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奇妙な事件が多発している ―― これは隠された悲鳴

私が経験したあの地獄は、他人にとっては取るに足りないことのようだった。
疣痔(いぼじ)で便秘の持病に悩んでいた当時、まだ「洋便器」といわれるものはなかった。
日本風の「しゃがんで、両足でささえて用便する方式」は「強制落下方式」だった。
それに対し、椅子式の「洋式便器」は「自然落下方式」である。
「強制落下方式」になじんでいる私に「洋式便器」が襲い掛かってきた。まわりに「和式トイレ」が
なくなったのである。
冷や汗をかきながら、細いあの洋式便器に両足を乗っけて、強制落下方式でうなっている。
これはもう「地獄」そのものである。
しかし、「洋式トイレ」になじみ「自然落下方式」のいとなみになじんできた人にとってはなんでもないことなのだろう。
この「落差」が「齟齬(そご)」を生じている。
人類が誕生したのはいつのことか、何万年も前のことなのだろう。両足で立つようになったとき。
道具を使うようになった時。その頃なのだろうが、しかし、殆ど本能に支配されている時だろう。
そのような中で、突然変異で生まれた「本能に支配されていたところから解き放たれた人が誕生した」。
「本能に支配されて生きている人」と「本能の支配から解き放たれた人」との「落差」の「齟齬」
これはものすごい「落差」であり、おおきなものすごい「齟齬」、まさに「殺し」「殺される」事態であった。
今は、人類の蓄積された知恵の歴史を学び「さまざまな困難」を克服できるようになってきたが、「I T」が導入された「文化」がもたらしている「さまざまな場で生じているキシミ、齟齬」が、それに順ずるほどのものではないかと思えるのである。
人類全体が、といっても「表出」するのは「感性の鋭い人たち」の間に限られるだろうが、これに
準じた事態が生まれてきているのだと私は経験から観じている。
それは、さまざまな要因が絡んだ「混乱」「カオス」である。
しかし、それを認識できれば 「混乱」でも、「カオス」でもない、ひとつの事象である。過去の歴史に学び、忍耐強く克服していかなければならない、社会問題となっている「事象」である。
by kanakin_kimi | 2008-05-10 09:29 | 世界革命


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