくその明るい声の会話を聞いていた。昼に電話があった福山のいずみさんからだと思っていた。すると、かなざわ藤木さんからよと受話器をよこした。
興奮した、藤木さんの声が響いてきた。金澤さん、すごいことが起きたよ。
いまテレビで、判決を出した裁判官が袴田さんにすまない、もうしわけないと涙ながらに語っていたよ。
わたしは、一瞬なんのことかわからない、その一瞬の永さを感じながら、ど!,何処のテレビよ!
と云っていた。
10っチャンネルだよ。
秋山さんががんばったな!とわたしがいったら、これはもう!平野さんだね。平野さんが袴田さんに自分の命を替わりにやったんだね。と、藤木さんが叫んでいた。
1966年6月30日未明に静岡県清水市横砂の味噌屋橋本藤作商店専務の家から出火、焼け跡から4人の焼死体が発見された。その味噌屋で働いていた元プロボクサーの袴田巌さんが犯人にされ
一審静岡地裁で「死刑」の判決が出された。その「判決」を書いたのが熊本典道さんだ。
その「判決」を書いたあと、熊本典道さんは裁判官をやめ弁護士になったと聞いていた。
藤木さんからの電話が「夢」ではないことを祈りながら、きょうはもう眠れない、と思いこれを書くことにした。
1999年7月1日付け「清水・袴田通信」に次のような文章を書いていた。
袴田さん! お元気ですか!!
巌さん、あなたが『無実」であるのに、理不尽にも、警察・検察そして裁判所の、むりやりゆがめた「事実認定」によって、永いあいだ自由を奪われておられることに、心から御見舞い申し上げます。
わたしは、巌さんの『えん罪」は捜査当局の強引な証拠のねつ造によって、つくり出されたものであることを知っています。なかでも「5点の衣類」が中心証拠とされ、「有罪」の「決定的証拠」とされています。
この「5点の衣類」は、捜査当局と一部の元従業員の連携プレーでねつ造されたものです。
わたしは、あなたの『えん罪』は「捜査当局によってねつ造された証拠」が「有罪の決め手」とされている「えん罪事件」ですから、これほど長期になっているのだと思っています。
一方、わたしは「人間の良識」について悲観していません。
警察という組織でも、検察という組織でも、とりわけ、裁判所の組織でも「良識ある人間」がいることを確信しています。
「良識ある人間」が排除されるような「組織」は、かならず崩壊してしまいます。
また、「良識ある人間』がそれぞれの「組織』にいるなら「袴田巌』さんが「無実の罪』で放置されていることをだまって見ていられるだろうかとも思います。
[Dansk rets historie]という本をデンマークで買ってきました。
『ダンスク レッツ ヒストリエ』と私には読めますが、「日本の法制史』にあたるもので「デンマーク法律史」といっていいのでしょう。
しかし、文化の奥深さが違うように思うのです。[rets]は、『正義・公正・特権・法律・法廷・まっすぐに正しく』などと意味しているのです。
わたしには、『正義の歴史』と読め、感動しました。
『日本の法制史』は、どうも、わたしには『支配者がつくる制度の歴史』によめるのです。
2007年2月27日午前1時16分、これを読み返して、わたしはただ「熊本典道」さんに感謝するだけです。
by kanakin_kimi | 2007-02-27 01:22 | 袴田事件


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